東洋大学陸上競技部
東洋大学陸上競技部(とうようだいがくりくじょうきょうぎぶ)は、東洋大学の陸上競技チームである。東洋大学体育会並びに関東学生陸上競技連盟に所属する。チームカラーは『鉄紺』と呼ばれる紺色。1927年に創部され、元世界記録保持者である池中康雄をはじめとする多くの名ランナーを輩出してきた。関東インカレおよび箱根駅伝の常連校[1]。関東インカレでは1部(現在は16校)でも比較的下位(12位付近)に落ち着くことが多く、たびたび2部転落の危機を乗り越えている。伝統的に競歩も得意としており、箱根駅伝と関わる中長距離部門でも活躍が見られる。
歴史
1927年創部。1933年には箱根駅伝に初出場、1935年には箱根駅伝第5区で池中康雄が大学史上初となる区間賞を獲得した。同年池中はベルリンオリンピックマラソン代表の選考レースにおいて2時間26分44秒の世界記録を達成するなど、戦前における同部代表選手となり、第二次世界大戦後には日本陸上界の重鎮として別府大分毎日マラソンの創設に尽力している。また、この時代、短距離部門には植木等が所属しており、関東インカレにも出場している。
1960年代には箱根駅伝では安定した成績を残し、またトラック部門でも1964年東京オリンピック男子3000メートル日本代表の奥沢善二やメキシコオリンピック男子3000メートル日本代表の松田信由が出るなど、最初のピークを迎える。
1980年代後半以降は箱根駅伝・関東インカレともに低迷、2001年には箱根駅伝本選出場を逃すなど最も低迷した時期を迎える。そうした中で気を吐いていたのは競歩部門で、今村文男や藤野原稔人、松崎彰徳が活躍したのはこのころである。
2002年にはシドニーオリンピックマラソン代表川嶋伸次が長距離部門の監督に就任。2008年に通学途中の部員が強制わいせつ行為で現行犯逮捕されたのを受けて辞任するも第85回箱根駅伝では柏原竜二の活躍もあり大学史上初の総合優勝を達成した。2009年4月からは長距離部門の監督にOBの酒井俊幸が就任している。
現在の長距離部門監督は酒井俊幸、短距離・フィールド部門監督は梶原道明、2012年4月に東洋大学板倉キャンパスに設置された女子長距離部門の監督は永井聡。1981年までは総監督制をとっていたが、1982年より部門監督のみの選任となっている。
2014年からは男子短距離部門に法学部准教授の土江寛裕が指導者として加わった。
箱根駅伝
2016年まで74回出場して、優勝回数は4回。
東洋大学史上初の区間賞を第16回箱根駅伝第5区で獲得するなど、黎明期に活躍したマラソン元世界記録保持者池中康雄はこのころに活躍していたが、チーム自体は下位争いの常連で低迷していた。第二次世界大戦終結後も下位に低迷し続けたが、1956年から箱根駅伝にシード制度が導入されるとシード校の常連となり、1960年には過去最高の3位となるなど1960年代には最初のピークを迎えるも後一歩で優勝することが出来なかった。
1970年代にはシード権争いの常連となり、ロードの東洋大や復路の東洋大という異名がつけられる。1986年以降はシード権争いにも絡むことなく下位に低迷、予選会の常連とも揶揄され、2001年第77回箱根駅伝ではついに出場を逃してしまう。
2002年に川嶋伸次が長距離部門の監督に就任すると再び復調の気配を見せ始め、初の2区1位通過を成し遂げるまでに成長した。しかし、2008年に通学途中の部員が強制わいせつ行為で現行犯逮捕で逮捕され、出場すらも危ぶまれる事態となってしまう。この不祥事を受けて川嶋伸次が監督辞任、佐藤尚が監督代行として指揮することとなった。最終的に関東学生陸上競技連盟による「箱根駅伝への出場を制限しない」という決定を受け、第85回箱根駅伝へ出場、柏原竜二の活躍もあって初の往路優勝を果たし、さらに復路でも優勝し初の総合優勝を達成した。出場回数60回を超える大学の中で唯一優勝に縁がなかったが、2009年の総合優勝によって初出場以来76年目、67回目での箱根駅伝史上最も遅い総合優勝を達成した。これを記念して、同学OGによる優勝の裏側を描いた本が発行されている。
2009年4月からはOBの酒井俊幸が長距離部門の監督に就任することが決まり、佐藤はコーチに戻った。翌年2010年の第86回箱根駅伝でも総合優勝し2連覇を達成[2]。2011年第87回箱根駅伝では箱根駅伝史上最小となる21秒の差で2位に敗れるも2012年第88回箱根駅伝において史上5校目となる往路・復路・総合の全記録を更新する完全新記録優勝を成し遂げた。
植木等は、生前、毎年箱根駅伝終了直後に選手を激励しに来ており、「(東洋大学を)箱根駅伝で優勝させる会」の発起呼びかけ人・初代会長を務めるなど陸上競技部、特に箱根駅伝出場選手たちの有力な後援者として知られていた。
主な出身者
マラソン
- 池中康雄 - 1940年東京オリンピックマラソン日本代表候補、元マラソン世界記録保持者、別府大分毎日マラソン創立者。
- 田中末喜 - 1975年アジア陸上競技ソウル大会マラソン金メダル
- 久保田満 - 元旭化成陸上部選手、2007年世界陸上大阪大会男子マラソン代表、創価大学陸上競技部コーチ。
- 北岡幸浩 - NTN陸上部選手、2010年広州アジア競技大会男子マラソン銀メダリスト、2011年世界陸上大邱大会男子マラン代表。
- 山本浩之 - コニカミノルタ陸上部出身。3度箱根駅伝を走り、実業団からマラソンを始めた。
- 服部勇馬 - トヨタ自動車陸上部選手、2016年、東京マラソン日本人4位、箱根駅伝では、渡辺康幸以来2年連続2区区間賞。
競歩
- 今村文男 - バルセロナオリンピックシドニーオリンピック男子50km競歩日本代表、1991年世界陸上東京大会男子50km競歩7位、1997年世界陸上アテネ大会男子50km競歩6位、日本人初の国際陸上競技連盟競歩委員会委員、日本陸上競技連盟競歩部長。
- 藤野原稔人 - 2003年世界陸上パリ大会男子20km競歩代表。
- 松崎彰徳 - 在学中に2003年世界陸上パリ大会男子20km競歩代表。
クロスカントリー
- 斎藤勲 - 1987年世界クロスカントリー選手権ワルシャワ大会代表。
- 沼田康二 - 1992年世界クロスカントリー選手権ボストン大会代表、1993年世界クロスカントリー選手権アモレビエタ大会代表。
- 石川末廣 - ホンダ陸上部選手、2009年世界クロスカントリー選手権ヨルダン大会代表。
中長距離
- 佐々木功 - 元日本電気ホームエレクトロニクス陸上部監督、元東洋大学陸上競技部監督、浅井えり子の夫で日本マラソン界にLSD理論を紹介。
- 奥沢善二 - 1964年東京オリンピック男子3000メートル障害物日本代表。
- 松田信由 - メキシコオリンピック男子3000メートル障害物日本代表。
- 酒井俊幸 - 元コニカミノルタ陸上部選手、元学法石川高校教諭、現東洋大学陸上競技部監督。
- 永井聡 - 元ヤクルト陸上部選手、東洋大学陸上競技部・女子長距離部門監督。
- 大西智也 - 旭化成陸上部選手、2009年ユニバーシアードセルビア・ベオグラード大会ハーフマラソン2位、2009年東アジア競技大会・香港大会ハーフマラソン優勝、2010年世界ハーフマラソン選手権南寧大会9位。
- 柏原竜二 - 富士通 陸上部選手、箱根駅伝 4度山登りの5区を走り全て区間賞のち3回は、区間新記録。
- 山本憲二 - マツダ陸上部選手、88回箱根駅伝3区区間2位(日本人トップ)
- 市川孝徳 - 日立物流陸上部選手、 箱根駅伝4度の山下りを走り、史上5人目の3度の1時間切り達成者。のち1回は、区間賞。
- 設楽啓太 - コニカミノルタ陸上部選手、4回箱根駅伝を走ったうち、3回の花の2区を走ったチームに欠かせない大エースの存在。又、90回箱根駅伝は、5区で区間賞を取っている。
- 設楽悠太 - 本田技研工業陸上部選手、箱根駅伝4度走ったうち3度の区間賞を取っている。又、7区区間記録保持者
- 田口雅也 - 本田技研工業陸上部選手、箱根駅伝2度の区間賞を取っている。又、同世代で、唯一の4度箱根を走った。
- 上村和生 - 大塚製薬陸上部選手、全日本大学駅伝チーム初優勝のゴールテープを切った。
短距離
フィールド競技
- 曽根幹子 - モントリオールオリンピック女子走高跳日本代表。現広島市立大学准教授。日本陸上競技連盟理事。
関連書籍・DVD
- 『レースの「流れにのる」長距離トレーニング 継続して力をつけるための練習方法』(指導・解説:川嶋伸次、実技:東洋大学陸上競技部、ジャパンライム、2008年10月、DVD)
- 『魂の走り 鉄紺の誇りを胸に』(石井安里(著)、埼玉新聞社、2009/7、ISBN 978-4878893155)
- 『その1秒をけずりだせ』酒井俊幸(著)、ベースボール・マガジン社
脚注・参考文献
外部リンク
- 東洋大学陸上競技部
- 東洋大学(大学本部公式サイト)
- 東洋大学スポーツ新聞編集部
- 輝け鉄紺!(陸上競技応援ページ)