諏訪大社

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諏訪大社

下社秋宮幣拝殿(重要文化財)
所在地 上社本宮:長野県諏訪市中洲宮山1
上社前宮:長野県茅野市宮川2030
下社春宮:長野県諏訪郡下諏訪町193
下社秋宮:長野県諏訪郡下諏訪町5828
位置 上社本宮北緯35度59分54秒 東経138度07分10秒 / 北緯35.99833度 東経138.11944度 / 35.99833; 138.11944
上社前宮北緯35度59分28秒 東経138度08分00秒 / 北緯35.99111度 東経138.13333度 / 35.99111; 138.13333
下社春宮北緯36度04分56秒 東経138度04分56秒 / 北緯36.08222度 東経138.08222度 / 36.08222; 138.08222
下社秋宮北緯36度04分32秒 東経138度05分28秒 / 北緯36.07556度 東経138.09111度 / 36.07556; 138.09111
主祭神 上社:建御名方命・八坂刀売命
下社:建御名方命・八坂刀売命・八重事代主神
社格 名神大社・一宮・正一位・官幣大社・別表神社
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諏訪大社(すわたいしゃ)は、長野県諏訪湖の周辺に4箇所の境内地をもつ神社信濃国一宮名神大社神位は正一位。全国各地にある諏訪神社の本社である。その起源は定かではなく、国内にある最も古い神社の一つとされている。

概要

平安時代 - 江戸時代を通じ上社では諏訪氏が、下社では金刺氏が大祝を務めた。末社は2万5000社に及び神社本庁別表神社として宗教法人諏訪神社によって運営されている。通称、「諏訪さま」、「諏訪大明神」等とも呼ばれる。延喜式において古代においては神社の中の最高位である名神大社とされていた。1871年(明治4年)に国幣中社、1896年(明治29年)に官幣中社となり、1916年(大正5年)に官幣大社となって、1948年(昭和23年)に諏訪大社の号が用いられるようになった。現在、氏子・崇敬者の総人口は日本国内に10万人~50万人、国外に数百人いるといわれている。

諏訪湖の南側に上社(かみしゃ)本宮・前宮の2宮、北側に下社(しもしゃ)春宮・秋宮の2宮があり、計4つの宮から成る。社殿の四隅に御柱(おんばしら)と呼ぶ木の柱が立っているほか社殿の配置にも独特の形を備えている。この御柱であるが、それ以前のミシャグチ信仰の石柱との関連性があるという説が有力である。神長官守矢によると御柱はミシャグチを降ろす依り代であるとの事。また富士見町の御射山(みさやま)や松本市三才山(みさやま)などの地名は、このミシャグチ信仰が地名として残ったものとも言われている。

別名を南宮とも言い、諏訪大社、南宮大社敢国神社の3社は何らかの関係がある様で、諏訪大社を本山、南宮大社を中の宮、敢国神社を稚(おさな)き児の宮と呼ぶという。

梁塵秘抄』に「関より東の軍神鹿島香取、諏訪の宮」と謡われている通り、軍神としても崇拝され、坂上田村麻呂の蝦夷征伐の際に戦勝祈願をしたとされる。また、中世に狩猟神事を執り行っていたことから、狩猟漁業の守護祈願でも知られる。[1]

祭神

本来の祭神は出雲系の建御名方ではなくミシャグチ神、神ソソウ神、狩猟の神チカト神、石木の神モレヤ神などの諏訪地方の土着の神々であるとされる。現在は神性が習合・混同されているため全てミシャグチか建御名方として扱われる事が多く、区別されることは非常に稀である。神事や祭祀は今尚その殆どが土着信仰に関わるものであるとされる。

記紀神話が伝えるところでは、天照大神の孫、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の降臨に先立ち、武甕槌命(たけみかづちのみこと)が、出雲を支配していた大国主命国譲り、つまり出雲王朝の支配権を譲渡するように迫ったという。これに対して、大国主の次男である建御名方命が、国譲りに反対し、武甕槌命と相撲をしたが負けてしまった。そこで建御名方命は諏訪まで逃れ、その地で王国を築いたという。諏訪大社の起源は、この神話にあるといわれている。

八幡や住吉など他の信仰にも見られるように個々の祭神が意識される事は少なく、纏めて「諏訪大明神」として扱われる事が殆どで他に「お諏訪様」、「諏訪大神」などと呼ばれている。

社格

  • 延喜式神名帳 名神大 南方刀美神社(みなかたとみのかみのやしろ)
  • 信濃国一の宮
  • 国幣中社(明治4年)
  • 官幣中社(明治29年)
  • 官幣大社(大正5年)
  • 神社本庁別表神社

社殿・宮

  • 上社
  • 下社
    • 春宮(はるみや):長野県諏訪郡下諏訪町下ノ原
    • 秋宮(あきみや):長野県諏訪郡下諏訪町武居

前宮

諏訪明神の信仰の原点といわれる。宮のみあるが、現在神体は祭られていない。御頭祭(後述)において、十間廊が使用される。

本宮

諏訪造とよばれる幣拝殿の左右に片拝殿が並ぶ独自配置であり、参道から見ると本道がそっぽ(横)に向いているため、「大きく願いごとをしなければ聞いてくれない」と言われている。

春宮

毎年2月~7月に神体が祭られている。参道の途中にある太皷橋は、別名を下馬橋といわれ、室町時代の造りであり、身分に拘わらず馬から下りて渡らなければならないとされた。境内の造りは秋宮によく似ている。

秋宮

毎年8月~翌1月に神体が祭られている。よって、初詣は秋宮で行われる。中仙道の宿場町である下諏訪に鎮座、温泉の湧出地で、境内にも御神湯がある。正面には「根入りの杉」、奧に神楽殿、幣拝殿、左右片拝殿が並ぶ。

神事

諏訪大社式年造営御柱大祭

寅年と申年に、を山中から切り出し、各社殿の四方に建てて神木とする祭。諏訪大社の最も重要な祭りである。

御神渡

御神渡(おみわたり)とは、男の神がいる上社から、女の神がいる下社へ行く際に通ったとされる湖面の氷の盛り上がり現象。同様の現象は摩周湖等でも起きる。2003-04年のシーズンも現象が確認され、御柱の盛り上がりを高めた。なお、御神渡りの神事は、諏訪市の縣社八剱神社の宮司によって執り行われる。

蛙狩神事

蛙狩神事とは、元日の朝に上社本宮で行われる神事である。まず御手洗川の川底を掘り返し、を捕らえる。その後拝殿正面にて矢を以てこのを射抜き、生贄として神前に捧げ、宮司祝詞を捧げ国家平安と五穀豊饒を祈願する。

筒粥神事

筒粥神事とは、1月14日の夜から1月15日の明け方にかけて下社春宮境内の筒粥殿にて行われる神事である。葦筒を釜で一晩かけて炊き上げ、筒の中の状態でその年の農作物の収穫などを占う神事である。この占いの結果は地元メディアによって報道される。かつては上社でも行われていたが、現在の上社においては上社筒粥殿の遺構が境内に遺るのみである。

御頭祭

御頭祭とは、4月15日に上社で行われるお祭りのことである。別名「酉の祭り」「大御立座神事(おおみたてまししんじ)」「大立増之御頭」と言われている。 現在では、鹿や猪の頭の剥製が使われているが、江戸時代に菅江真澄の残した資料に、白い兎が松の棒で串刺しにされたものや鹿や猪の焼き皮と海草が串に刺さって飾られていたり、鹿の「脳和え」「生鹿」「生兎」「切兎」「兎煎る」鹿の五臓などが供され、中世になると鹿の体全体が供され、それを禽獣の高盛呼んだといういわゆる生贄に関しての内容が残っている。また御頭祭に関して、諏訪大社七不思議の一つとして、耳裂鹿というものがある。これは前にも述べた生贄の鹿の中で、必ず耳が大きく裂けた鹿がいるというものであるという。

御舟祭

御舟祭(おふねまつり)とは、下社の例大祭で8月1日に開催される。神体を舟(柴舟)に乗せて春宮から秋宮へ遷座する祭。舟は南北朝時代に書かれた『諏訪大明神絵詞』には「鉾山」と書いてあり、江戸時代から「御舟」と呼ばれるようになったらしい。舟の上にはとみられる人形が乗せられる。 なお、2月1日に開催される遷座祭は、秋宮から春宮への遷座であるが、あまり大きく行われない。諏訪地域は海から遠く、なぜ舟が出てくるのか不明である。「海の近くにいた神様が諏訪へ逃れた」という説や「健御名方神が妃神とともに諏訪の湖に舟を浮かべ周辺の作物の出来不出来を判じた」という説などがある。

御射山祭

御射山祭(みさやまさい)とは、上社の狩猟神事。中世には年四回八ヶ岳の裾野で巻き狩り祭を行い、御射山祭はその中で最も長く五日間続いた。青萱の穂で仮屋を葺き、神職その他が参籠の上祭典を行なうことから「穂屋祭り」の名称もある。鎌倉時代に幕府の命で御射山祭の費用を信濃の豪族に交代負担することが決められ、参加する成年期の武士(と馬)はこの祭で獲物を射止めることで一人前の武士、成馬として認められたという。またこの祭の起こりとして南北朝時代の神道集『諏訪大明神秋山祭のこと』では「平安時代初期、坂上田村麻呂蝦夷征討のため信濃まで来た際、諏訪明神が一人の騎馬武者に化身して軍を先導し、蝦夷の首領悪事の高丸を射落としたので田村将軍がとどめを刺すことが出来た。将軍がこの神恩に報いるため悪事の高丸を討ち取った日を狩猟神事の日と定め、御射山祭の始めとなった。この縁日(旧暦7月27日)になると討ち取られた高丸の怨霊が嵐を起こすといわれる」という伝説を伝えている。現在はこの祭はずっと小規模になっている。

文化財

重要文化財
  • 諏訪大社上社 6棟(本宮幣殿、本宮拝殿、本宮左右片拝殿、本宮脇片拝殿、本宮四脚門)
  • 諏訪大社下社 7棟(春宮幣拝殿、春宮左右片拝殿、秋宮幣拝殿、秋宮左右片拝殿、秋宮神楽殿)
  • 太刀 無銘 - 1960年盗難
  • 太刀 銘忠吉 - 1960年盗難
  • 銅印 印文「賣神祝印」
その他
  • 算額(上社) 明治12年(1879年)2月 伊藤定太門人奉納
  • 算額(下社) 慶応4年(1886年)9月 伊藤定太清澄門人奉納

アクセス

時刻表は、諏訪バス(有賀・上社有賀統合路線)、諏訪市役所(市かりんちゃんバス)、茅野市役所(茅野駅~上社~大熊線)、下諏訪町(町循環バスあざみ号)の各WEBサイトを参照。

  • 上社
    • 前宮(まえみや):諏訪バス茅野駅~上社~大熊線で「前宮前」下車(茅野駅から平日のみ1日5便)。JR茅野駅から2.4km。
    • 本宮(ほんみや):諏訪バス茅野駅~上社~大熊線で「神社前」下車。諏訪バス有賀・上社統合路線で「上社」下車(上諏訪駅から平日のみ1日8便)。諏訪市かりんちゃんバス 市内循環外回り線(上諏訪駅から1日6便)、市内循環内回り線(上諏訪駅から1日8便)で「神社前」下車。同すわっこランド・上社有賀線で「諏訪市博物館」下車(上諏訪駅から1日4便)。
  • 下社
    • 春宮(はるみや):下諏訪町循環バスあざみ号 循環線で「諏訪大社春宮」下車(下諏訪駅から終日4便)、諏訪バス岡谷~上諏訪~茅野線で「春宮大門」下車、徒歩0.9km。JR下諏訪駅から徒歩1.4km。
    • 秋宮(あきみや):下諏訪町循環バスあざみ号 循環線、星が丘線、萩倉・樋橋線、星が丘経由萩倉・樋橋線で「諏訪大社秋宮前」下車(下諏訪駅から終日計13便)。JR下諏訪駅から徒歩0.8km。

関連項目

脚注

  1. ^ 「大法輪」第72巻1号、大法輪閣、90頁、2005年。

外部リンク