藤本泉
藤本 泉(ふじもと せん、1923年2月15日 - ?)は、日本の推理作家・小説家。本名は、藤本せん子。
伝奇ミステリ『えぞ共和国』シリーズで、東北地方において古代から受け継がれた原始共産国家が存在しているという設定で、土俗の民と中央権力との相剋を描いた。
また、『源氏物語』、『枕草子』など王朝文学の作者は紫式部、清少納言など一人の作者でなく多作者によるとの説についての著作を出す。
篠田節子『聖域』の登場人物は、藤本泉をモデルにしたものと言われている[1]。
略歴
『文芸首都』および『現象』の同人として創作活動を行う。
1966年に「媼繁盛記」で第6回小説現代新人賞を受賞し文壇にデビュー。
「ひきさかれた街」は、第二次大戦後に東西陣営により南北に分断された東京を舞台にした、「架空の日本」を描く先駆的な作品であった。
また、1971年に江戸川乱歩賞の候補となった「藤太夫谷の毒」は、最終候補にまで残って選考委員から筆力が支持されたものの、部落問題を扱った作品の内容が応募当時のタブーであったため、受賞を逃す。[2]同作品は、『地図にない谷』と改題して刊行された。『地図にない谷』は、「えぞ共和国」5部作に先行する藤本作品の原型とも言えるもの[独自研究?]であり、閉鎖的な村落でこそ発生し得る犯罪[独自研究?]を描いた伝奇ミステリである。
1976年に刊行した『呪いの聖域』が第75回直木賞(昭和51年上半期)候補となる(第75回は受賞該当作なし)。
1976年に刊行した『ガラスの迷路』が、翌1977年の第30回日本推理作家協会賞長編賞の候補となる。
1977年、『時をきざむ潮』で第23回江戸川乱歩賞を受賞。
1986年、西ドイツのケルンに移り住む。
1989年2月、旅行先のフランスから子息に手紙を出したのを最後に消息を絶つ[1]。一説に、共産国家崩壊期の東欧で取材中拉致され、処刑されたとも言われていた[誰によって?]が、東京で存命である(『文藝年鑑』)。75歳で死去したとの情報もある[3]。
著作
- 1968年『東京ゲリラ戦線』三一書房 のちハヤカワ文庫
- オーロラの殺意 双葉社、1974 のちハヤカワ文庫、双葉文庫
- 地図にない谷 産報、1974 のち徳間文庫
- 源氏物語99の謎 紫式部は本当に実在したか 産報 1976 のち徳間文庫
- 1976年『ガラスの迷路』光文社カッパ・ノベルス のち徳間文庫
- 『呪いの聖域』祥伝社ノン・ノベル のちハヤカワ文庫、旺文社文庫
- 『血ぬられた光源氏』潮出版社
- 1977年『時を刻む潮』講談社 のち文庫
- 呪者のねぶた 祥伝社ノン・ノベル 1977
- 1978『針の島』光文社カッパ・ノベルス のち徳間文庫
- 呪いの聖女 祥伝社ノン・ノベル 1979 のち広済堂文庫
- 1980年『源氏物語の謎 千年の秘密をいま解明する 祥伝社ノン・ブック
- 秘聞一向一揆 広済堂出版 1981
- 1982年『枕草子の謎 清少納言は真の筆者ではない』 広済堂出版 のち徳間文庫
- 暗号のレーニン 革命の父のミイラの秘密 講談社ノベルス 1984
- 血ぬられた光源氏 広済堂文庫 1985
- 時界を超えて 東京ベルリンの壁 旺文社文庫 1985
- 『死霊の町』角川ノベルス、1985
- 『王朝才女の謎 紫式部複数説 徳間文庫、1986
- 作者は誰か『奥の細道』 江戸俳壇の影 パンリサーチインスティテュート 1986
- 『1008年源氏物語の謎』旺文社文庫、1986
- 「源氏物語」多数作者の証 ストーリー内部に見える不連続性とその特質 私家版、1988
- 呪者の殺意 広済堂文庫、1988
- 「土佐日記」から「奥の細道」まで バックにひそむ無名の作者 私家版 1989
脚注
- ^ a b 関口苑生『江戸川乱歩賞と日本のミステリー』p.200
- ^ http://www.mystery.or.jp/prize/detail/20171 第17回江戸川乱歩賞 選評
- ^ 内田名所人物百選 藤本芙美[ペンネーム藤本泉]