神威 (水上機母艦)
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艦歴 | |
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起工 | 1921年9月14日 |
進水 | 1922年6月8日 |
就役 | 1922年9月12日 (給油艦として竣工) |
その後 | 1932年水上機母艦へ改装 |
除籍 | 1947年5月3日除籍 |
性能諸元 | |
排水量 | 常備:15,381t |
全長 | (垂線間長:151.18m) |
全幅 | 20.42m |
吃水 | 平均:11.58m (満載、特務艦時) |
主缶 | B&W混焼式4基 |
主機 | 電気推進式、GEカーチスタービン1基、GE式発電機1基、GE式電動機2基2軸 8,000hp |
速力 | 15kt |
航続距離 | 8,000 NM / 10kt |
乗員 | 324名 |
兵装 | 40口径8cm単装高角砲2門 毘式12mm連装機銃3基 |
航空機 | 水上機常用6機 補用6機 |
他 | 補給用重油:10,000t |
概要
神威はニューヨーク・シップビルジング社で給油艦として建造された。「能登呂」が上海事変で活躍したため、急遽本艦も水上機母艦に改装された。改装内容は能登呂とほぼ準じた形であるが、艦形が更に大きいため搭載機数は常用6機、補用6機となっている。また給油艦としての機能もそのまま残されていた。
建造は電気推進艦[1]研究のためアメリカに発注された。本艦が戦前最後の海外建造艦となった。
1934年(昭和9年)、特務艦(運送艦)から水上機母艦へ類別変更。
1933年(昭和8年)末に当時ドイツで実用化されたハイン・マットを装備し、航行しながら水上機を収容できるようにした(従来は艦を停止させて収容)。しかしあまり実用的でなかったらしく、後日撤去された。
1939年(昭和14年)、飛行艇母艦へ改装、搭載機を降ろす。大戦中は航空隊移動輸送などに従事、終戦時は香港にあり、大破状態であった。
戦後、イギリス軍により解体された。
艦歴
- 1922年9月12日 ニューヨーク・シップビルジング社にて竣工。特務艦(給油艦)
- 1932年8月 - 翌年2月 浦賀船渠にて水上機母艦への改装工事
- 1934年6月1日 水上機母艦へ類別変更
- 1937年7月 南太平洋において遭難したアメリア・イアハート機の捜索に協力
- 1939年 飛行艇母艦へ改装、搭載機を降ろす
- 1944年1月28日 アメリカ潜水艦「ボーフィン」(SS-287)の雷撃を受け損傷
- 2月1日 シンガポール入港、修理と同時に母艦設備を撤去
- 4月10日 特務艦(給油艦)へ類別変更
- 1945年1月16日 ヒ87船団に加入して香港在泊中に爆弾4発を受け大破
- 4月5日 香港で修理中に爆撃を受け大破
- 4月13日 浸水により着底
- 5月10日 予備艦となる
- 1947年5月3日 除籍
歴代艦長
艤装員長
- 村瀬貞次郎 大佐:1921年12月1日 -
艦長
- 村瀬貞次郎 大佐:1922年9月12日 -
- 中山鞆信 大佐:1923年1月20日 -
- 平山栄 中佐:1923年10月20日 -
- 阿武清 大佐:1925年5月9日 -
- 高木平次 大佐:1925年10月30日 -
- 松井利三郎 大佐:1926年5月20日 -
- 石川真吾 大佐:1926年11月1日 -
- 小檜山真二 大佐:1927年6月25日 -
- 藤岡晴次 大佐:1927年12月1日 -
- 柴山昌生 大佐:1928年12月4日 -
- 杉浦信平 中佐:1930年12月1日 -
- 本田源三 中佐:1931年4月1日 -
- 北條釐三郎 大佐:1932年1月25日 -
- 竹田六吉 大佐:1932年11月15日 -
- 寺田幸吉 大佐:1933年6月1日 -
- 丹羽正躬 大佐:1934年11月15日 -
- 奥田喜久司 大佐:1935年11月15日 -
- 上阪香苗 大佐:1936年11月2日 -
- 岩淵三次 大佐:1938年3月22日 -
- 松田千秋 大佐:1938年8月25日 -
- 森友一 大佐:1939年1月14日 -
- (兼)橋本愛次 大佐:1939年7月20日 -
- 服部勝二 大佐:1939年11月15日 -
- 古川保 大佐:1940年11月15日 -
- 伊藤徳堯 大佐:1941年7月1日 -
- 長谷部喜蔵 大佐:1941年8月20日 -
- 山崎助一 大佐:1942年8月7日 -
- 清水他喜雄 大佐:1943年5月3日 -
- 藤牧美徳 大佐:1944年12月5日 -
脚注
参考文献
- 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第4巻 空母Ⅱ』光人社、1989年。