中村真衣

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中村真衣
選手情報
フルネーム 中村真衣
国籍 日本の旗 日本
泳法 背泳ぎ
所属 JSS長岡
生年月日 (1979-07-16) 1979年7月16日(44歳)
生誕地 新潟県長岡市
身長 170cm[1]
体重 67kg[1]
獲得メダル
競泳女子
オリンピック
2000 100m背泳ぎ
2000 4×100mメドレーリレー
世界水泳選手権
1998年 100m背泳ぎ
1998年 200m背泳ぎ
1998年 4×100mメドレーリレー
世界短水路選手権
1999年 100m背泳ぎ
1999年 200m背泳ぎ
1999年 4×100mメドレーリレー
1999年 50m背泳ぎ
アジア競技大会
1998年 100m背泳ぎ
1998年 200m背泳ぎ
1994年 100m背泳ぎ
パンパシフィック水泳選手権
1997年 100m背泳ぎ
1997年 200m背泳ぎ
1999年 100m背泳ぎ
1995年 100m背泳ぎ
1997年 4×100mメドレーリレー
1999年 4×100mメドレーリレー
ユニバーシアード
2001年 100m背泳ぎ
2001年 50m背泳ぎ
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中村 真衣(なかむら まい、1979年7月16日 - )は、新潟県長岡市出身の元競泳選手。2000年シドニーオリンピック100m背泳ぎ銀メダリスト・400mメドレーリレー銅メダリスト。

経歴

中村が幼い頃に両親が離婚し、以後母親の手ひとつで育てられた。

4歳から市内のスイミングスクール、JSS長岡に通ったが、徐々に力をつけ地元の大会で好成績を収めるようになる。中学3年生で日本選手権100m背泳ぎで初優勝を果たした。

1996年、高校2年生で1996年アトランタオリンピックに出場するが、女子100m背泳ぎは4位入賞と惜しくも表彰台を逃した。ほか女子200m背泳ぎは9位、女子4x100mメドレーリレー田中雅美青山綾里千葉すず)は予選落ちに終わった。

1998年中央大学法学部に進学するが、故郷の母親を気遣い、引き続きJSS長岡に籍を残し、以後大学の大会以外にはJSS長岡登録選手として出場した。

大学3年で出場した2000年シドニーオリンピックに出場。女子100m背泳ぎでは惜しくも優勝を逃したが2位入賞を果たして銀メダルを獲得。そして女子4×100mメドレーリレー(田中雅美・大西順子源純夏)では3位入賞で銅メダルを獲得、五輪で2つのメダルを獲得した。

2002年に中央大学卒業後は直ちに帰郷、プロスイマーに転向し、2004年アテネオリンピックへの出場を目指したが、中村礼子ら後輩の成長や自身の体の衰えもあり、3大会連続の五輪出場を逃した。引退を考えていた矢先の2004年10月23日新潟県中越地震に被災、母親と数日間の車中泊も経験。そこで「もう一度奮起することで、ふるさとの人たちを勇気付けたい」と、現役続行を決断した。

しかしやはり体の衰えには勝てず、2006年に入ると、肩の不調を訴えるようになった。この年の日本選手権で代表を勝ち取った2007年の世界選手権で惨敗。間を置かずに行われた日本選手権には出場せず、同年4月27日、地元長岡で選手引退を表明した。今後については、何らかの形で水泳にかかわっていきたいとしており、現在は主に、子供を対象とした水泳指導を中心に活動している。また、同年6月27日テレビ東京系列で放送された『いい旅・夢気分』では、かつての代表としての戦友でもある田中雅美・岩崎恭子とともに伊豆を旅した(岩崎・田中は元々仲がいい友達であり同番組には度々登場していたが、中村が引退してタレント活動もできるようになったのを契機に、大学の先輩である田中から声がかかったようである)。

2013年9月から1年間アメリカ合衆国へコーチ留学を行った[2]

出演

脚注

  1. ^ a b シドニーオリンピック日本代表選手団名簿”. JOC. 2020年2月14日閲覧。
  2. ^ 朝日新聞デジタル

外部リンク

記録
先代
スペインの旗ニーナ・ズヒベインスカヤ
女子50m背泳ぎ
世界記録保持者(長水路)

2000年4月25日 – 2000年6月17日
次代
ドイツの旗サンドラ・ボルカー