戸山 (新宿区)
戸山 | |
---|---|
戸山ハイツの様子(写真右) | |
国 | 日本 |
都道府県 | 東京都 |
特別区 | 新宿区 |
地域 | 牛込地域 |
人口 | |
• 合計 | 9,341人 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
162-0052 169-0052(戸山三丁目18・21番) |
戸山(とやま)は、東京都新宿区の町名。現行行政地名は戸山一丁目から戸山三丁目。
地理
新宿区の地理的中央部に位置する。町域東部は、喜久井町・若松町に接する。北東部は、馬場下町に接する。北部は、諏訪通りに接し、これを境に西早稲田2丁目に接する。西部は、明治通りに近く、これを境に大久保2・3丁目に接する。南部は、大久保通りに接し、これを境に新宿7丁目と若松町に接する。
町域内は、一般住宅や、「戸山ハイツ」と呼ばれる集合住宅の他、徳川家の回遊庭園が置かれた際に造られ現在でも残っている箱根山を中心とした都立戸山公園といった緑地や、東京都立戸山高等学校・学習院女子大学・早稲田大学戸山キャンパスといった文教施設、国立国際医療研究センター戸山病院といった医療施設も見られる。
歴史
1981年まで1・2・3丁目のほぼ全域が戸山町(とやまちょう)という1つの町域を構成していた。この名前は、現在でも町域内にある店舗名やバス停などで見ることが出来る。
江戸時代は尾張徳川家の下屋敷があり、特に屋敷の回遊庭園(戸山山荘)は、小石川後楽園に並ぶ江戸の大名庭園でも指折りの庭園であった。しかし、風水害で荒廃し、幕末に焼失後はそのまま復興されなかった。明治時代になり、現在の大久保や百人町も含むこの付近は軍用地として利用された。近辺は戸山ヶ原と呼ばれ陸軍の射撃場や陸軍の軍人養成機関である陸軍戸山学校など軍事関係の施設が設置された。これらの施設は、第二次世界大戦終結まで存在した。戦後すぐに住宅難で家が不足する事態に陥り、これを打破すべく、東京都によって都営住宅が建設され、都内の団地の原点ともいえる「戸山ハイツ」が1949年に完成した。1970年代に、鉄筋コンクリートの高層住宅に立て替えられたが、現在でも町域内の中心的な存在となっている。
沿革
- 江戸時代 - 牛込破損町、および戸山山荘。
- 1872年 - 戸山山荘が下戸塚村[2]となる。
- 1878年 - 郡区町村編制法施行により牛込区発足。下戸塚村は一部のみ牛込区の区域となり牛込下戸塚町となる。
- 1889年 - 市制施行により東京市牛込区となる。
- 1911年 - 牛込破損町を破損町、牛込下戸塚町を下戸塚町に改称。
- 1923年 - 破損町・下戸塚町の区域をもって戸山町が誕生。
- 1943年 - 東京都制施行により東京都牛込区戸山町。
- 1947年 - 牛込区は四谷区・淀橋区と合併し新宿区となる。新宿区戸山町。
- 1981年 - 住居表示実施により戸山町は戸山一丁目~三丁目の各一部となる。
交通
町域内に存在する鉄道駅は西早稲田駅[3]のみであるが、新大久保駅、東新宿駅、若松河田駅、東西線の早稲田駅が利用可能な範囲にある。幹線道路沿いにバス便も多く、これを利用する者もいる。
施設
- 東京都戸山庁舎
- 東京都心身障害者福祉センター
- 都営戸山ハイツ団地
- 戸山公園
- 新宿区立戸山図書館
- 新宿戸山郵便局
- 東京都立戸山高等学校
- 学習院女子大学
- 学習院女子中・高等科
- 早稲田大学戸山キャンパス(文学部・文化構想学部)
- 新宿区立西早稲田中学校(旧戸塚第一中学校)
- 新宿区立東戸山小学校
- ステパ新宿 - ロードサイド店舗
- 国立感染症研究所
- 独立行政法人国立国際医療研究センター
- 東京都心身障害者福祉センター
- 清源寺
現存しない施設
ギャラリー
-
早稲田大学戸山キャンパス
-
学習院女子大学
-
戸山公園(箱根山地区)入口
-
箱根山の麓の登り口
-
東京都立戸山高等学校
-
国立国際医療研究センター戸山病院
-
国立感染症研究所
脚注
- ^ 住民基本台帳の町丁別世帯数及び男女別人口(日本人と外国人の合計) 新宿区
- ^ 「和田外山」という小字があった。この小字は牛込下戸塚町になっても引き継がれた。
- ^ 「西早稲田」という駅名であるが、所在地は戸山である。