死海

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{{subst:Infobox 湖|名称=死海|画像=|所在地=イスラエルヨルダン|面積=940|周囲長=135|最大水深=433|平均水深=145|貯水量=1,738|標高=-405|成因=|淡汽=塩湖|湖沼型=-|透明度=}} 死海(しかい、アラビア語: البحر الميت‎‎, ヘブライ語: יָם הַ‏‏מֶּ‏‏לַ‏ח‎‎‎)は、アラビア半島北西部に位置する塩湖。西側にイスラエル、東側をヨルダンに接する。湖面の海抜はマイナス418mと、地表で最も低い場所である。歴史的に様々な名前で呼ばれたが、現在の英語名 (The Dead Sea) はアラビア語名に由来する。

形成

死海は、東アフリカを分断する大地溝帯紅海からアカバ湾を通ってトルコに延びる断層のほぼ北端に位置している。死海を含むヨルダン渓谷は、白亜紀以前にはまだであったと推定されている。その後の海底隆起により、パレスチナ付近の高原が形成されると同時に、ヨルダン渓谷付近に断層が生じたと考えられている。この断層の西側はアフリカプレートで、東側はアラビアプレートである。前者が後者を圧縮したことにより、断層を挟んで後者が北へ動いた。死海の水源は唯一ヨルダン川である。年間降水量は50mmから100mmと極端に少なく、気温は夏が32°Cから39°C、冬でも20°Cから23°Cと非常に高いため、湖水の蒸発が水分供給を上回る状態で、高い塩分濃度が生まれた。

塩分

海水の塩分濃度が約3%であるのに対し、死海の湖水は約30%の濃度を有する。1リットルあたりの塩分量は230gから270gで、湖底では428gである。この濃い塩分濃度のため、湖水の比重が大きくなり、結果、浮力も大きいので、人が死海に入って沈むことは極めて困難である。また後述の例を除き、生物の生息には不向きな環境であるため、湧水の発生する1か所を除き、魚類の生息は確認されていない。死海という名称の由来もここにある。しかし、緑藻類のドナリエラ (Dunaliella salina) や古細菌類の高度好塩菌の生息は確認されている。

死海からは流れ出る川がなく、比較的高温で乾燥した気候であり、年間を通じて大量の水が蒸発するため塩分濃度が高くなっている。また内陸の巨大湖の特徴として、周囲の土壌に元来含まれていた塩分が雨によって流され、下流の湖で凝縮する形となった結果、塩湖が形成されたと考えられている。死海についてはこの他に、ヨルダン川および主に周囲から涌き出る温泉から塩分が供給されているとも考えられている。

歴史

死海に浮かぶ人
浮かびながら新聞を読む人
海岸に沿って打ちあげられた塩

ヘブライ語では「ים המלח」(塩の海)と呼ばれ、聖書には「アラバの海」、「東の海」などと記される。

マカバイオスは、マサダ要塞を死海の近くの断崖絶壁の山上に築く。ヘロデ大王はマサダ要塞を改修したが、73年ローマ軍の攻撃を受けて破壊される(ユダヤ戦記参照)。このとき、クムラン洞窟に修道士たちが死海文書を保存していた話は特に有名である。

死海の航海の最古の記録は、1世紀頃のタキトゥスヨセフスによるものがある。マダバの聖ジョージ教会にあるモザイク地図には、死海と死海で生産された塩を積んだ船が描かれている。十字軍の遠征が行われたころ、死海を航行する船に対して税が徴収された記録も残っている。

1848年に、アメリカ海軍のリンチ (W.F.Lynch) 率いる探検隊がヨルダン川と死海をボートで探検した。この時に史上初めて死海の深さが測定され、死海が深さ400m以上の湖であることが発見された。

産業

周辺の井戸水に多く含まれる臭化マグネシウムから臭素が産出される。アメリカアーカンソー州ユニオン郡地下水から得られるまでは、世界最大の産出地であった。現在も輸出額では世界第一位である。20世紀に入り、死海の豊富な塩分から採取される塩化カリウムを利用した化学肥料の生産が活発化した。この化学肥料の多くはヨルダンから日本に輸出されている。また死海付近には天然ガスの埋蔵が確認されている。今後、ガス田開発が計画されている。

死海の周囲の砂浜からは、死海の塩分を多量に含んだ泥が採取され、化粧品石鹸の添加物としても珍重されている。一部のバスソルトなどにも死海の塩が利用されている。

伝説

旧約聖書ソドムとゴモラは神が硫黄の火で燃やしたと伝えられるが、一方での廃墟は死海南部の湖底に沈んだとも信じられている。これは、「シディムの谷」と「アスファルト」に関する創世記の描写と、死海南部の状況が似通っていることなどから、一般にもそう信じられているが、その一方で、死海南岸付近に点在する遺跡と結びつけようとする研究者も存在する。特に、死海東南部に存在する前期青銅器時代の都市遺跡Bab edh-Dhraをソドム、Numeiraをゴモラとする説が有力である。

観光

死海の湖岸はリゾート化が進んでおり、沿岸のイスラエル、パレスチナ、ヨルダンはいずれも死海地域の観光開発に力を入れている。特に、ヨルダン側は1990年代後半からのイスラエルとの関係改善を受け、2000年代に入ってホテルの建築ラッシュが起こった。

ヨルダン側には、温泉地のハママート・マイーン洗礼者ヨハネイエス・キリスト洗礼を施したとされる洗礼地の遺跡、そのヨハネとサロメの伝説のあるムカーウェル、ロトの洞窟、ムジブ渓谷 (Wadi al-Mujib) および野生動物保護区、モーセの伝説で名高いネボ山、死海博物館(死海パノラマ)、モザイク画で有名なマダバなどの観光地がある。

湖面低下問題

死海の湖面低下

20世紀中頃から湖面の低下が観測されており、「近年中に、中央部分に突き出した半島部分(リサン半島)が対岸とくっつき、2つの湖となってしまうのではないか」など、この現状を危惧する声が一部で上がっている。その原因については、イスラエルの建国(1948年)以降、農業の盛んな同国による、ヨルダン川上流部での大規模な灌漑用水の利用によるものであろうと一般に考えられている。また、死海南部での取水によるカリウム生産も水位低下の一因と考えられている。

死海の湖面の低下に連動して起こる海岸部の地盤沈下の問題も顕在化してきている。ホテルの立地している場所や農地で発生している地盤沈下は、経済面にも影響することが懸念される。

現在、湖面の低下による死海の消滅を阻止するため、紅海と死海を結ぶ運河を建設し、紅海の海水を死海に取り入れる計画が進行している(レッドデッドプロジェクト)。ヨルダンによる計画では、アカバ付近で海水を取水し、利用可能な真水を取り出した残りの濃い塩水を死海に放水することが構想されている[1]

脚注

  1. ^ Jordan to refill shrinking Dead Sea デイリー・テレグラフ 2009年10月13日(2012年3月28日閲覧)

外部リンク