相原勝幸

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相原 勝幸
ロッテ時代
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 埼玉県児玉郡上里町
生年月日 (1983-07-24) 1983年7月24日(40歳)
身長
体重
190 cm
87 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2005年 大学・社会人ドラフト6巡目
初出場 2006年5月31日
最終出場 2010年7月3日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

相原 勝幸(あいはら かつゆき、1983年7月24日 - )は、埼玉県児玉郡上里町出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

経歴[編集]

埼玉県育ちだが、母親が沖縄県出身だったこともあり、沖縄の高校を応援していた。沖縄水産高校の練習を観に行った際に、栽弘義に誘われたことから野球留学を決断する[1]

沖縄水産高校時代に甲子園出場経験は無く、3年夏はベスト4。また、相原本人は公式戦に出場することはなかった[2]

富士大学時代は、北東北大学野球リーグで八戸大学が強かった時期だったため、全国大会出場はなかったもののリーグ戦て安定した成績を残した。通算16勝6敗[3]

2005年の大学生・社会人ドラフト千葉ロッテマリーンズに6巡目で指名を受け、入団。大学時代は通常の上と下手投げの両方を経験して、どちらでも投げられるという触れ込みであった[3]

2006年、二軍で防御率2.65、34イニングで40奪三振の好投が評価され、5月30日に1軍に初昇格。翌日、中継ぎで初登板。

2007年、二軍で50と2/3イニングで60個と奪三振率は高かったが、四死球が多く、イースタン・リーグトップの8死球を与えてしまい、コントロールに課題を残した。

2008年、この年は2軍で中継ぎエースとして活躍。四死球は相変わらず多かったがこの年も2軍で11を超える驚異の奪三振率を記録し、前年より登板数も大幅に増え、2年ぶりの1軍昇格も経験した。

2010年10月2日、来季の契約を更新しない旨とあわせて、来季からスタッフとして球団に在籍することを同時に発表された[4]。10月8日、任意引退選手公示。

2022年シーズン現在も、千葉ロッテマリーンズのマネージャーとして在籍している[5][6]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2006 ロッテ 1 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 10 2.0 2 0 1 0 1 0 1 0 2 2 9.00 1.50
2008 4 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 22 5.0 3 1 4 2 0 2 0 0 3 3 5.40 1.40
2010 2 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 10 2.1 2 0 0 0 1 3 1 0 3 3 11.57 0.87
通算:3年 7 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 42 9.1 7 1 5 2 2 5 2 0 8 8 7.71 1.29

記録[編集]

背番号[編集]

  • 53 (2006年 - 2010年)

脚注[編集]

  1. ^ 大塚けんじ『チャンスの順番!』”. 松戸市議会議員 大塚けんじオフィシャルブログ Powered by Ameba. 2022年2月22日閲覧。
  2. ^ 大塚けんじ『チャンスの順番!』”. 松戸市議会議員 大塚けんじオフィシャルブログ Powered by Ameba. 2022年2月22日閲覧。
  3. ^ a b 2006プロ野球プレイヤーズ名鑑スポーツニッポン新聞社
  4. ^ 契約に関するお知らせ - 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト
  5. ^ (日本語) 2022沖縄春季キャンプ打ち上げ!井口監督が練習試合を振り返る【広報カメラ】, https://www.youtube.com/watch?v=6SyVSiWwhTo 2022年2月22日閲覧。 
  6. ^ 【千葉魂】苦節5年初の球宴出場 ロッテ・佐々木千、大舞台に感無量”. www.chibanippo.co.jp. 2022年2月22日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]