広島菜

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ヒロシマナ
広島菜の漬物
分類
: 植物界 Plantae
: 被子植物門 Magnoliophyta
: 双子葉植物綱 Magnoliopsida
: アブラナ目 Brassicales
: アブラナ科 Brassicaceae
: アブラナ属 Brassica
: ラパ B. rapa
変種 : ミカワシマナ
var. toona Kitam.
階級なし : ヒロシマナ
subvar.hiroshimana
学名
Brassica rapa L. var. toona Kitam. subvar.hiroshimana Kitam.
和名
ヒロシマナ

広島菜(ひろしまな)とは、アブラナ科に属する野菜で白菜の一種[1]

通常1株が2~3kgと重量があり、葉は大きく、幅も広い。利用はほぼ全てを広島菜漬として使用される。高菜野沢菜とともに日本三大漬菜に数えられる[2]。主に中国山地から瀬戸内海に流れる太田川流域(広島市安佐南区)の川内地区(アストラムライン中筋駅が近い)などで、品種・系統及び栽培の改良を重ねながら栽培されている。

耐暑性が劣り、低温感応性が敏感であるため、栽培の大部分は秋まき年末どりの露地栽培である。大別して立型と開張型があり、さらにこれらの中で種類がたくさんあり、栽培されている品種・系統は多い。広島菜は内婚弱性が強く、純化が進み過ぎると採種量が激減するため、採種の際にはある程度の種内変異を持たせながらの系統維持を心がけなければならない。

概要

広島菜漬は、8月播き11月収穫の作型の広島菜を二つ割りにして塩漬けにしたものを使うことが多く、これを2度漬けして塩度4%程度に漬け上げたものである[2]

市販品は漬け上がったものに調味液を加えて密封したもので、緑色を保つために冷凍で保存し、出荷の移送中に解凍状態になり店頭に並ぶ[2]。冷凍漬菜にして緑色を保つ方法は食物繊維の多い野菜に限られるため、広島菜漬、新高菜漬、菜の花漬、茄子しば漬など限られた種類の漬物でしか実用化されていない[2]

安佐南区内の小中学校では校外学習の一環として広島菜の栽培から収穫およびその後の漬ける作業を実施し、給食の一部として提供する学校もある。[要出典]

2007年12月からセガの系列のアミューズメント施設(現在はセガ エンタテインメントがアミューズメント施設を運営)限定で、UFOキャッチャーなどの景品として、戦闘糧食II型を投入、そのラインアップ4種の一つに「広島菜ピラフ」が選ばれ話題を呼んだ。[要出典]

2021年2月にはふりかけで有名な三島食品広島県広島市)が、広島菜を使った混ぜごはんの素「ひろし」を発売した[注 1]。まとめ買いする消費者の多発により、店頭や通販で見かける事すらない品薄状態が長期間続き、評判を聞いた他のスーパーから引き合いがあっても、供給が追いつかないほどの人気を博し、発売から2ヶ月で年間販売目標の1万ケースを達成した。SNSでも『初の男兄弟が登場?』『知らん男が増えてる』『君は誰だ』『ゆかりの何なのか、弟?恋人?』等と話題を集めた[注 2][3][4][5]。三島食品は既に広島菜を使った製品で「菜めし」シリーズを展開しているが、原材料が「ひろし」は広島菜のみを具材に主な味付けも砂糖食塩のみ[6][5]なのに対して、「菜めし」シリーズは広島菜の他に京菜大根の葉も併用され、味付けも砂糖や塩の他に複数の旨味成分が調合されている[7][5]

歴史

起源についての定説は無いが、慶長年間に広島藩主参勤交代の時、同行した観音村(現広島市西区観音町)住人が江戸から帰る途中に京都西本願寺へ参詣し、観音寺白菜を持ち帰って栽培したのが最初とされる。明治に入り川内村(現広島市安佐南区川内)の木原才次が従来の京菜との交配で改良を重ね、現在の広島菜の原型を川内村でつくりあげたとされている。

他にも説があるが、どの説も京都から伝えられた事は共通しており、「京菜(きょうな)」は、その形状から「平茎(ひらぐき)」とも呼ばれていた[8]。明治初期に瀬戸内海を経て海路にて京阪地方へ出荷されるようになり関西でも知られるようになっていった。

「農事調査第四報(広島県農会・明治38年)」によると、1899年(明治32年)にはすでに広島菜の主産地として、安佐郡川内・三川・緑井村(現広島市安佐南区川内・安古市・緑井)、及び御調郡向島西村(後の尾道市向島町)などを挙げている。現在と異なるのは、尾道の向島でかなりの広島菜を生産していたことで、当時は瀬戸内海を航行する船舶の需要、及び京阪地方への船便出荷が盛んであったと推察される。その頃の広島菜漬の生産は栽培農家の漬け込みによって行われ、自ら市場へ出荷販売するか、仲買人を経て販売されていた。

専門の漬物製造業者による本格的な広島菜漬の製造販売は大正時代に入ってからで、上田兼一等によって始められたようである。県内業者が全国向けの特産品として名称を統一したのは昭和初期のことであり、名称が一般化したのは、1933年(昭和8年)に広島市猿楽町(現広島市中区大手町)の広島県産業奨励館(後の原爆ドーム)で命名展示されてからといわれる。[要出典]

メーカー

脚注

注釈

  1. ^ 公式HP等では、後述の「うめこ」や「菜めし」シリーズと同様にふりかけではなく、混ぜごはんの素として、カテゴライズされている。
  2. ^ 三島食品は同社を代表するヒット商品のふりかけ「ゆかり」や姉妹品の「かおり」「あかり」「うめこ」を販売しており、近年SNSで話題を集め、売り上げを伸ばしている。

出典

  1. ^ 広島菜』 - コトバンク、2018年2月17日閲覧。
  2. ^ a b c d 漬物の製造法”. 全日本漬物協同組合連合会. 2022年4月8日閲覧。
  3. ^ トップ > コラム・連載・特集 > 特集 > 売れっ子になった「ひろし」誰なのか SNSで話題、三島食品が託した重大ミッション【イラスト解説】”. 中國新聞 デジタル. 2021年7月16日閲覧。
  4. ^ ホーム > 加工食品 > ふりかけ > 新顔「ひろし」バズる 年間目標2か月で到達 三島食品”. 食品新聞. 2021年4月28日閲覧。
  5. ^ a b c TOP > レシピ > ソース・調味料 > 売り切れ続出で入手困難! 「ゆかり」でおなじみ三島食品の広島菜ふりかけ「ひろし」を買ってみた”. 「食楽 web SYOKURAKU」 食べるのが好き、飲むのが好き、遊ぶのが好き! 美食と酒の悦楽探求 web マガジン. 2021年4月16日閲覧。
  6. ^ 三島食品HOME > 商品ラインナップ > 混ぜごはんの素 > ひろし”. ゆかり®三島食品. 2021年7月31日閲覧。
  7. ^ 三島食品HOME > 商品ラインナップ > 混ぜごはんの素 > 菜めし”. ゆかり®三島食品. 2021年7月31日閲覧。
  8. ^ 広島菜(広島市)”. 広島県. 2020年7月15日閲覧。

外部リンク