グラスゴー (軽巡洋艦・初代)
グラスゴー | |
---|---|
基本情報 | |
建造所 | フェアフィールド造船・造船技術会社 |
運用者 | イギリス海軍 |
級名 | タウン級 |
艦歴 | |
起工 | 1909年3月25日 |
進水 | 1909年9月30日 |
就役 | 1910年9月 |
最期 | 1927年4月29日にスクラップとして売却 |
要目 | |
排水量 | 4,800トン |
長さ | 453 ft (138 m) |
幅 | 47 ft (14 m) |
ボイラー | ヤーロウ缶12基 |
主機 | パーソンズ式蒸気タービン、4軸推進 |
出力 | 22,000 hp |
最大速力 | 25ノット (46 km/h) |
燃料 |
石炭600トン(最大1,353トン) 重油260トン |
乗員 | 411名 |
兵装 |
6インチ砲2門 4インチ砲10門 3インチ砲1門 3ポンド砲4門 機銃4基 18インチ魚雷発射管2門 |
グラスゴー (HMS Glasgow) は、イギリス海軍のタウン級の1隻。艦名はスコットランド南西部の都市グラスゴーに因む。この名を持つ艦としては6隻目にあたる。
艦歴
グラスゴーは1909年3月25日にゴーヴァンのフェアフィールド・シップビルディング・アンド・エンジニアリング・カンパニーで起工した[要出典]。1909年9月30日に進水し[要出典]、1910年9月に就役した[要出典]。
第一次世界大戦の勃発時、グラスゴーは南アフリカ沿岸で活動していた。1914年8月16日にドイツ商船カタリナ (SS Catherina) を拿捕する[要出典]。1914年11月1日、チリ沖で発生したコロネル沖海戦に参加。海戦ではグラスゴーと装甲巡洋艦グッド・ホープ (HMS Good Hope) 、モンマス (HMS Monmouth)、仮装巡洋艦オトラントが、マクシミリアン・フォン・シュペー提督率いるドイツの装甲巡洋艦シャルンホルスト (SMS Scharnhorst) 、グナイゼナウ (SMS Gneisenau)、巡洋艦ライプツィヒ、ドレスデン、ニュルンベルクと交戦した。グラスゴーはライプツィヒとドレスデンからの砲撃で5発の命中弾を受けた[1]。ただし、その内3発は爆発しなかった[1]。イギリス軍はモンマスとグッド・ホープが撃沈され敗北した。
逃走に成功したグラスゴーは11月6日にはマゼラン海峡東端に到達し[2]、まず修理のためリオデジャネイロに入港した[3]。それからアブロルホス礁 (Abrolhos) で巡洋戦艦インヴィンシブル (HMS Invincible) 、インフレキシブル (HMS Inflexible) などと合流した。11月28日にイギリス艦隊はアブロルホス礁から出航し、フォークランド諸島へと向かった[4]。
艦隊は12月7日にフォークランド諸島に到着[5]。その翌日、シュペー艦隊がフォークランド諸島に現れフォークランド沖海戦が発生した。フォークランド攻撃を試みたドイツ艦隊は戦艦カノーパスからの砲撃を受けると攻撃を断念して逃走を開始した。フォークランドからは最初にグラスゴーが出撃し、続いて2隻の巡洋戦艦と装甲巡洋艦ケント、カーナヴォン、コーンウォールが出撃した[6]。イギリスの巡洋戦艦に追いつかれるとライプツィヒ、ドレスデン、ニュルンベルクの3隻がシャルンホルストとグナイゼナウから離れて逃走を始めた。それをグラスゴーはケントとコーンウォールと共に追跡した[7]。1時間の追跡の後グラスゴーはライプツィヒに追いつき戦闘を開始した[8]。続いてコーンウォールも戦闘に加わり、ライプツィヒは撃沈された。ライプツィヒとの交戦でグラスゴーは2発の命中弾を受け、死者1名負傷者4名を出した[9]。海戦はイギリスの勝利に終わり、ドイツ側はドレスデン以外すべて撃沈された。
逃走に成功したドレスデンをイギリス軍は捜索した。1915年3月7日にチリ沖でケントがドレスデンと遭遇。その報せを受けてグラスゴーはファン・フェルナンデス諸島のマス島 (Más a Tierra) へ向かった[10]。1915年3月14日、グラスゴーはケントおよび仮装巡洋艦オラマと共にカンバーランド湾 (Cumberland Bay) に入り、そこに停泊していたグラスゴーを攻撃した[10]。攻撃を受けたドレスデンは白旗を揚げ、グラスゴーへ士官を派遣。そしてグラスゴーでの交渉中にドレスデンは自沈した。ドレスデン沈没後、グラスゴーの乗組員が溺れているブタを発見した[要出典]。乗組員はブタを「ティルピッツ Tirpitz」と名付け艦のマスコットとして1年間飼育した[要出典]。その後ティルピッツはポーツマスのホエール島砲術学校で飼育された[要出典]。
グラスゴーは1915年に地中海に配属され[要出典]、1917年にはアドリア海の第8軽巡洋艦戦隊に配属された[要出典]。
戦後グラスゴーは短期間機関員の訓練艦任務に従事し[要出典]、1922年に退役[要出典]、1927年4月29日にスクラップとしてモーカムで売却された[要出典]。
カナダのアルバータ州にあるグラスゴー山は本艦に因んで命名された[要出典]。
脚注
- ^ a b Graf Spee's Raiders Challenge to the Royal Navy, 1914-1915, p.142
- ^ Graf Spee's Raiders Challenge to the Royal Navy, 1914-1915, p.173
- ^ Graf Spee's Raiders Challenge to the Royal Navy, 1914-1915, p.187
- ^ Graf Spee's Raiders Challenge to the Royal Navy, 1914-1915, p.192
- ^ Graf Spee's Raiders Challenge to the Royal Navy, 1914-1915, p.193
- ^ Graf Spee's Raiders Challenge to the Royal Navy, 1914-1915, p.200
- ^ Graf Spee's Raiders Challenge to the Royal Navy, 1914-1915, p.204
- ^ Graf Spee's Raiders Challenge to the Royal Navy, 1914-1915, p.213
- ^ Graf Spee's Raiders Challenge to the Royal Navy, 1914-1915, pp.215-216
- ^ a b Graf Spee's Raiders Challenge to the Royal Navy, 1914-1915, p.233
参考文献
- Keith Yates, Graf Spee's Raiders Challenge to the Royal Navy, 1914-1915, Naval Institute Press, 1995, ISBN 1-55750-977-8