AOMフランス航空

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AOMフランス航空
AOM French Airlines
IATA
IW
ICAO
AOM
コールサイン
French Lines
設立 1988年
運航開始 1990年
運航停止 2001年
ハブ空港 パリ・オルリー空港
マイレージサービス クオリフライヤー
親会社 スイス航空
保有機材数 34機
就航地 24都市
本拠地 フランスの旗 フランスパリ
代表者 Marc Rochet
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マクドネル・ダグラス DC-10

AOMフランス航空(AOMフランスこうくう、AOM French Airlines)はフランスにかつて存在した航空会社である。当時はエールフランスに次ぐフランス第2位の規模を誇る航空会社だった。

歴史

AOMフランス航空はAir Outre Mer (AOM)として1988年フランス海外県であるレユニオン島で設立され、1990年からマクドネル・ダグラスDC-10-30ドルニエDo-228による商業旅客サービスを始めた。

1991年10月に、パリのオルリー空港をハブとするミネルヴァ航空と合併することで、AOMフランス航空としてのサービスを開始した。なお、このミネルヴァ航空はパリ(オルリー) - ニース線に参入し、エールアンテールと最初に競合した航空会社であった。1992年3月パリ(オルリー) - 東京(成田)[1]線に就航した[2]

また、1999年にはスイス航空が「ハンター戦略」の一環としてAOMフランス航空の49%の株式を取得し、その後、同社が中心になって拡大していた航空アライアンスの「クオリフライヤー」に参画した。

しかし、AOMフランス航空の国内線や海外領土への路線はフランス最大の航空会社でかつ、ライバルであるエールフランスと競合する部分が多く、2001年に不健全な機材の管理や過剰な設備投資による莫大な負債が原因となり経営破綻し、全便の運航が停止された。

最終的な破産は数カ月後に及ぶストライキの後に行われたが、このAOMフランス航空の倒産に続けとばかりにエアリス、エール・リトラル、ユーラルエールといった主要なフランス航空会社が次々と倒産していき、結局この航空業界を襲った大不況では、大手としてエールフランスコルセールフライのみが生き残った。

就航都市

国内線・海外領土線

国際線

保有機材

脚注

  1. ^ a b Denis Fainsilber (1994年12月15日). “Le Crédit Lyonnais remet 300 millions dans AOM”. Les Echos. 2017年11月7日閲覧。
  2. ^ a b “AOM仏航空日本初乗り入れ”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 1. (1992年3月30日) 

関連項目