スポーツアコード国際会議

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スポーツアコード国際会議(-こくさいかいぎ、英: SportAccord International Convention)とは、IOC理事会やAGFIS(スポーツアコード)、IWGA(国際ワールドゲームズ協会)、IMGA(国際マスターズゲームズ協会)、ASOIF(オリンピック夏季大会競技団体連合)、AIOWF(オリンピック冬季大会競技団体連合)、ARISF(IOC承認国際競技団体連合)の理事会・総会を同じ会場で行うスポーツ総合国際会議であり、毎年開催される。

概要

各団体に所属する国際競技連盟の代表や関連各企業やスポーツ関連の法律家、放送関係者などの専門家なども参加し、 2003年スペインのマドリード会議場 (Palasio de Congresos Madrid) で開かれた第1回の会議では、 98団体1000人を超す参加者があった。 会期中、各団体の理事会、総会、セッション、セミナーなどが行なわれる。 また、展示会場も設けられ、競技団体・イベント開催都市・メディア・各種企業などのブースが設置される。

国際スポーツ関係団体の会議を集めることで国際競技連盟役員の移動負担の軽減と時間の節約ができ、 各スポーツ関係者が同じ会場に集まることで相互交流が深まる事が期待される。

2013年5月にスポーツアコード会長に当選したIJF会長であるマリウス・ビゼールは、マーケティングとメディア戦略を統合して財源を増やす狙いから、2017年度を目処にスポーツアコードに加盟する91の国際競技団体の世界選手権を一堂に会した「合同世界選手権」開催の構想を明らかにした。これは現オリンピックに対抗する新大会創設を意図するものと見られている。

2015年4月にロシアのソチで開催されたスポーツアコード総会で、2期目の会長当選を果たしたばかりのビゼールは、IOC会長のトーマス・バッハが推進する中長期改革「五輪アジェンダ2020」に対して、「国際競技連盟(IF)の利権が適切に扱われていない。スポーツ界に利益をもたらさない」「IFのために多くの提案をしたが、好意的な反応はなかった。全ての団体に公平に対応してほしい」「時代遅れで不公平」と、あからさまな批判を行った。さらには、オリンピック開催都市が競技種目の追加を提案できる権利を認めたことは「オリンピックを不安定にしている」行為だとして、IOCとの対決姿勢を鮮明に打ち出した。これに対してバッハは、「五輪改革は長期間、対話を重ねて進めている」との見解を示した。なお、ビゼールの発言はスポーツアコード加盟団体に大きな反発を呼び起こすことにもなった。国際サッカー連盟(FIFA)国際水泳連盟(FINA)など10を超える加盟団体は、ビゼールに対する抗議文書を提出した。国際陸上競技連盟(IAAF)国際射撃連盟(ISSF)[世界レスリング連合|世界レスリング連合(UWW)]]などはスポーツアコードを脱退する方針を表明した。国際パラリンピック委員会(IPC)も脱退を決めた。オリンピック夏季大会競技団体連合(ASOIF)国際ボクシング連盟(AIBA)もスポーツアコードとの関係を一時停止することになった[1][2][3][4]。このように多大な反発を受けたことに対してビゼールは、IOCを批判した際の手法やマナーを謝罪したものの、「自分の声は自分の意見でもある。スポーツ界は誰でも自由に表現できる場所だ」と、自身の見解は依然堅持することとなった[5]。なお、ビゼールは事態打開のためにバッハに会談を申し入れたが、バッハ側は態度を保留した[6][7]。ビゼールは会談に向けて、オリンピックにおける実施競技の追加やIOC委員の選考に関する明確な基準を要望した。また独自の改革案として、オリンピックに賞金制度を導入することや、全ての非オリンピック競技をオリンピックが開催される前後に公開競技として実施すること、さらには、国際競技連盟(IF)への分配金を増額することや選手を支援する基金の設立など20項目の議題を提案した[8]。しかしながら、ビゼールが会長を務めるIJFを除く夏季オリンピックの全競技団体がスポーツアコードからの脱退や関係停止を表明したことや、2017年のスポーツアコードワールドコンバットゲームズを開催する予定だったペルーが辞退したことなどを受けて、5月31日にビゼールはスポーツアコード会長を辞任することを表明した。また、2020年の東京オリンピックの準備状況を監督するIOCの調整委員も辞任した。ビゼールは辞任に際して、「会長を務めていたこの2年ほどの間、IOCに対して多数の共同作業の提案を試みるも、にべなく拒否され続けてきた」とした上で、「私の提案は正しく、スポーツの価値を守るものだと思っている」と改めて強調した[9][10][11]

開催地一覧

脚注

関連項目

外部リンク