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下北郡

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日本 > 東北地方 > 青森県 > 下北郡
青森県下北郡の範囲(1.大間町 2.東通村 3.風間浦村 4.佐井村。黄:発足時)

下北郡(しもきたぐん)は、青森県で、本州最北の郡。人口12,635人、面積551.92km²、人口密度22.9人/km²。(2024年5月1日、推計人口

以下の1町・3村を含む。

郡域

1878年(明治11年)に発足した当時の郡域は、上記1町3村のほか、現在のむつ市を含む。

歴史

  • 藩政時代は、盛岡の南部家の支配に属し、おおむね田名部代官所支配地であり、現在の上北郡も含む北郡に属した。

郡発足前の沿革

  • 明治初年時点では、後の当郡域の全域が盛岡藩[1]であった。「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点に存在した村は以下の通り。(34村)
田名部村、安渡村[2]、大平村[2]、田屋村、砂子又村、奥内村、中野沢村、大利村、目名村、蒲野沢村、野牛村、岩屋村、尻屋村、猿ヶ森村、尻労村、小田野沢村、白糠村、関根村、正津川村、大畑村、下風呂村、易国間村、蛇浦村、大間村、奥戸村、佐井村、長後村、城ヶ沢村、川内村、檜川村、宿野部村、蠣崎村、小沢村、脇野沢村

郡発足後の沿革

1.田名部村 2.東通村 3.風間浦村 4.大湊村 5.大畑村 6.大奥村 7.佐井村 8.脇野沢村 9.川内村(紫:むつ市 青:合併なし)
  • 1878年(明治11年)
    • 7月22日 - 郡区町村編制法の施行により、北郡の一部(旧第6大区)をもって行政区画としての下北郡が発足。郡役所を田名部村に設置。
    • 大湊村が安渡村・大平村に分村。(34村)
  • 1879年(明治12年) - 安渡村が大湊村に改称。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により以下の町村が発足。(9村)
    • 田名部村 ← 田名部村、関根村、奥内村、中野沢村(現むつ市)
    • 東通村 ← 大利村、目名村、蒲野沢村、野牛村、岩屋村、尻屋村、尻労村、猿ヶ森村、小田野沢村、白糠村、砂子又村、田屋村
    • 風間浦村 ← 易国間村、下風呂村、蛇浦村
    • 大湊村 ← 大湊村、大平村、城ヶ沢村(現むつ市)
    • 大畑村 ← 大畑村、正津川村(むつ現市)
    • 大奥村 ← 奥戸村、大間村(現大間町)
    • 佐井村 ← 佐井村、長後村
    • 脇野沢村 ← 脇野沢村、小沢村(現むつ市)
    • 川内村 ← 川内村、檜川村、宿野部村、蠣崎村(現むつ市)
  • 1899年(明治32年)1月1日 - 田名部村が町制施行して田名部町となる。(1町8村)
  • 1917年大正6年)10月31日 - 川内村が町制施行して川内町となる。(2町7村)
  • 1923年(大正12年)3月31日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
  • 1926年(大正15年)6月30日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
  • 1928年昭和3年)11月10日 - 大湊村が町制施行して大湊町となる。(3町6村)
  • 1934年(昭和9年)5月1日 - 大畑村が町制施行して大畑町となる。(4町5村)
  • 1942年(昭和17年)11月3日 - 大奥村が町制施行・改称して大間町となる。(5町4村)
  • 1959年(昭和34年)9月1日 - 田名部町・大湊町が合併して大湊田名部市(現むつ市)が発足し、郡より離脱。(3町4村)
  • 2005年平成17年)3月14日 - 川内町・大畑町・脇野沢村がむつ市に編入。(1町3村)

変遷表

参考文献

脚注

  1. ^ 記載はすでに斗南藩。
  2. ^ a b 記載はすでに大湊村となっている。

関連項目