シクレノンシェリフ

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シクレノンシェリフ
品種 サラブレッド
性別
毛色 黒鹿毛
生誕 1990年4月21日
死没 (存命)
リアルシャダイ
ダイナシュガー
母の父 ノーザンテースト
生国 日本の旗 日本北海道早来町
生産者 社台ファーム早来
馬主 藤立啓一
調教師 小林稔栗東
競走成績
生涯成績 中央競馬6戦2勝
獲得賞金 7190万0000円
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シクレノンシェリフ日本の元競走馬で、現在は乗用馬

2歳年上の全兄にムッシュシェクルがいる。馬名の由来は冠号「シクレノン[1]」に、保安官を意味するシェリフ (Sheriff) 。

※戦績の馬齢は旧表記(数え年)とする。

戦績

4歳となった1993年2月28日阪神競馬場で遅めのデビュー。 芝2000m新馬戦で、一番人気はメジロランブール[2]に譲ったが、レースでは2着のメジロランブールに3馬身半差をつける完勝。 勝ちっぷりからクラシック戦線で「関西の秘密兵器」と評判を取り、一勝馬の身で「東上最終便」毎日杯[3]に出走し、一番人気に支持されると、エアマジックをアタマ差抑えて重賞初制覇。 皐月賞ではウイニングチケットビワハヤヒデナリタタイシンの「3強」に次ぐ4番人気に支持され、勝ったナリタタイシンから0秒3差の3着[4]に入線し、ウイニングチケットには先着を果たした。 距離が延びる日本ダービーでも期待され、3強とNHK杯勝ちのマイシンザンに次ぐ5番人気に支持されたが、すでに調子を落としていたこともあり勝ったウイニングチケットから3秒1差の14着に惨敗。

屈腱炎を発症し、4歳秋は全休し、10ヶ月半の休養を経て5歳となった1994年4月にオープン特別の陽春ステークス(芝1600m)[5]に出走。 一番人気に支持されるが、8着に敗れると再び屈腱炎を発症し、今度は1年10ヶ月の休養を余儀なくされた。

この間、5歳夏には準オープン(1500万下)に降格。 7歳となった1995年2月にようやく復帰が叶い、松籟ステークス(京都競馬場芝2400m)[6]に出走。 しかし、4コーナー手前で故障を発症して競走中止。 屈腱断裂の重傷で、競走能力を喪失し、そのまま現役引退となった。

引退後

引退後は乗用馬となり、静岡県掛川市ヤマハリゾートつま恋で繋養された。 現在は浜松市の乗馬クラブに移動している。

血統表

シクレノンシェリフ血統ロベルト系) / Lady Angela5×4=9.38% Nasrullah5×5=6.25%) (血統表の出典)

*リアルシャダイ
Real Shadai
1979 黒鹿毛
父の父
Roberto
1969 鹿毛
Hail to Reason Turn-to
Nothirdchance
Bramalea Nashua
Rarelea
父の母
Desert Vixen
1970 黒鹿毛
In Reality Intentionally
My Dear Girl
Deset Trial Moslem Chief
Scotch Verdict

ダイナシュガー
1981 鹿毛
*ノーザンテースト
Northern Taste
1971 栗毛
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Lady Victoria Victoria Park
Lady Angela
母の母
サンドラターフ
1974 鹿毛
*ヒッティングアウェイ
Hitthing Away
Ambiorix
Striking
*ロイヤルレジーナ
Royal Regina
Fleet Nasrullah
Fine Gatch F-No.1-x


脚注

  1. ^ 布施明の楽曲「シクラメンのかほり」とミュージシャンのジョン・レノンを組み合わせた造語
  2. ^ メジロマックイーンの半弟(父ジャッジアンジェルーチ)。
  3. ^ 皐月賞前に関西で行われる最後の重賞競走のためこの名称がつく。なお、同日の白鷺特別(900万下)では兄ムッシュシェクルが勝利をおさめた。
  4. ^ 4位入線だが、3位入線のガレオンが降着のため繰り上がり。
  5. ^ 第54回皐月賞当日の阪神競馬場のメインレース。オープン特別といってもインターマイウェイ、フジワンマンクロス、アラシトーワダーリン等重賞勝ち馬やGIでの活躍馬が出走し、なかなかの好メンバーが揃った。
  6. ^ 参考までに、その日のメインレースはきさらぎ賞で、勝ち馬はロイヤルタッチ。2着がダンスインザダークであった。

外部リンク