ゲンナジー・ジュガーノフ
ゲンナジー・ジュガーノフ Геннадий Андреевич Зюганов | |
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ゲンナジー・ジュガーノフ | |
生年月日 | 1944年6月26日(80歳) |
出生地 |
ソビエト連邦 ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国、オリョール州 ホトィネツ地区 ムィムリノ村 |
出身校 | オリョール教育大学物理・数学部、ソ連共産党付属社会科学アカデミー |
前職 | 中学校教師、大学講師、ソ連共産党中央委員会イデオロギー部副部長、ロシア共産党政治局員・書記 |
現職 | ロシア連邦共産党党首(中央執行委員長) |
所属政党 |
(ソ連共産党→) ロシア連邦共産党 |
称号 | 哲学博士 |
サイン | |
在任期間 | 1994年1月11日 - 現職 |
ゲンナジー・アンドレーエヴィッチ・ジュガーノフ(ロシア語: Генна́дий Андре́евич Зюга́нов, ラテン文字転写: Gennadii Andreevich Zyuganov, 1944年6月26日 - )は、ロシアの政治家。ロシア連邦共産党党首(中央執行委員長)。哲学博士。
経歴
[編集]出自
[編集]ソビエト連邦ロシア共和国のオリョール州ホトィネツ地区ムイトリノ村に生まれる。1961年から中学校教師として勤務を始める。1969年にオリョール教育大学物理・数学部を卒業。母校で物理と数学の講座を担当した。
ソ連共産党での活動
[編集]1966年にソ連共産党入党。兵役終了後の1967年に党活動に従事するようになる。その後、オリョール州コムソモール第一書記、オリョール州委員会書記、同第二書記、オリョール州党委員会宣伝・扇動部長などを歴任した。また、この間、1980年にソ連共産党付属社会科学アカデミーを卒業し、哲学博士号を取った。1983年からソ連共産党中央委員会宣伝部に転じ、宣伝部の指導員や課長を経て、1989年から1990年まで中央委員会イデオロギー部副部長を務めた。1990年にロシア共産党結成のため組織委員会が発足し、共産党保守派が結集すると、ジュガーノフもこの動きに参加する。同年6月にロシア共産党が発足すると、中央委員会政治局員兼書記に選出され、人道・イデオロギー問題常任委員会議長を兼任する。しかし、共産党保守派によるソ連8月クーデターが失敗して、ソ連共産党は解散、ソ連は崩壊を余儀なくされた。
ロシア連邦共産党指導者
[編集]ソビエト連邦の崩壊後、アナトリー・ルキヤノフやエゴール・リガチョフらかつての共産党保守派の結成した共産党再建のための組織委員会に参加し、その機をうかがうとともに、1992年に共産主義者とセルゲイ・バブーリンら民族主義・愛国主義者を糾合して結成されたロシア人民愛国勢力調整評議会議長と救国戦線政治評議会共同議長にそれぞれ就任。1993年1月、ロシア連邦共産党が設立され、その中央執行委員会議長となる。同年10月のモスクワ騒乱では副大統領のアレクサンドル・ルツコイと最高会議議長のルスラン・ハズブラートフの側に立ち、 ロシア最高会議議会ビル(ホワイトハウス)に立てこもるが、政府軍突入直前にホワイトハウスから脱出した。
最高会議廃止後、新設された連邦議会では、1993年12月にロシア下院の国家会議選挙に比例区でロシア連邦共産党から選出された。1995年1月、ロシア連邦共産党党首に選出される。
1995年12月の下院選で下院議員に再選。この選挙で共産党は国民の不満を吸収して、第一党に躍進する。1996年にスイスのダボスで行われた世界経済フォーラムに「ジュガーノフ政権が実現すれば今より望ましい投資環境を作り出すことを世界の経済界指導者に納得してもらうことが参加目的」として出席し、市場経済を否定しないと表明した[1]。ジュガーノフが概ね財界から歓迎されたことに危機感を覚えたジョージ・ソロスはボリス・ベレゾフスキーに行動を促してベレゾフスキーらオリガルヒはエリツィン再選に動く[2]。1996年6月16日のロシア大統領選挙では第一回投票で現職のエリツィンを僅差に追い込み、決選投票に残る。しかし、エリツィン陣営は3位のアレクサンドル・レベジ陣営を取り込み、共産党が政権掌握した場合に不都合となるオリガルヒの全面協力の下、なりふり構わぬ選挙戦に臨み、7月3日に行われた決選投票でジュガーノフは40.31%の得票率でエリツィンに敗北した。この大統領選がジュガーノフがエリツィン政権を追いつめた最大の機会であった。
1998年から1999年にかけてエフゲニー・プリマコフ内閣によって第一副首相(ユーリ・マスリュコフ)のポストを手に入れて共産党は与党になるもエリツィンはジュガーノフと手を組んだプリマコフを罷免した。1999年12月の下院選では共産党は比例区で24%を獲得し、第一党の地位を維持するものの、政権与党「統一」やリベラル派の右派勢力同盟などが躍進し、年金生活者や社会的弱者を支持基盤とする共産党は、支持率が頭打ちとなる。
ジュガーノフは2000年3月26日に実施された大統領選でプーチンに敗北(得票率29%)した。2003年の下院選では与党・統一ロシアが圧勝し、オリガルヒのミハイル・ホドルコフスキーから資金援助を得たと暴露された共産党は大幅に議席数を減らす結果となった。続く2004年3月14日の大統領選では、ジュガーノフは立候補せず、代わりに元農工業グループ代表のニコライ・ハリトーノフを擁立したが敗北し、プーチン再選を許した。そして2003年の下院選敗北の頃から党内の一部がジュガーノフの党首交代を要求するようになり、2004年7月3日の第10回党大会では、ジュガーノフは再任されたものの、イヴァノヴォ州知事のウラジーミル・チーホノフら反主流派が分裂し別の会場で「党大会」を開催した。
2007年6月20日に翌2008年の大統領選に出馬することを表明し、同年12月15日に党員投票で共産党の大統領候補に選出された。しかし、2008年3月2日に実施された同選挙では次点ではあったものの、得票率17.72%でメドヴェージェフの前に落選した。
2009年の自身の誕生日にはプーチンから旧ソ連訳のマルクス・エンゲルスの共産党宣言が贈られた[3][4]。
2012年3月4日に行われた大統領選では次点だったものの得票率17.18%でプーチンに圧倒的に差をつけられ、選挙には不正があったとして抗議の声をあげた[5]。
2014年7月、2014年ウクライナ騒乱での東部の武装蜂起への資金提供などの関与からウクライナ政府から要注意人物に指定された[6]。
制裁
[編集]2022年2月、ロシア・ウクライナ危機 (2021年-2022年)でロシア連邦共産党はロシア軍のウクライナ侵攻のきっかけとなるドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国の独立承認をプーチン大統領に迫った下院の決議で主導的な役割を果たしたため、ジュガーノフはアメリカ合衆国・カナダ・日本・イギリス・欧州連合(EU)から制裁対象のリストに追加された[7][8][9][10]。
人物
[編集]ジュガーノフは、党のオルガナイザーとしては組織を再建して一時は第一党や与党にすることにも成功し、エリツィン時代は大統領に迫る得票数と高い人気を誇っていた。しかし、エリツィンの後を継いだプーチンと比較すれば、大衆の支持を獲得するカリスマ性の点で劣るとされている。
共産主義者であるが、イエス・キリストは人類最初の共産主義者であったとしており[11]、ロシア正教徒でもある[12]。
中国共産党の鄧小平を自らの手本としており、ミハイル・ゴルバチョフのペレストロイカより慎重だった中国と同じ改革方法をとればソ連は崩壊しなかったとして社会主義市場経済の採用を仄めかしている[13][14]。
著作
[編集]- 1996年6月 『ロシアと現代世界 汎ユーラシア主義の戦略』(黒岩幸子・佐藤優共訳)、自由国民社、ISBN 4426752000
出典
[編集]- ^ David M. Kotz. Russia's Path From Gorbachev To Putin. pp. 260–264.
- ^ ジョージ・ソロス著、山田侑平・藤井清美訳『ソロスの資本主義改革論―オープンソサエティを求めて』
- ^ “Путин подарил Зюганову "Манифест коммунистической партии"”. RIAノーボスチ. (2009年6月28日) 2016年1月19日閲覧。
- ^ "Putin gives Communist leader surprise birthday gift" , AFP , 29 June 2009.
- ^ “露大統領選で「不正」、野党勢力が抗議集会”. 読売新聞. (2012年3月6日) 2012年3月6日閲覧。
- ^ “Ukraine opens criminal cases against Zyuganov and Zhirinovsky for funding separatism”. インテルファクス通信. (2014年7月25日) 2016年7月28日閲覧。
- ^ https://www.bloomberg.com/news/articles/2022-02-28/sanctions-imposed-so-far-on-russia-from-the-u-s-eu-and-u-k
- ^ https://www.canada.ca/en/global-affairs/news/2022/02/canada-imposes-additional-economic-measures-on-russia-in-response-to-russias-attack-on-ukraine.html
- ^ https://www.legislation.gov.au/Details/F2022L00192
- ^ https://en.newizv.ru/news/world/15-03-2022/gennady-zyuganov-and-viktor-vekselberg-fell-under-japanese-sanctions?amp=1
- ^ Christian Orthodox Communism in the Fascist Russia: who stands behind the back of Putin. "Argument". 25 July 2014
- ^ коммунизм» в фашисткой России: кто стоит за спиной Путина"Argument" 2014年7月25日
- ^ "久加诺夫:俄共党员应好好学习《邓小平文选》(图)_中国经济网——国家经济门户". ce.cn.
- ^ "俄共主席访华自称只求公平一战". sina.com.cn.
外部リンク
[編集]党職 | ||
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先代 (党創設) |
ロシア連邦共産党指導者 初代:1993年 - |
次代 (現職) |
先代 ニコライ・ルイシコフ ニコライ・ハリトーノフ |
ロシア連邦共産党大統領選挙候補者 1996年、2000年 2008年、2012年 |
次代 ニコライ・ハリトーノフ パーヴェル・グルジーニン |