東京都立秋川高等学校
東京都立秋川高等学校 | |
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国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 東京都 |
設立年月日 | 1965年4月1日 |
閉校年月日 | 2001年3月31日 |
共学・別学 | 男女別学(男子校) |
課程 |
全日制課程 定時制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 3学期制 |
所在地 | 〒197-0831 |
東京都あきる野市下代継221番地 北緯35度43分55秒 東経139度16分43秒 / 北緯35.73194度 東経139.27861度座標: 北緯35度43分55秒 東経139度16分43秒 / 北緯35.73194度 東経139.27861度 | |
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東京都立秋川高等学校(とうきょうとりつ あきかわこうとうがっこう)は、かつて東京都あきる野市下代継(しもよつぎ)にあった全寮制都立高等学校。
概要
1965年(昭和40年)開校。校名は、秋川渓谷に由来する。東京都唯一の全寮制普通科高等学校であった。イギリスの全寮制名門校イートン・カレッジをモデル[1]とし、本格的なパブリック・スクールを目指した。
入学試験は学校群やグループ選抜には組み込まれず、一貫して単独選抜で行われた。
本校を象徴するのが、校内を南北約150mにも及ぶメタセコイア(あけぼの杉)の並木道である。開校時生物学の担当教諭だった宗方俊彦監修のもと一期生が植樹したもので、植樹当時高さ1m程の苗木が、閉校時には推定20m[要出典]にまで成長していた。本校の校旗と校章はメタセコイアの葉をモチーフにデザインされたものであった。また、正門には「メタセコイアの碑」が設置された。
開設当初は、海外や他府県に出張または在勤する者の子弟、全日制高校がなかった伊豆諸島出身者[2]を想定し受験資格を限定していたが、入学希望者が減少したため1969年度からは家庭環境に問題のある者にも門戸を開放した。その結果、寮内で喫煙や暴力事件が度々発生して学力が低下、中途退学する生徒が相次いだ。
停学又は家庭謹慎(喫煙・飲酒・無断外泊等)を2度犯すと、その時点で無期停学処分が課せられた。これは事実上の退学処分[2]としてマスコミに取り上げられることもあった。
1987年校長に就任した宗方俊彦は受験者増加の施策として、募集ポスターの製作、中学校への訪問などを行った。また、東京都も同時期に寮、体育館の建て替えを行ったこともあり、一時は受験者数が上昇したが、再び減少に転じた。
募集定員は開設当初240名であったが、受験者減少により1994年に160名、1995年より120名、1997年からは80名まで縮小、1998年より新規募集停止、2001年3月第34期生の卒業をもって閉校した。卒業生の累計は5,715名であった。
閉校前年の2000年、三宅島の噴火災害による全島避難のため、都立三宅高校を本校と併設。また、三宅村立三宅中学校、三宅村立三宅小学校の臨時分校を併設した[3]。この措置は2007年3月31日まで行われたため、本校閉校後に体育・福祉を主たる目的とした中高一貫の都立全寮制学校を開設する計画は中止となった[4]。
三宅島の分校閉鎖後は、地元のサッカークラブなどがグラウンドを暫定使用していたが、2009年3月31日限りでに暫定使用を終了して同年夏に本校施設を解体することになったため、同年6月28日、「秋川高校の施設とのお別れの会」が開かれ1,000名を超える卒業生や関係者が集った[5]。参加者は施設を見学した後、玉成寮寮歌を合唱して施設への別れを告げた[6]。施設は解体されたが、メタセコイア並木は保存されている。跡地利用は2015年現在、決まっていない。
沿革
- 1964年(昭和39年) - 東京都教育委員会(都教委)、都立全寮制高等学校(仮称)を西多摩郡秋多町(現あきる野市)下代継に設立決定。
- 1965年(昭和40年)
- 1966年(昭和41年)3月31日 - 第2期工事完了。(特別教室棟4教室増築、管理棟、寮棟、職員住宅2DK8戸、保険棟、校長公舎、ボイラー室増築)。
- 1967年(昭和42年)3月31日 - 第3期工事完了。(普通教室棟3教室増築、特別教室棟2教室増築、寮棟・浴室増築、図書館新設、食堂増築、渡り廊下・職員住宅2DK5戸、活性汚泥装置新設)。
- 1968年(昭和43年)3月31日 - 第4期工事完了。(体育館、自家発電設備、倉庫建設、テニスコート)。
- 1969年(昭和44年)4月1日 - 都立大崎高校校長・倉又秀作、校長に就任。
- 1970年(昭和45年) - プール工事完了。
- 1974年(昭和49年)4月1日 - 都立五日市高校校長・島村謙、校長に就任。北辰館工事完了。創立10周年記念式典。
- 1977年(昭和52年)4月1日 - 都立高島高校校長・増田信、校長に就任。
- 1980年(昭和55年)4月1日 - 都立青梅東高校校長・品田毅、校長に就任。
- 1984年(昭和59年)
- 2月 - 入選方法改正(応募資格に全寮制教育を特に希望する者、入試面接追加)。
- 4月1日 - 都立小川高校校長・青木木蒐哉、校長に就任。
- 1985年(昭和60年) - 新寮棟第1期工事完了。(新玉成寮3棟建設)。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 都立上野高校教頭・宗方俊彦、校長に就任。新寮棟第3期工事完了。(新玉成寮2棟建設)。
- 1988年(昭和63年) - 新寮棟第3期工事完了。(新玉成寮1棟建設)。
- 1989年(平成元年)11月18日 - 創立25周年記念式典。
- 1991年(平成3年)10月28日 - 体育施設落成記念式典。
- 1993年(平成5年)4月1日 - 都立日野高校教頭・中明敏康、校長に就任。
- 1995年(平成7年)4月1日 - 都立戸山高校教頭・石野由紀夫、校長に就任。
- 1998年(平成10年)11月13日 - 都教委、本校の平成11年度以降募集打ち切りを正式発表。第34期卒業式(2001年3月)での閉校が決まる。
- 2000年(平成12年)
- 2001年(平成13年)3月31日 - 第34期生卒業式。閉校記念式典。
- 2006年(平成18年)4月 - 三宅島帰島による三宅高校再開に伴い三宅高校分教場開場。
- 2007年(平成19年)3月31日 - 三宅高校分教場閉場。以後施設は地域サッカークラブなどで暫定使用。
- 2009年(平成21年)
教育
教育目標
心身ともに健康でたくましく、たえず自己の向上に努力し、社会の発展と日本文化の創造とに寄与できる、自主独立の人材を育成する。
教育方針
学校の教室と学生寮を有機的に運営して、人権尊重の教育を推進し、人間形成と学力向上とにつとめ、本校の教育目標の達成を図る。
- 教室及び寮における規則正しい生活を通し、心身の健康を増進させる。
- 個別指導を充実し、生徒の人間性を高め、個性の伸長・能力の開発につとめる。
- 教室・寮を一体化した学習指導計画にもとづき、学力向上・真理探究の意欲を高める。
- スポーツを奨励し、健康でたくましい身体と困難に耐え得る強い意志およびフェアプレーの精神を養う。
玉成寮 寮生標語
「青年の心」
- 向上心を持とう。それが成長の原動力なのだ。
- 自律心を持とう。それが向上心を支えるのだ。
- 協同の心を持とう。それが大きな発展を生むのだ。
- 美しい心を持とう。それが社会を明るくするのだ。
- 大きな心を持とう。それが物事を正しく見させるのだ。
校章と校樹
本校開設準備中の1964年10月、本校の教育目標を象徴する植物を校章のデザインに採用し、同時に校内をその植物で埋め尽くすという基本方針の元、農林省(現:農林水産省)林業試験場博士林弥栄に植物の選定を依頼、土質調査等の結果「ダイスギ(ジンダイスギ)」と「メタセコイア」が残り、メタセコイアに決まった[8]。
校章のデザイン作成は、都立工芸高校池本治之に依頼した[8]。
校服
詰襟学生服も検討されたが、正装(式、外出時:紺色背広ズボン、白ワイシャツ、ネクタイ着用)と常装(校内、散歩時等:紺色背広ズボン、青色開襟シャツ)が定められた[8]。
学校設備
敷地面積
敷地面積は開校から1988年までは149,845m2(約5万坪)、校舎(普通教室棟、特別教室棟、管理棟、家庭科教室棟)、図書館、食堂、玉成寮(第1棟~第3棟)、保健棟、集会施設(北辰館)、職員公舎、サッカー場陸上競技トラックの他、テニスコート5面、ラグビー場、野球場、ハンドボール場、プール、体育館、武道館、相撲の土俵まで備える広大なものであった。
1989年よりグラウンド南西側を縮小して126,786m2となった。縮小した土地には東京都立あきる野学園が設置された。
図書館
1965年5月24日開館。1967年3月25日図書館棟竣工。建物面積540m2。高校の学校図書館では珍しい独立建築物であった[1]。
部活動
リンク先はOB会。
運動部
- 野球部
- 陸上部
- サッカー部
- バレーボール部
- バスケットボール部
- ラグビー部 - 1990年第70回東京都ラグビー選手権大会ベスト8。
- ハンドボール部
- 軟式テニス部
- 水泳部
- 柔道部
- 剣道部
- ワンダーフォーゲル部
文化部
- 生物部
- 地歴部
- 文芸部
- 太鼓部
- 軽音楽部
学校行事
- 寮祭
- 開校当初よりゴールデンウィークに実施。寮祭の主力行事は当初「提灯行列」や「神輿担ぎ」であったが、後に「夜行軍」(後述)となった。
- 夜行軍
- 1973年から2000年まで行われた寮祭主力行事。全員参加で夕方より一晩かけて約40kmの道のりを歩いた[2]。コースは、本校→大久野→日の出山→御岳山→養沢センター→五日市高校→本校。(2000年夜行軍時、年代により変更あり)参加者には記念メダルが進呈された[1]。
- 体育祭
- 10月上旬に実施。100m走、200m走、障害物競走、砲丸投げ、綱引き、俵合戦、応援合戦、川中島(騎馬戦)、棒倒し、リレー等が行われていた[1]。
- 暁祭
- 11月上旬に実施。文化祭。
- クロスカントリー大会
- 2月実施。1、2年生全員参加。12.5kmを100分以内で走ることを目標に設定していた。コースは、本校→東京サマーランド→弁天橋→網代→山田→引田→あきる野西中前→本校[1]。
- 誕生会
- 寮生活で親元に帰るのが難しいため、毎月誕生月の生徒全員を校長官舎に招いて祝った。生徒には校長が選んだ本が贈られた。
著名な出身者
五十音順
学術・研究
経済
- 奥山一寸法師 - フリージア・マクロス株式会社 代表取締役社長
- 佐々木ベジ - フリージアグループ代表、夢みつけ隊株式会社 代表取締役社長
芸術
芸能
マスメディア
- 大野敏明 - 産経新聞編集委員
- 富樫洋一 - サッカージャーナリスト
- 萩尾信也 - 毎日新聞東京社会部編集委員
- 藤島大 - スポーツライター、元早大ラグビー部FB
- 渡辺和昭 - ラジオNIKKEIアナウンサー
スポーツ
著名な関係者
- 宇野精一 - 玉成寮命名者
- 小尾乕雄 - 全寮制高等学校提唱者
- 木俣修 - 本校校歌作詞
- 鯨岡兵輔 - 秋川・曙友会会長。
- 宗方俊彦 - 本校教頭、校長、玉成寮主任舎監、舎監長を歴任。
- 諸井三郎 - 本校校歌作曲
秋川高校図書館発行資料
国立国会図書館、東京都立中央図書館、東京都立多摩図書館で収蔵している。
- 『絹の道』 東京都立秋川高等学校図書館、1977年。
- 『多摩の名刹をめぐる』 東京都立秋川高等学校図書館、1978年。
- 『多摩の名刹をめぐる 続』 東京都立秋川高等学校図書館、1979年。
- 『秋川の寺社をめぐる』 東京都立秋川高等学校図書館、1981年。
- 『秋川のまつり』 東京都立秋川高等学校図書館、1984年。
- 『秋川の年中行事』 東京都立秋川高等学校図書館、1986年。
参考文献
- 『全寮制秋川高校の発足』 東京都立秋川高等学校、1965年10月10日。
- 『全寮制秋川高校の10年 - 創立10周年記念誌』 東京都立秋川高等学校、1975年11月10日。
- 増田信『秋川物語 - 全寮制高校長の手記』 学事出版、1980年3月 ASIN B000J7LUK8。
- 宗方俊彦『まだ生きてる本音の教育 - 全寮制都立秋川学校』 三水社、1984年 ISBN 4915607054。
- 『全寮制秋川高校の25年』 東京都立秋川高等学校、1990年3月。
- 『秋水長天 - 秋川だより100号合本記念誌』東京都立秋川高等学校、1993年5月15日。
- 『産経新聞』1998年1月8日付朝刊。
- 『産経新聞』1998年1月29日付朝刊。
- 「全寮制の足跡、可能性を検証 都立秋川高校の閉校記念誌」『朝日新聞』2001年2月4日付朝刊、33面(多摩版)。
- 大村森美『我等が三歳(みとせ)の夢托す - 都立秋川高21期の息子とオヤジの物語』MBC21、2001年2月 ISBN 4806406759。
- 『全寮制秋川高校の36年 -閉校記念誌-』東京都立秋川高等学校、2001年3月10日。
- 岩崎 充益『都立秋川高校玉成寮のサムライたち』 パピルスあい、2015年1月 ISBN 9784784591206。
脚注
- ^ a b c d e 『全寮制秋川高校の36年 -閉校記念誌-』東京都立秋川高等学校、2001年3月10日、121, 132, 141, 147, 156頁。
- ^ a b c 「モヤイの島は今-第2部-秋川高OBの絆今も」 『読売新聞』2013年3月27日
- ^ 平成12年(2000年)三宅島噴火災害誌 本編 第2章 緊急火山情報から全島避難 東京都、2007年3月、90頁。
- ^ “「体育・福祉高校あり方検討委員会」の報告及び「都立高校改革推進計画・新たな実施計画」の一部変更について”. 東京都教育委委員会. 2015年10月30日閲覧。
- ^ a b AKIKAWA50(秋川高等学校 創立50周年記念の会)ご案内 秋川高校同窓会、2015年6月。
- ^ TORI260RS (2009年11月17日). “秋川高校・お別れの会2009.06.28 寮歌斉唱”. YouTube. 2012年4月6日閲覧。
- ^ “知事の部屋 フォトギャラリー 平成12年10月24日 秋川高校視察”. 東京都. 2015年10月31日閲覧。
- ^ a b c 『全寮制秋川高校の発足』 東京都立秋川高等学校、1965年10月10日、36, 38頁。
関連項目
- 東京都高等学校の廃校一覧
- 東京都立三宅高等学校
- 東京都立あきる野学園 - 秋川高校卒業証明書等諸証明の申請先