猿島 (敷設艇)
艦歴 | |
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計画 | マル1計画 |
起工 | 1933年3月28日 |
進水 | 1933年12月16日 |
就役 | 1934年7月20日竣工 |
その後 | 1944年7月4日戦没 |
除籍 | 1944年9月10日 |
性能諸元 | |
排水量 | 基準:565.6トン 公試:582.7トン |
全長 | 73.00m |
全幅 | 7.49m |
吃水 | 2.023m |
機関 | マン式二号ディーゼル機関2基2軸推進 |
最大出力 | 2,100馬力 |
最大速力 | 18.0kt |
航続距離 | 14.4ktで4,639浬 |
燃料 | 重油:46.2トン |
乗員 | 94名 |
兵装 | 三年式 8cm(40口径)単装高角砲2基 九三式 13mm単装機銃1挺 爆雷18個 一四式防戦網1組 四号大掃海具1組 (もしくは八九式機雷120個) |
猿島(さるしま)は、日本海軍の敷設艇。夏島型敷設艇の準同型艦。船体、兵装は同一であるが試験的にマン(MAN)式ディーゼルを主機とした。このため速力は幾分落ちたが航続距離は2倍近くに伸びている。この主機の性能は満足のいくものでその後の測天型、平島型敷設艇にも搭載された。
艦歴
1934年(昭和9年)7月20日三菱横浜船渠にて竣工する。建造中に起きた友鶴事件により復元性能改善工事を実施、バラスト80トンを搭載するなど公試排水量は647トンに増加した。
1938年(昭和13年)7月1日、支那方面艦隊の指揮下に入り九江攻略作戦などに参加する。
太平洋戦争開戦時は横須賀防備戦隊に所属し東京湾口付近の対潜哨戒に従事する。
1942年(昭和17年)後半以降は八丈島など近海の船団護衛にも参加。
1944年(昭和19年)7月4日、父島にて敵機の攻撃を受け、弟島西方に待避する。回避運動を実施したが機械室に被爆、火災を起こし沈没した。同年9月10日除籍。
準同型艦
参考文献
- 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第14巻 小艦艇Ⅱ』光人社、1990年。 ISBN 4-7698-0464-4
- 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 海軍軍戦備<1> 昭和十六年十一月まで』朝雲新聞社、1969年。