ミスター高橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Lifeonthetable (会話 | 投稿記録) による 2022年5月27日 (金) 13:40個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

ミスター高橋(ミスターたかはし、1941年1月24日 - )は、日本の作家小説家、元新日本プロレスのレフェリー、マッチメイカー。本名は高橋 輝男(たかはし てるお)。ニックネームは「ピーター」。

流血の魔術 最強の演技 すべてのプロレスはショーである』の著者。

人物・経歴

1941年1月24日[1]神奈川県横浜市に生まれる[1]。元プロレスラー山本小鉄とは幼馴染柔道三段[1]パワーリフティングヘビー級初代日本選手権者。

1963年プロレスラーに転向。山口利夫一派としてアジア各地を転戦する[2]

1972年12月、新日本プロレスに入社[1]。以来25年余にわたりメインレフェリーとしてアントニオ猪木らの試合を2万試合以上裁き、審判部長、マッチメイカーも務める。また、NWAの公認レフェリーだったこともある。新日本プロレスに招聘される外国人レスラーの世話係も担当した。レフェリー在任中に、『月刊デラックスプロレス』にプロレスラーのリング外のエピソードを題材にした連載「陽気な裸のギャングたち」を持ち、数々の外国人レスラーの陽気な素顔を紹介していた。

ワールドプロレスリング』がゴールデンタイムで放送していた頃、プロレスがショーであることを悟られないためにあくまでタイムキーパーは自身が行い、時間内に『ワープロ』の試合が終わらないことがあるのはいつも放送時間内に終わるとショーであることが感付かれるために行われた演出であることはプロデューサーの栗山満男にすら明かさなかった。当時はそれだけ高橋もプロレスがショーであることを知られないように努力していた[3]

新間寿は「ミスター高橋は大事な試合はまるで任せてもらえなかった」と発言しているが、新間が例として挙げている試合は、ほとんどが他流試合(ストロング小林大木金太郎戦など)か異種格闘技戦ウィレム・ルスカモハメド・アリ戦など)で、新日本所属レフェリーだった高橋が裁く道理がないものばかりである(ただし、この件については宮戸優光の「いかにレフェリーとして認められていなかったという証明ですからね」という発言もある[4])。事実、NWFIWGPのタイトルマッチなど、新日本の通常の興行における大勝負はほとんど高橋が裁いている。

平成に入ると、長州力の信任を受けたタイガー服部にメインレフェリーの座を譲り、1998年にレフェリーを引退。東放学園高等専修学校の体育講師となる。

2000年前後からプロレス界の裏話をまとめた本を執筆。初回作『プロレス 至近距離の真実』では、広く世間に知られた有名レスラーたちの素顔や意外な一面、そして著者自身の経験談などを綴った。

しかし次作の流血の魔術 最強の演技 すべてのプロレスはショーであるで、一般には知られていないプロレス界の裏舞台に関する内容を赤裸々に記した。同書は暴露本とされることがあるが、高橋本人はそれを否定して「プロレス界への提言」だとしている[5]

近年は、プロレスの裏側を題材にした小説『東京デンジャラスボーイ』シリーズなどを執筆している。また、別冊宝島のプロレスムック本に掲載された原田久仁信劇画に原作を提供している。

2008年11月1日、新日本プロレスのリングドクター林督元が主催する「ドクター林リサイタル」に出演。『流血の魔術 最強の演技 全てのプロレスはショーである』執筆後、公の場では初めて、新日本プロレスの関係者と競演。

レスラーの人物についての談話

  • 高橋は「ブルーザー・ブロディにとってプロレスはギャラを稼ぐ手段以上の何かであったはずである」と漠然とだが、ブロディのプライドの高さについて評している[6]
  • ローラン・ボックのことを技を受けるのが下手な「しょっぱいレスラー」と評した[7]
  • トニー・セント・クレアーアントニオ猪木の延髄切りを受けたら右に出る者はいないレスラーであったという[8]
  • 1980年代のハルク・ホーガンは人権意識が薄い時代背景もあろうが「ニガー」などの黒人差別用語を日常的に使用していたという[9]
  • ドン荒川の「トンパチ伝説」は多くが演技であったと話している[10]
  • 山本小鉄の「鬼軍曹」「頑固親父キャラ」はキャラ作りであり、実際は堅物ではなく酒、競馬、バラエティ番組への出演を好む一面があったという[11]
  • 日本プロレス最強の男は誰か?」という議論において、日本プロレスが存在していた当時大坪清隆というレスラーの名前が挙がることがしばしばあったが、高橋は「最強だったかどうかは分からない」という立場を示している[12]

アンドレ・ザ・ジャイアントについての談話

  • スターがファンに近付きすぎてはいけないという哲学からファンサービスを好まなかったと評している[13]
  • 「巨体の家系であり家族は全員2m以上の身長がある」というエピソードがあるがこれは虚説であり、実際は隔世遺伝と推測されるホルモン異常が原因であったと伝えている[14]
  • 高橋によると、酒量はバスでの移動中なら瓶ビール40本程度、食事量は全盛期でも3人前から4人前とのこと[15]

アントニオ猪木についての談話

  • 猪木はモハメド・アリとは本当の友情で結ばれてはおらず、2人の間の友情はビジネス上の演出であった、と高橋は主張している。むしろアリの方はアントニオ猪木対モハメド・アリを厄介な出来事としてできるだけ触れないようにしていたという[16]
  • 猪木が認め評価していたのは藤波辰爾ではなく長州力と話している[17]

評価・反応

高橋の著書『流血の魔術 最強の演技 すべてのプロレスはショーである』は、プロレス関連本としては異例の20万部弱というベストセラーを記録し、版元の講談社が出稿した書籍広告もあいまって、日本のプロレス業界、マスコミ、そしてファンに対して大きな衝撃を与えた。これが一因でプロレス業界は凋落し、プロレス専門誌も売り上げを落としていったという見方がある[18][19][20][21]

  • 出版の動機は、高橋が「警備会社を作り、引退したレスラーの受け皿とする。新日本が全面的にバックアップする」という約束で退社したにもかかわらず、その約束を反故にされた恨みと言われている。しかし高橋本人はこれを否定している[22]。また、気心の知れたレスラーに「私の本に対して反論しないか。一般誌上で論戦を繰り広げる。そうすれば私の本ももっと売れるし、君の業界での評価も上がる」という話を持ちかけていたことが、『週刊ゴング』編集長の金澤克彦により同誌で記載されている[要出典]新間寿は「高橋に何度も『公開討論会をやろう』と言っているのに返事をよこさない」と発言している[23]

この著作に対して、当時の各団体、プロレスマスコミは軒並み黙殺した[24]

ただし高橋によれば、高橋が暴露本を出版をちらつかせ新日本プロレスを恐喝しようとしたなどと言った中傷の流布などはあったものの[25]、直接的な脅迫・恫喝・嫌がらせの類は全くと言っていいほど見られなかったと言う[26]。ただ一件、既に引退したレスラーから電話があり「死ね、この野郎!」と恫喝された程度のもので[26][* 1]、それとは別に自動車を恐らく蹴りで損壊させられたことがあったが、著書との関係は不明であるとしている[26]

新日本プロレスでは長州力が同書の話題になると激怒[27]。アントニオ猪木は、高橋が喰うためにやったのだから放置しておけと相手にしないスタンスだったが[28]、新日本プロレス内部では、同書に対してノーコメントというマスコミ対応をするようにとの通達が出された[29]。多くのプロレスマスコミが触れない中、『紙のプロレス』が同書を取り上げて高橋にインタビューしたが、それを理由にプロレスリング・ノアが同誌に取材拒否を行った[24][30]

同書については、プロレス業界から離れたり、距離を置いている新間寿やターザン山本は、一時期高橋の本に対して頻繁に反論や批判を行っていたが[19]、山本の反論本は全く売れなかった[21]

当時は『週刊ゴング』誌上で正面切って取り上げることをしなかった同誌の元編集長の金澤克彦は、後にアダルトビデオのモザイクを喩えにして、疑似本番であることを明かすのは無粋であり営業妨害であると批判し[31]、そして当時『週刊ゴング』が高橋本を黙殺せずに戦うべきだったと考えを改めている[20]。一方、『週刊ファイト』紙は反論したところでヤブヘビだとのスタンスで黙殺をしたが、『週刊ゴング』同様に部数は激減していった[21]

元『週刊ファイト』編集長の井上義啓は、新日本プロレスにいた高橋が内幕を明かすことを問題視しながらも、内容そのものについては安直なプロレスにくさびを打ち込むものとして評価した[32]竹内宏介は、『週刊ゴング』で過去のアメリカのレフェリーであるレッドシューズ・ドゥーガンを引き合いに出し、「彼はたとえ潰れた団体であっても決して軽々しく企業秘密を明かしたりしなかった。そういう口の堅い点も彼が名レフェリーとうたわれた一因だろう。私が誰に何を言いたいか賢明な読者の方にはわかってもらえると思う」と発言している[要出典]

新日本プロレスの元フロントの永島勝司は、高橋のやったことを背信行為として[28]、その主張をデタラメと推測と下しており[33]、高橋との対談をした際にはプロレスを八百長と暴露したことを許せないと高橋を糾弾した[5]

高橋の幼馴染だった山本小鉄は、「リングの魂を金に替えたヤツを友人と思わない」と発言した[34]

引退したプロレスラーでは、キラー・カーンは自分に関する記述を嘘であるとして否定。さらに新日本プロレスへの恨みが出版の動機ではないという高橋の説明について、自分の店で新日本プロレスの悪口を言っていたとしてこれも否定した。ストロング小林は、本の内容の真偽については保留しつつ、恨みが動機という点ではカーンに同調した[35]小畑千代は内容についての反論ではなく、新日本プロレスで仕事をしてきた人間が内情を明かしたことを倫理観がないとして、高橋に不快感を示した[36]

著書

小説
  • 『東京デンジャラス・ボーイ〈Vol.1〉反逆のセメントマッチ』(ゼニスプラニング、2004年)ISBN 9784915939372 

ISBN 4062569337(講談社+α文庫)

  • 『ダブルクロス :東京デンジャラス・ボーイ〈Vol.2〉』 (講談社、2005年)ISBN 4062569418
  • 『カミングアウト :東京デンジャラス・ボーイ〈Vol.3〉』(講談社、2005年)ISBN 4062569507
漫画原作
  • 落合裕介『太陽のドロップキックと月のスープレックス. v.1』(講談社、2004年)ISBN 4063289516
  • 落合裕介『太陽のドロップキックと月のスープレックス. v.2』(講談社、2004年)ISBN 4063289745
  • 落合裕介『太陽のドロップキックと月のスープレックス. v.3』(講談社、2004年)ISBN 406328994X

脚注

  1. ^ そのレスラーは全く名乗りもせずに電話を叩き切ったが、高橋はナンバーディスプレイを利用しており、相手の電話番号は丸わかりであったと言う。

出典

  1. ^ a b c d 髙橋 1984, p. 175.
  2. ^ 『別冊ゴング』1978年9月号
  3. ^ ミスター高橋『知らなきゃよかった プロレス界の残念な伝説』宝島社、2018年。ISBN 9784800289216 pp.140-141
  4. ^ ターザン山本 『プロレスファンよ感情武装せよ! ミスター高橋に誰も言わないなら俺が言う!』 ISBN 4775300628
  5. ^ a b 「『犬猿』ドリームマッチ実現! 『禁断の対談』 ミスター高橋vs永島勝司」『別冊宝島1599 プロレス下流地帯』宝島社、2009年、p.56
  6. ^ ミスター高橋(宝島社、2018年) pp.58-59
  7. ^ ミスター高橋(宝島社、2018年) pp.56-57
  8. ^ ミスター高橋(宝島社、2018年) pp.54-55
  9. ^ ミスター高橋(宝島社、2018年) pp.46-57
  10. ^ ミスター高橋(宝島社、2018年) pp.104-105
  11. ^ ミスター高橋(宝島社、2018年) pp.146-147
  12. ^ ミスター高橋(宝島社、2018年) pp.182-183
  13. ^ ミスター高橋(宝島社、2018年) pp.20-21
  14. ^ ミスター高橋(宝島社、2018年) pp.22-23
  15. ^ ミスター高橋(宝島社、2018年) pp.26-27
  16. ^ ミスター高橋(宝島社、2018年) pp.78-79
  17. ^ ミスター高橋(宝島社、2018年) pp.86-87
  18. ^ 井上譲二『プロレス「暗黒」の10年 検証・「歴史的失速」はなぜ起きたのか』宝島社、2008年、pp.18-19
  19. ^ a b 聞き手・堀江ガンツ「新日本の"過激な仕掛け人" そしてI編集長の"戦友" 新間寿」『底なし沼 活字プロレスの哲人 井上義啓 一周忌追善本』kamipro編集部編、kamipro books、p.161
  20. ^ a b 別冊宝島編集部「『さらば、ゴング』――"GK"金澤克彦が語る新日本プロレスを愛した16年」『新日本プロレス 「崩壊」の真相』別冊宝島編集部編、宝島文庫、2007年
  21. ^ a b c 井上譲二『プロレス「暗黒」の10年 検証・「歴史的失速」はなぜ起きたのか』宝島社、2008年、p24
  22. ^ 「ミスター高橋が振り返る『新日本3大暴動事件』」『新日本プロレス 「崩壊」の真相』別冊宝島編集部編、宝島文庫、2007年、p.153 または ミスター高橋 (2010) pp.27-32
  23. ^ ターザン山本『ここが変だよ ミスター高橋!』新紀元社、2003年、p.141
  24. ^ a b 井上譲二『プロレス「暗黒」の10年 検証・「歴史的失速」はなぜ起きたのか』宝島社、2008年、p25
  25. ^ ミスター高橋 2010, pp. 153–154.
  26. ^ a b c ミスター高橋 2010, pp. 130–131.
  27. ^ 金沢克彦「長州力vsGK金沢克彦 『最後の対談本』に書かれなかった『内容修正』をめぐる壮絶攻防!」『プロレスリングとカネ 暗黙の掟を破った男たち』別冊宝島編集部編、宝島文庫、2008年、p.192
  28. ^ a b 永島勝司『プロレス界を揺るがした10人の悪党』オークラ出版、2002年、pp.123-124
  29. ^ 田山正雄(元新日本プロレスレフェリー)「私はこうして『ユークス』に切られた」『別冊宝島1599 プロレス下流地帯』宝島社、2009年、p.43 または ミスター高橋 (2010) pp.132-133 (田山正雄からの伝聞として)
  30. ^ 吉田豪「『紙のプロレス』の我が闘争!!」『取材拒否!―リングの外にも、これだけの修羅場があった! 』桃園書房、2005年
  31. ^ 金沢克彦「長州力vsGK金沢克彦 『最後の対談本』に書かれなかった『内容修正』をめぐる壮絶攻防!」『プロレスリングとカネ 暗黙の掟を破った男たち』別冊宝島編集部編、宝島文庫、2008年、pp.182-184
  32. ^ 「喫茶店トーク傑作選 "新日本プロレスの30年"とは何か」『殺し 活字プロレスの哲人 井上義啓 追悼本』kamipro編集部編、エンターブレイン、2007年、pp.101-102
  33. ^ 永島勝司 『凶獣 側近の見たアントニオ猪木の嘘と真実』オークラ出版、2007年。 ISBN 9784775509708
  34. ^ ターザン山本『ここが変だよ ミスター高橋!』新紀元社、2003年、p.129
  35. ^ 吉田豪『吉田豪のセメント!!スーパースター列伝』エンターブレイン、2006年、p.21
  36. ^ 『プロレス狂の詩 夕焼地獄流離篇』エンターブレイン、2006年、p.210-211

参考文献

  • ミスター高橋『幽霊軍団にギブアップ―オカルトにフォール負けした陽気な裸のギャングたち―』(ベースボール・マガジン社、1984年)ISBN 4583024274
  • 『流血の魔術・第2幕 プロレスは誇るべきエンターテインメント』(講談社、2010年) ISBN 978-4-06-216516-7
  • 『知らなきゃよかった プロレス界の残念な伝説』(宝島社、2018年) ISBN 978-4-80-028921-6

外部リンク