南座
京都四條南座 Kyōto Sijō Minami-za | |
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情報 | |
通称 | 南座 |
正式名称 | 京都四條南座 |
客席数 | 1,078席 |
設備 |
場内:花道 その他:飲食店、売店 |
用途 | 歌舞伎など |
運営 | 松竹株式会社 |
所在地 |
〒605-0075 京都府京都市東山区四条通大和大路西入中之町198 |
アクセス | 最寄り駅を参照 |
外部リンク | 京都四條南座 |
南座(みなみざ)は京都府京都市東山区にある劇場。正式名称は京都四條南座(きょうとしじょうみなみざ)。松竹が経営している。近代建築に桃山風の意匠を取り込んだ地上4階地下1階の建物は国の登録有形文化財となっている[1]。
歴史
江戸時代(元和年間)から続くとされる、日本最古の劇場である。名称の由来は、四条通の南側に位置しているため。
江戸時代初期、四条河原には幕府公認の芝居小屋が七座存在した。その後、火事で幾度も焼失し、また興行の中心が大坂に移ったため次第に数を減らし、江戸時代中期には四条通りの南(南の芝居)と北(北の芝居)、大和大路の西(西の芝居)の三座となった。西の芝居は1794年(寛政6年)の大火後は再建されず、二座が残った。さらに南座の向かいにあった北座は1892年(明治25年)四条通の拡張に伴い閉鎖され、南座のみになった。
1906年(明治39年)に松竹に買収され、以後松竹の直営となっている。1913年(大正2年)に大改築を行い、定員1436人の大劇場(木造)になった[2]。
1929年(昭和4年)1月に建替えに着手、同年11月に竣工し、同月25日に開場式が行われた。桃山風意匠の鉄骨鉄筋コンクリート造5階建てで、定員は1527人(当時)。設計施工は白波瀬工務店で、設計実務を担当したのは元京都市営繕課長の安立糺である[3]。
1991年(平成3年)に改修工事が行われ、桃山風の外観を残しつつ最新設備を備えた劇場として10月28日に新装開場した。1996年(平成8年)に国の登録有形文化財になった。
2015年(平成27年)から耐震診断が行われたが、改正耐震改修促進法の耐震基準を満たしていないことが判明し、劇団前進座の初春公演が終わった2016年(平成28年)1月19日から公演は行われず休館となっている[1]。耐震工事を行うため5月以降に工事計画が発表される予定となっている[1]。
特徴
出雲阿国が1603年(慶長8年)の春、京・四条河原で阿国かぶきを創始したことが歌舞伎の起源とされるが、その歌舞伎発祥の地で悠久400年近くに亘る今日まで歌舞伎を上演しているという意味で、日本最古の歴史と伝統を持つ劇場と言われる。現在も歌舞伎を中心にした公演を行っており、特に毎年11月末日から12月末まで行われる吉例顔見世興行は京都の風物詩となっている。このときには役者の名前を勘亭流で書いた「まねき」と呼ばれる、白木の看板が劇場の入り口上にずらりと並べられることで有名。
歌舞伎以外にも演劇やコンサートの公演が行われている。1992年(平成4年)には南座によりミュージカル「ドラゴン・クエスト」(SMAP主演)が制作されたり、2007年(平成19年)には52年ぶりにOSK日本歌劇団のレビューが復活するなど、伝統を重んじる一方で新たな試みも行われている。
所在地
〒605-0075 京都府京都市東山区四条通大和大路西入中之町198
四条大橋東詰(四条川端東入る南側)に位置し、四条河原町から鴨川にかかる四条大橋を渡って八坂神社方面へ行く途中にある。
最寄り駅
定紋
松竹マークが使用されている。
関連項目
出典
- ^ a b c “京都・南座、耐震改修で休館 再開時期は未定”. 京都新聞. (2016年2月5日) 2016年2月5日閲覧。
- ^ 『南座松竹経営顔見世百年記念史』2006年
- ^ 日本経済新聞 2013年7月1日、石田潤一郎「京の和風モダン建築十選」3
- ^ 京都での『有頂天家族』先行プレミアイベントより公式レポをお届け! アニメイトTVニュース 2013年6月17日、2014年12月25日閲覧。
外部リンク
座標: 北緯35度0分12.71秒 東経135度46分20.47秒 / 北緯35.0035306度 東経135.7723528度