ゲンナジー・ジュガーノフ

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ロシアの旗 ロシアの政治家
ゲンナジー・ジュガーノフ
Геннадий Андреевич Зюганов
Gennady Zyuganov 2012-05-01.jpg
ゲンナジー・ジュガーノフ
生年月日 1944年6月26日(70歳)
出生地 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦 ロシア共和国 オリョール州 ホトィネツ地区 ムィムリノ村
出身校 オリョール教育大学物理・数学部、ソ連共産党付属社会科学アカデミー
前職 中学校教師、大学講師、ソ連共産党中央委員会イデオロギー部副部長、ロシア共産党政治局員・書記
現職 ロシア連邦共産党党首(中央執行委員長)
所属政党 ソ連共産党ロシア連邦共産党
称号 哲学博士
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ゲンナジー・アンドレーエヴィッチ・ジュガーノフロシア語: Геннадий Андреевич Зюганов, Gennadii Andreevich Zyuganov, 1944年6月26日 - )は、ロシア政治家ロシア連邦共産党党首(中央執行委員長)。哲学博士エリツィンプーチンメドヴェージェフ政権を通じて、共産党を中心とする左翼勢力を指導し、政権を批判している。

経歴[編集]

出自[編集]

1944年6月26日、ソビエト連邦ロシア共和国オリョール州ホトィネツ地区ムイトリノ村に生まれる。1961年から中学校教師として勤務を始める。1969年にオリョール教育大学物理数学部を卒業。母校で物理と数学の講座を担当した。

ソ連共産党での活動[編集]

1966年ソ連共産党入党。兵役終了後の1967年に党活動に従事するようになる。その後、オリョール州コムソモール第一書記、オリョール州委員会書記、同第二書記、オリョール州党委員会宣伝・扇動部長などを歴任した。また、この間、1980年ソ連共産党付属社会科学アカデミーを卒業し、哲学博士号を取った。1983年からソ連共産党中央委員会宣伝部に転じ、宣伝部の指導員や課長を経て、1989年から1990年まで中央委員会イデオロギー部副部長を務めた。1990年にロシア連邦共産党結成のため組織委員会が発足し、共産党保守派が結集すると、ジュガーノフもこの動きに参加する。同年6月にロシア共産党が発足すると、中央委員会政治局員兼書記に選出され、人道・イデオロギー問題常任委員会議長を兼任する。しかし、共産党保守派によるソ連8月クーデターが失敗して、ソ連共産党は解散、ソ連は崩壊を余儀なくされた。

ロシア連邦共産党指導者[編集]

ソ連崩壊後、共産党再建のための組織委員会に参加し、その機をうかがうとともに、1992年に共産主義者と民族・愛国主義勢力を糾合して結成された、ロシア人民愛国勢力調整評議会議長と救国戦線政治評議会共同議長にそれぞれ就任。1993年1月、ロシア連邦共産党中央執行委員会議長となる。同年10月のモスクワ騒乱では副大統領のアレクサンドル・ルツコイ最高会議ロシア語版議長のルスラン・ハズブラートフの側に立ち、 ロシア最高会議議会ビル(ホワイトハウス)に立てこもるが、政府軍突入直前にホワイトハウスから脱出した。

最高会議廃止後、新設された連邦議会では、1993年12月にロシア下院国家会議選挙に比例区でロシア連邦共産党から選出された。1995年1月、ロシア連邦共産党党首に選出される。

1995年12月の下院選で下院議員に再選。この選挙で共産党は国民の不満を吸収して、第一党に躍進する。1996年スイスダボスで行われた世界経済フォーラムに「ジュガーノフ政権が実現すれば今より望ましい投資環境を作り出すことを世界の経済界指導者に納得してもらうことが参加目的」として出席し、混合経済や外資導入、民営化を否定しないと表明した。このことは概ね財界から歓迎されたものの、それに危機感を覚えたジョージ・ソロスボリス・ベレゾフスキーに行動を促し、ベレゾフスキーらオリガルヒはエリツィン再選に動く[1]1996年6月16日ロシア大統領選挙では第一回投票で現職のエリツィンに次ぐ32.03%を得票して2位となり、決選投票に残る。しかし、エリツィン陣営は3位のアレクサンドル・レベジ陣営を取り込み、共産党が政権掌握した場合に不都合となるオリガルヒの全面協力の下、なりふり構わぬ選挙戦に臨み、7月3日に行われた決選投票でジュガーノフは40.31%の得票率でエリツィンに敗北した。この大統領選がジュガーノフがエリツィン政権を追いつめた最大の機会であった。

1999年12月の下院選では共産党は比例区で24%を獲得し、第一党の地位を維持するものの、政権与党「統一」やリベラル派の右派勢力同盟などが躍進し、年金生活者や社会的弱者を支持基盤とする共産党は、支持率が頭打ちとなる。

2000年、ロシア大統領のウラジーミル・プーチン(右)と

ジュガーノフは2000年3月26日に実施された大統領選でプーチンに敗北(得票率29%)した。2003年の下院選では与党・統一ロシアが圧勝し、共産党は大幅に議席数を減らす結果となった。続く2004年3月14日大統領選では、ジュガーノフは立候補せず、代わりに元農工業グループ代表のニコライ・ハリトーノフを擁立したが敗北し、プーチン再選を許した。そして2003年の下院選敗北の頃から党内の一部がジュガーノフの党首交代を要求するようになり、2004年7月3日の第10回党大会では、ジュガーノフは再任されたものの、イヴァノヴォ州知事のウラジーミル・チーホノフら反主流派が分裂し別の会場で「党大会」を開催した。

2007年6月20日翌2008年の大統領選に出馬することを表明し、同年12月15日に党員投票で共産党の大統領候補に選出された。しかし2008年3月2日に実施された同選挙では、得票率17.72%でメドヴェージェフの前に落選した。2012年3月4日に行われた大統領選では得票率17.18%でプーチンに敗れたが、選挙には不正があったとして抗議の声をあげた[2]

評価[編集]

ジュガーノフは、党のオルガナイザーとしては組織を再建し、維持することに成功した。しかし、カリスマ性、大衆の支持を獲得する魅力に欠けると言われている。プーチン体制の支持率が高く、共産党の支持増が見込めないまま、次の展望を開くことができないでいる。

出典[編集]

  1. ^ ジョージ・ソロス著、山田侑平・藤井清美訳『ソロスの資本主義改革論―オープンソサエティを求めて』
  2. ^ “露大統領選で「不正」、野党勢力が抗議集会”. 読売新聞. (2012年3月6日). http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20120305-OYT1T01144.htm 2012年3月6日閲覧。 

外部リンク[編集]


党職
先代:
(党創設)
ロシア連邦共産党指導者
初代:1993 -
次代:
(現職)
先代:
ニコライ・ルイシコフ
ニコライ・ハリトーノフ
ロシア連邦共産党大統領選挙候補者
1996、2000
2008、2012
次代:
ニコライ・ハリトーノフ
(直近)