井本直歩子

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井本直歩子
国籍 日本の旗 日本
泳法 自由形
所属 イトマン
JSS東京
生年月日 (1976-05-20) 1976年5月20日(47歳)
生誕地 東京都[1]
身長 172 cm
体重 60kg[2]
血液型 A型
獲得メダル
競泳女子
日本の旗 日本
パンパシフィック水泳選手権
1995 アトランタ 400mリレー
アジア競技大会
1994 広島 50m自由形
1990 北京 50m自由形
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井本 直歩子(いもと なおこ、1976年5月20日 - )は、東京都出身[1]の元競泳選手で1996年アトランタオリンピック日本代表。近畿大学附属高等学校慶應義塾大学総合政策学部卒業。国連児童基金教育専門官[3]日本バドミントン協会理事・一般社団法人SDGs in Sports[4]代表理事。血液型はA型。

経歴[編集]

父は建築家・母はデザイナーという建築一家で、姉と弟の5人家族[5]

3歳の時に水泳を始め、B&G東京に所属し小学6年生で50m自由形で日本学童新記録を樹立した[6]

中学から大阪のイトマンに所属[7]。近畿大学附属中学校2年、1990年北京アジア大会に最年少で出場し、50m自由形で銅メダルを獲得[3]

近畿大学附属高等学校では、1994年広島アジア大会の50m自由形で優勝、インターハイで3連覇した(100m自由形)。高校卒業後、通常であれば近畿大学へ進学するが、国際試合や遠征を通じて、様々な国に関心を寄せるようになり国際的な仕事がしたいと思い、慶應義塾大学総合政策学部に進学した[8]。所属クラブはJSS東京[2]。1995年、パンパシフィック水泳選手権、4x100mリレーで3分44秒8の日本記録を樹立[2]

20歳で迎えた、1996年アトランタオリンピックに出場し、200m自由形と4x100mリレーでは予選落ちしたが、千葉すず山野井絵理三宅愛子と組んだ4x200mリレーで4位入賞。

その後慶應大学を休学し、水泳で奨学金を得られるアメリカサザンメソジスト大学に留学し、国際関係論を専攻した。

2000年シドニーオリンピック代表選考会で落選し現役を引退。慶應大学に復学して2001年に卒業。スポーツライターとして水泳、サッカー、陸上などの執筆活動を続けた[7]

スピードスケート選手の橋本聖子参議院議員の秘書を1年間務め[8]、2003年にはマンチェスター大学大学院修士号取得(貧困・紛争・復興)後、国際協力機構のインターンとしてガーナへ派遣[9]2007年から国連児童基金(ユニセフ)職員となりスリランカへ派遣[10]、事務所教育専門官として2011年ハイチ[11](東日本大震災後に一時帰国。)、2013年フィリピン[8]2014年マリ[12]を経て、2016年からギリシャアテネに赴任している[13]2023年から日本バドミントン協会理事[14]

2009年ニューズウィークが選ぶ「世界が尊敬する日本人100人」に選ばれた[12]。2020年1月に日本財団主催の「HEROs AWARD 2019」を受賞した[15]

2020東京オリンピック聖火の引継ぎ[編集]

2020年東京オリンピックの聖火リレー引き渡し式がギリシャのアテネで2020年3月19日に行われた。井本も日本代表としてこの式で聖火を引き継いだ。

この引き渡し式は、日本から子供たちの代表も渡航して日本の文化パフォーマンスをおこなうなど盛大に行う予定であった。だが、2020年1月からの新型コロナウイルスの世界的感染拡大の事態に2020年3月6日には観客を入れずに規模を縮小して行うこととされた[16]。新型コロナウイルスの猛威は大きくなる一方で、アメリカやヨーロッパでの感染拡大による非常事態宣言がでるに及んだ。ギリシャも入国者14日間隔離措置を開始した。引継ぎ式の2日前の3月17日に、代表としての組織委員会会長森喜朗、事務総長武藤敏郎、柔道男子野村忠宏、レスリング女子吉田沙保里といった代表一行は日本からの渡航ができず列席不可と発表した[17]。この事態におよんで、日本側は式で聖火を受け取る日本側の代表となる代役を急遽探した。ギリシャ在住中、元オリンピック選手、現在ユニセフ職員として世界中の難民や移民を支援している、という適任者の井本が運よく見つかった。大使館から依頼を受けたのは引き渡し式の前日だった[18]

式の前日の大使館からの電話は、「明日あいてますか?」「仕事していますけどなんですか?」とのやりとりではじまった。そして、この大役を聞かされた。井本は「頭が真っ白になった、絶句だった、心臓がバクバクしました」。その後、組織委員会からの「白か赤のジャケットがあれば」といわれたがもちあわせていなかった。友人たちをあたって、無事赤白のいで立ちで式に臨み、この大役を果たした[18]

脚注[編集]

  1. ^ a b 五輪スイマーからユニセフ職員へ ユニセフ教育専門官 井本直歩子さんの横顔”. ユニセフ (2020年3月19日). 2022年9月20日閲覧。
  2. ^ a b c 井本 直歩子(水泳・競泳)プロフィール”. 第26回オリンピック競技大会(1996/アトランタオリンピック). 日本オリンピック委員会. 2022年9月20日閲覧。
  3. ^ a b 教育を通した国際支援プロジェクトを主導する 元五輪スイマー 卒業生 井本直歩子君(総合政策学部卒)」『塾』第303号、慶応義塾大学、2019年10月21日、2022年9月20日閲覧 
  4. ^ SDGs in Sportsホームページ
  5. ^ 日本経済新聞(2023年4月4日)
  6. ^ 第2話 心に抱いた2つの大志”. 注目の人 成果が実感できる支援をめざしたい 途上国の支援で世界を駆ける元オリンピックスイマー、井本直歩子. B&G財団. 2022年9月20日閲覧。
  7. ^ a b 井本直歩子”. Sports Graphic Number. 著者プロフィール. 2022年9月20日閲覧。
  8. ^ a b c UNICEF編 国際機関で働こう!マリ事務所 教育専門官 井本直歩子さん”. 留学ジャーナル. 2022年9月20日閲覧。
  9. ^ 上田昭夫 (2007年9月5日). “井本直歩子さんと会食!”. 上田昭夫のひ・と・り・ご・と. フジテレビ. 2012年7月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月20日閲覧。
  10. ^ 最終話 大きな目で世界を見よう”. 注目の人 成果が実感できる支援をめざしたい 途上国の支援で世界を駆ける元オリンピックスイマー、井本直歩子. B&G財団. 2022年9月20日閲覧。
  11. ^ 8日(金)NHK教育「視点・論点」 井本直歩子ユニセフ・ハイチ事務所教育担当官 東北大震災の支援活動報告「子どものための優しい空間」』(プレスリリース)日本ユニセフ協会、2011年4月8日https://www.unicef.or.jp/osirase/back2011/1104_06.htm2022年9月20日閲覧 
  12. ^ a b ユニセフ日本人職員 講演会 『五輪スイマーから国連職員へ スポーツの力で平和を』 4月12日(火)18時00分~19時30分 ユニセフハウス(港区) スピーカー:ユニセフ・マリ事務所 教育専門官 井本直歩子』(プレスリリース)日本ユニセフ協会、2016年3月30日https://www.unicef.or.jp/osirase/back2016/1603_31.html2022年9月20日閲覧 
  13. ^ 4月6日は「開発と平和のためのスポーツ国際デー」 -井本直歩子さん(アトランタ五輪競泳日本代表選手、 ユニセフ・ギリシャ事務所 教育専門官)が選ぶ「持続可能な開発目標(SDGs)」-』(プレスリリース)国連広報センター、2017年4月3日https://www.unic.or.jp/news_press/info/23910/2022年9月20日閲覧 
  14. ^ 役員改選に関するお知らせ公益財団法人日本バドミントン協会
  15. ^ HEROs AWARD 2019・HEROs OF THE YEARが決定』(プレスリリース)日本財団、2020年1月20日https://www.nippon-foundation.or.jp/what/projects/activity/40075/2022年9月20日閲覧 
  16. ^ 荻島弘一 (2020年3月6日). “森会長「断腸の思い」聖火引継式への子ども派遣中止”. 日刊スポーツ. https://www.nikkansports.com/olympic/tokyo2020/torch-relay/news/202003060000668.html 2022年9月20日閲覧。 
  17. ^ “聖火引き継ぎ式が大幅縮小「残念」森会長は渡航中止”. 日刊スポーツ. (2020年3月17日). https://www.nikkansports.com/olympic/tokyo2020/torch-relay/news/202003170001225.html 2022年9月20日閲覧。 
  18. ^ a b 2020年3月19日報道ステーション[出典無効]

外部リンク[編集]