カル・リプケン

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カル・リプケン・ジュニア
Cal Ripken, Jr.
CalRipkenJrHWOFJune2013.jpg
2013年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 メリーランド州ハーバー・デ・グレイス
生年月日 1960年8月24日(54歳)
身長
体重
6' 4" =約193 cm
225 lb =約102.1 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 遊撃手三塁手
プロ入り 1978年 ドラフト2巡目
初出場 1981年8月10日
最終出場 2001年10月6日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg 殿堂表彰者Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg
選出年 2007年
得票率 98.5%
選出方法 全米野球記者協会選出

カルヴィン・エドウィン・リプケン・ジュニアCalvin Edwin Ripken Jr. 1960年8月24日 - )は、メジャーリーグベースボールの元選手。ポジションは内野手アメリカ合衆国メリーランド州ハーヴァー・デ・グレイス出身。

歴代1位となる2632試合連続出場を記録した。現役時代の全てをボルチモア・オリオールズで過ごした現代では数少ないフランチャイズ・プレイヤー

略歴[編集]

1978年ドラフトボルチモア・オリオールズから2巡目に指名を受け入団。1981年8月10日カンザスシティ・ロイヤルズ戦でメジャーデビューを果たした。1982年シーズン当初は三塁手として出場していたが、7月1日にアール・ウィーバー監督が遊撃手にコンバート[1]。打率.264・28本塁打・93打点を記録し、新人王を受賞した。

メジャー屈指の攻撃型遊撃手[1]として1982年5月30日から1998年9月20日までの15年間に2632試合連続出場の大記録を成し遂げる。この間に1982年6月5日から1987年9月14日まで8243イニング連続出場や903試合連続フルイニング出場の記録も作っている[1]

1983年は前年を上回る打率.318・27本塁打・102打点を記録。211安打・47二塁打・121得点はリーグ1位となり、史上初めて新人王の翌年にア・リーグMVPに選出された[2]。チームはワールドシリーズ進出を果たし、自身は打率.167と低迷したがチームは13年ぶりのワールドチャンピオンとなった[3]

1984年はリーグ新記録となる583補殺を記録し、5月6日にはサイクル安打を達成[1]1985年4月10日に左足首を捻り医師から2週間の休養が必要と宣告されたが次の日は試合がなく、12日から出場を続け連続試合の記録は途切れなかった[4]1987年に父のカル・リプケン・シニアがオリオールズの監督に就任し、弟のビリー・リプケンがメジャー昇格を果たし二遊間を形成[1]。史上初めて親子3人が同一チームとなった[5]

1990年4月14日から7月27日かけて当時のMLB新記録となる95試合連続無失策を達成[5]。自身2度目のMVPを受賞した1991年には遊撃手として当時のリーグ新記録となる368塁打を記録し(1996年にアレックス・ロドリゲスが記録更新)、遊撃手としてア・リーグ史上初めて3割・30本塁打・100打点を達成[1]。また、この年のオールスターゲームではMVPとなり、前日に行われたホームランダービーでも優勝している。

Nuvola apps kaboodle.svg 映像外部リンク
Nuvola apps kaboodle.svg 1995年9月6日
カル・リプケン2131試合
連続出場達成の試合(MLB.comによる動画)
1993年
1995年9月6日に2131試合連続出場を果たした
1996年
選手生活晩年のリプケン

1994年8月12日から1995年4月2日にかけての232日間に及ぶ長期ストライキの際には、オーナー側が代替選手で1995年シーズン開幕を強行させようとしたが、「もし、試合が行われたら記録が2009で途切れてしまう」と、ボルチモア市議会はオリオール・パーク・アット・カムデン・ヤーズで代替選手によって試合が行われたらMLB機構に1試合1,000ドルの罰金を科す法案を成立させた[5]

しかし、4月27日にシーズン公式戦は再開され、9月6日、ルー・ゲーリッグニューヨーク・ヤンキース)の2130試合連続出場記録を56年ぶりに塗り替えた。

1996年6月12日には衣笠祥雄広島)の2215試合連続試合出場記録も塗り替えた。1996年にデーブ・ジョンソン監督は若手有望株だったマニー・アレクサンダーを遊撃手に据えようと考え、リプケンを三塁手へ再コンバートしようとした。結局、この案は約1週間しか続かなかったが、この間リプケンはアレクサンダーと1ヶ月以上も話をしなかったという[6]。アレクサンダーは翌1997年ニューヨーク・メッツへトレードされた。アレクサンダーはリプケンを恨み続け、背番号8を提示されたがリプケンと同じ番号であるという理由から拒否した[6]

1997年からは三塁手として出場を続け、1998年の本拠地最終戦となった9月20日、自ら欠場を申し出て連続試合の記録が2632で途切れた[4]

1999年3月25日に父のシニアが亡くなり精神的に大きなショックを受け開幕を迎えた[7]。開幕から不調で打率.179の成績で4月19日に腰痛のため自身初の故障者リスト入りとなった。故障から復帰して以降は調子を上げ、6月13日のアトランタ・ブレーブス戦で球団記録の1試合6安打を記録。7月には年俸630万ドルで2000年の契約を延長した[7]。8月3日に再び腰痛でリスト入りとなり、2度の故障者リスト入りで出場試合数は86に留まり規定打席に達していないが、打率.340は自己最高となった。

2001年6月、この年限りでの現役引退を発表[4]。最後のオールスターゲームにはファン投票で19回目の選出を果たし、アメリカンリーグの選出記録を更新した[8]。試合前に遊撃手のアレックス・ロドリゲスがリプケンとポジションを交代し、リプケンはオジー・スミスの持っていた遊撃手としての出場試合数14を更新した[8]。試合では本塁打を放ち、オールスターゲーム史上最年長でMVPを獲得した。

引退試合はヤンキー・スタジアムの予定だったが、アメリカ同時多発テロ事件のため10月6日に本拠地で公式戦最後戦で迎えた。ファンへの挨拶では「今は第1章を終えたばかり。これから第2章が始まる」[4]と述べた。

その後は故郷・メリーランド州アバディーンに球場を建設し、オリオールズ傘下のマイナーチームであるアバディーン・アイアンバーズを誘致。現在はアイアンバーズの共同オーナーの1人として名を連ねる。そして、妻ケリーと「ケリー&カル・リプケン基金」を設立して、チャリティ・イベントや募金活動、自身が破った前記録保持者の衣笠と共に少年野球の発展などに力を注いでいる[6]。多くの組織に積極的に寄付も行っているが、その中には筋萎縮性側索硬化症ルー・ゲーリッグ病)の研究への援助も含まれている。

リプケンの背番号8は引退直前の2001年9月9日にオリオールズの永久欠番となっている[9]。引退した2001年にUSAトゥデイが満票で殿堂入りすることができるかと特集が組まれ[4]、野球の殿堂入りの有資格者となる2007年、満票ではなかったが537票(98.5%)もの高得票を集め初年度での殿堂入りを果たした。得票率98.5%は歴代3位、野手としては史上最高の得票率である[4]

選手としての特徴[編集]

連続試合出場記録ばかりがクローズアップされるリプケンだが、通算3184安打、431本塁打とバッティングでも優れた成績を残しており、カール・ヤストレムスキー以来のアメリカンリーグのみで3000本安打と400本塁打の記録を達成した[8]

ゴールドグラブ賞受賞は2回にとどまったものの、大柄な体を生かしたミスのない職人肌のプレーはメジャー屈指であった。通算守備率.979は、遊撃手のMLB歴代4位(天然芝を本拠地とする選手としては歴代1位)であり、1990年には、95試合連続無失策、シーズン守備率.996という当時の遊撃手のMLB新記録を樹立した。こうした守備面での貢献が評価されたことで、打撃不振に陥った時にもリプケンが変わらず起用され続けたのである。

リプケン登場以前は遊撃手といえば、小柄な選手で打撃に少々難があったとしても守備力が優先されるのが当たり前のポジションだった。しかし、リプケンの登場によって、後のデレク・ジーターアレックス・ロドリゲスノマー・ガルシアパーラの1990年代三大遊撃手にもつながる、打撃にも優れた大型遊撃手時代が幕を開けることとなった[10]

タイトル・表彰・記録[編集]

タイトル・表彰[編集]

記録[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1981 BAL 23 40 39 1 5 0 0 0 5 0 0 0 0 0 1 0 0 8 4 .128 .150 .128 .278
1982 160 655 598 90 158 32 5 28 284 93 3 3 2 6 46 3 3 95 16 .264 .317 .475 .792
1983 162 726 663 121 211 47 2 27 343 102 0 4 0 5 58 0 0 97 24 .318 .371 .517 .888
1984 162 716 641 103 195 37 7 27 327 86 2 1 0 2 71 1 2 89 16 .304 .374 .510 .884
1985 161 718 642 116 181 32 5 26 301 110 2 3 0 8 67 1 1 68 32 .282 .347 .469 .816
1986 162 707 627 98 177 35 1 25 289 81 4 2 0 6 70 5 4 60 19 .282 .355 .461 .816
1987 162 717 624 97 157 28 3 27 272 98 3 5 0 11 81 0 1 77 19 .252 .333 .436 .769
1988 161 689 575 87 152 25 1 23 248 81 2 2 0 10 102 7 2 69 10 .264 .372 .431 .803
1989 162 712 646 80 166 30 0 21 259 93 3 2 0 6 57 5 3 72 22 .257 .317 .401 .718
1990 161 695 600 78 150 28 4 21 249 84 3 1 1 7 82 18 5 66 12 .250 .341 .415 .756
1991 162 717 650 99 210 46 5 34 368 114 6 1 0 9 53 15 5 46 19 .323 .374 .566 .940
1992 162 715 637 73 160 29 1 14 233 72 4 3 0 7 64 14 7 50 13 .251 .323 .366 .689
1993 162 718 641 87 165 26 3 24 269 90 1 4 0 6 65 19 6 58 17 .257 .329 .420 .749
1994 112 484 444 71 140 19 3 13 204 75 1 0 0 4 32 3 4 41 17 .315 .364 .459 .823
1995 144 613 550 71 144 33 2 17 232 88 0 1 1 8 52 6 2 59 15 .262 .324 .422 .746
1996 163 707 640 94 178 40 1 26 298 102 1 2 0 4 59 3 4 78 28 .278 .341 .466 .807
1997 162 686 615 79 166 30 0 17 247 84 1 0 0 10 56 3 5 73 19 .270 .331 .402 .733
1998 161 659 601 65 163 27 1 14 234 61 0 2 1 2 51 0 4 68 9 .271 .331 .389 .720
1999 86 354 332 51 113 27 0 18 194 57 0 1 3 3 13 3 3 31 14 .340 .368 .584 .952
2000 83 339 309 43 79 16 0 15 140 56 0 0 0 4 23 0 3 37 10 .256 .310 .453 .763
2001 128 516 477 43 114 16 0 14 172 68 0 2 2 9 26 1 2 63 15 .239 .276 .361 .637
通算:21年 3001 12883 11551 1647 3184 603 44 431 5168 1695 36 39 10 127 1129 107 66 1305 350 .276 .340 .447 .787
  • 各年度の太字はリーグ最高、赤太字はMLB歴代最高

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f The Ballplayers - Cal Ripken, Jr.” (英語). BaseballLibrary.com. 2008年9月30日閲覧。
  2. ^ Cal Ripken, Jr. from the Chronology” (英語). BaseballLibrary.com. 2008年12月22日閲覧。
  3. ^ 1983 World Series - BAL vs. PHI” (英語). Baseball-Reference.com. 2008年9月30日閲覧。
  4. ^ a b c d e f 樋口浩一「2007年度殿堂入り/C・リプケン&T・グウィン」『月刊メジャー・リーグ』2007年3月号、ベースボールマガジン社、2007年、雑誌 08625-3、91 - 93項。
  5. ^ a b c 藤澤文洋 『メジャーリーグ・スーパースター名鑑』 研究社2003年、212 - 215項。ISBN 4-327-37689-2
  6. ^ a b c 「クレメンテ賞受賞者の光と影 優等生たちの隠れた一面」『月刊スラッガー』2006年2月号 日本スポーツ企画出版社 42-43頁
  7. ^ a b 「30球団マンスリー・リポート ボルチモア・オリオールズ 父の死、故障禍と障害多きシーズン二つの金字塔目前でリプケン離脱」『月刊メジャー・リーグ』1999年10月号、ベースボールマガジン社、1999年、雑誌 08625-5、89項。
  8. ^ a b c ORIOLES RETIRED NUMBERS” (英語). The Official Site of The Baltimore Orioles. 2008年12月22日閲覧。
  9. ^ Retired Uniform Numbers in the American League” (英語). Baseball Almanac - The Official Baseball History Site. 2008年12月22日閲覧。
  10. ^ 福島良一『素晴らしいアメリカ野球』 光文社 123ページ

外部リンク[編集]