デビッド・ベル
セントルイス・カージナルス コーチ #25 | |
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基本情報 | |
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | オハイオ州シンシナティ |
生年月日 | 1972年9月14日(51歳) |
身長 体重 |
5' 10" =約177.8 cm 170 lb =約77.1 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 三塁手、二塁手 |
プロ入り | 1990年 ドラフト7巡目でクリーブランド・インディアンスから指名 |
初出場 | 1995年5月3日 デトロイト・タイガース戦 |
最終出場 | 2006年10月1日 セントルイス・カージナルス戦 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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デビッド・マイケル・ベル(David Michael Bell , 1972年9月14日 - )は、アメリカ合衆国・オハイオ州シンシナティ出身の元プロ野球選手(内野手。主に三塁手)。右投右打。父親は1972年から1989年にテキサス・レンジャーズ等でプレイしたバディ・ベル。 祖父のガス、弟のマイクもメジャーリーグでプレイした。
経歴
1990年のMLBドラフトでクリーブランド・インディアンスから7巡目指名を受け、プロ入り。1995年にメジャーデビューし、同年途中にセントルイス・カージナルスへ移籍。レギュラーに定着した1998年はカージナルス、インディアンス、シアトル・マリナーズの3球団でプレー。インディアンス復帰直後の同年4月15日にはジェイコブス・フィールド開場以来初のランニング本塁打を記録している。2001年にはシーズン最多記録タイとなる116勝を挙げたマリナーズの地区優勝に貢献。また、同年のオールスターファン投票の途中経過の際、この年限りで引退を表明していたカル・リプケンを抜いて三塁手部門のトップに立ってしまい、物議を醸した(オールスター戦では、各ポジションの最高得票選手は先発出場しなくてはならないという規則がある。なお、最終的にベルはオールスターの選出からも漏れた。)[1]。
2002年は、デシー・レラフォードとのトレードでサンフランシスコ・ジャイアンツに移籍し、リーグ優勝に貢献。2003年からはフィラデルフィア・フィリーズでプレー。2004年6月28日にはサイクルヒットを記録し、史上初(現時点で唯一)の「祖父と孫がサイクルヒット」の快挙を達成。2006年に引退を表明した。
引退後は、2009年から3年間シンシナティ・レッズ傘下のAA級カロライナ・マドキャッツ、2012年はAAA級ルイビル・バッツで監督を歴任した。
2013年にはシカゴ・カブスで三塁コーチを務め[2]、2014年からは、カージナルスに移った(2014年は打撃コーチ補佐、2015年からはベンチコーチ)。
詳細情報
背番号
- 4 (1995年 - 同年途中、2003年 - 2005年)
- 27 (1995年途中 - 1998年途中)
- 6 (1998年途中 - 同年途中)
- 2 (1998年途中 - 同年終了)
- 25 (1999年 - 2001年、2006年、2015年 - )
- 28 (2002年)
- 3 (2013年)
- 23 (2014年)
脚注
- ^ 「デービッド・ベル」『マリナーズ地区優勝&ポストシーズン展望号』ベースボール・マガジン社 62頁
- ^ “Cubs name Bell third base coach, Rowson hitting coach” (2012年10月23日). 2012年10月23日閲覧。