田邊昭知
田邊 昭知 | |
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生誕 | 1938年11月15日(85歳) |
出身地 | 日本・東京都 |
学歴 | 高千穂商科大学付属高等学校卒業 |
ジャンル | グループ・サウンズ |
職業 |
ドラマー 田辺エージェンシー代表取締役社長 芸能プロモーター 放送作家 |
担当楽器 | ドラムス |
活動期間 | 1950年代後半 - 1970年 |
事務所 | 新興楽譜出版社・ホリプロ→スパイダクション |
共同作業者 |
スウィング・ウエスト ザ・スパイダース |
田邊 昭知(田辺 昭知、たなべ しょうち、1938年11月15日 - )は、日本の芸能プロモーター・放送作家、元音楽家・俳優。田辺エージェンシー代表取締役社長。元田辺昭知とザ・スパイダースのリーダー兼ドラマー・日本音楽事業者協会(JAME)会長。
東京都出身。愛称はショー坊(昭坊)、ショウちゃん(昭ちゃん)。妻は元モデル・女優の小林麻美。
来歴・人物
高千穂商科大学付属高等学校卒業。
10代の頃から米軍キャンプ廻りによりドラムを始め、オールスターワゴン、スウィング・ウエストにて活躍。1961年に「田辺昭知とザ・スパイダース」を結成。1966年には日本ビクターレコード事業部内のフィリップスレーベル(現:ユニバーサルミュージック)及び新興楽譜出版社と契約と同時に、グループ名を「ザ・スパイダース」に正式変更する。
同年ホリプロダクションから独立し、スパイダクションを設立。メンバーのプレイングマネージャーとしても先見の明を大いに発揮し、現在の田辺エージェンシーの基盤を創ることになる。 メンバー主演映画数本にて親分肌な役柄で人気を得る上、加賀まりことも映画で共演したり、役者も志したが、1970年にマネージメントに専念するため、シングルをリリースして第一線から引退。
1973年にスパイダクションの規模を拡大し、田辺エージェンシーに改称。その後は研ナオコやタモリらを見い出し、芸能界のスターに育てている。1991年には同事務所に所属していた小林麻美(小林は芸能界から引退)と結婚。小林との間に1男を儲ける。
また、自社所属タレントのタモリの番組(『タモリ倶楽部』『ジャングルTV 〜タモリの法則〜』など)を手がけたこともある。
近年は表舞台に登場することはあまりないが、2017年にかまやつひろしが逝去した際にはそのお別れの会でザ・スパイダースのメンバーを引き連れてドラム演奏を披露している[1]。
エピソード
1967年、スパイダースのハワイツアーコンサートの際、堺正章、かまやつひろしらメンバーが英語で流暢な自己紹介をする中、緊張が頂点に達した田邊は英語が頭から飛んでしまい、思わず「This is 昭知 of 田邊!」と挨拶してしまったと、タモリがラジオで暴露したことがある。
「This is」は許容できるとしても、姓名の間に「of」を入れるってなんだよ、とタモリが述懐していた。
作品
※いずれも、「田辺昭知」名義。
楽曲
番組
- バラエティ
- タモリ倶楽部(テレビ朝日) - 企画・制作
- グッドモーニング(テレビ朝日) - 企画・制作
- 華麗にAh!so(テレビ朝日) - 企画・制作
- ジャングルTV 〜タモリの法則〜(毎日放送) - 企画
- タモリのグッジョブ!胸張ってこの仕事(毎日放送) - 企画
- ドラマ
脚注
- ^ “ザ・スパイダースが“再結成” ムッシュかまやつさんのお別れの会 堺正章が華麗なステップも「メンバー全員決死の覚悟」で笑い”. 産経ニュース. 産業経済新聞社: pp. 1-2. (2017年5月2日) 2018年4月17日閲覧。