水晶髑髏

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水晶髑髏

水晶髑髏(すいしょうどくろ)とは、水晶で作られた人間の頭蓋骨模型のことである。

概要[編集]

現在、十数個が確認されており、そのほとんどがマヤ文明アステカ文明インカ帝国といった中南米の考古遺物とされている。これらの文明では彫刻などにドクロのモチーフが好んで使われた。当時の技術水準から考えてあまりにも精巧に造られているとも思えるためにオーパーツとして取り上げられるが、本当に出土品であるかどうかについて懐疑的な説もある。

ヘッジスの水晶髑髏[編集]

一般にはイギリス人のF・A・ミッチェル=ヘッジスの養女、アンナ・ミッチェルヘッジス(1907-2007)が1924年にベリーズ南部の古典期遺跡ルバントゥン(ルバァントゥンと表記される場合が多いが、”ルバントゥン”がより正確である)で発見したとされるものを指すことが多いが、紹介される際は大英博物館などの物と混同されるケースも多い。アンナの17歳の誕生日に発見され、水晶髑髏を私蔵したため、様々な憶測を呼んだ。このヘッジスの水晶髑髏(ヘッジス・スカル、運命の髑髏などとも呼ばれる)は実物大で、解剖学的にみても精緻に造られている。

フレデリック・ミッチェルヘッジスの友人であった、セントラルロンドンの美術商シドニー・バーニーは、ミッチェルヘッジスから借金の担保としてスカルを預かっていた。しかしミッチェルヘッジスの連絡の手違いにより、スカルは1943年にサザビーズの競売に出品されてしまった。これは当時のサザビーズのカタログにも登録されている。ミッチェルヘッジスはバーニーに連絡し、借金を返済したうえで返却を要求したが、いったん競売にかけた以上取り下げることはできなかったため、バーニーが自己落札したうえでミッチェルヘッジスに400ポンドで売却した。この売買の結果、ミッチェルヘッジスは合法的なスカルの所有者となっている。

髑髏を「発見」したとされる日、既にヘッジスはベリーズからイギリスに帰国しており、発見者であるとされるアナもベリーズに入国したことが無く、また、発掘作業の写真には水晶髑髏の写真はまったく無く、発掘に参加した他の学者も水晶髑髏の存在を知らなかったと言われるが、クリス・モートン/セリ・ルイーズ・トマス共著「謎のクリスタル・スカル」には1927年の、ミッチェルヘッジス親子が写ったジャングルの写真が載っている。 フレデリック・ミッチェルヘッジスは大英博物館およびアメリカ・インディアン博物館との間で、発掘物はすべて寄贈するとの契約で発掘研究を行っていた。しかしスカル発掘ののち、遺跡発掘に携わっていたマヤ・ケチ族のモチベーションが低下したため、ミッチェルヘッジスは同行していたトーマス・ガン博士に相談した末、いったんケチ族にスカルを返還している。この返還については、実際に掘り出したアンナ自身は不服であったというが、全ての発掘調査が終わった1927年に発掘チームが帰国する際、仕事や医療品などを提供したミッチェルヘッジス個人に、ケチ族長から感謝のしるしとして、博物館等には送らないという条件で寄贈された。


カリフォルニア州にあるヒューレット・パッカードの研究所における1970年代の分析結果によると、

  • ヘッジス・スカルは1個の水晶から造られており、下顎部分は取り外し可能である。上顎と下顎は結晶軸が連続しており、上下が一体に彫られたあとで下顎が切り離された事が判明している。
  • 道具による加工痕がない。また、ひびも入っていない。ただし後年(後述)のスミソニアン研究所のテストでは違う結果が出ている。
  • 結晶の結合現象が見られ、加工時に何らかの衝撃を加えられた可能性が高い。
  • 水晶の石目を無視して彫られている。
  • 高度な光学技術が認められる。スカル底部から入った光は両目に出る。テスト中に偶然鼻腔にレーザーが当たった際は、全体が輝き始めたという記録がある。
  • 制作年代は不明。

とのことであった。このため、オーパーツではないかという憶測を呼んだ。この様子は、同社の社内誌「メジャー」1971年2月号に掲載されているが、記事中のスカル発見の年が「1927年」とあるのは誤りである。

マンチェスター大学医学部のリチャード・ニーヴ氏及び、ニューヨーク市警殺人課の法医学者フランク・J・ドミンゴ氏の両名がそれぞれ、スケッチによる復顔を試みたところ、どちらも非常に良く似た顔になった。がっしりした外見や骨格の特徴から、ニーヴ氏はアメリカ先住民の女性のものだと推測している。 しかしオクラホマ州検視官事務所のクライド・C・スノウ博士の分析では、普通のアメリカ先住民とは異なるという見解が出されている。特に、臼歯のへこみが「X型」になっているのは異常だと指摘した(通常の人間は十字型のへこみになっている)。解剖学的に非常に正確である事から、彫り間違いであるとは考えられず、人間のものではないと氏は述べている。

これらの髑髏の素材となる水晶は硬度の高い物質であり、また割れやすく加工は難しい。しかし、現代の道具を用いなくとも、時間をかけて磨いていけば人間の手でも髑髏への加工は可能と言われている。人力による手作業では300年以上はかかるとする見解もある一方で、手作業で半年ほどで制作してしまうグループもいるという。ただし、ミッチェルヘッジス・スカルと同等の精度を持つ物は制作されていない。

2008年4月、スミソニアン研究所で精密な調査が行われ、電子顕微鏡による精密な検査によって水晶髑髏の表面にはダイヤモンド研磨剤と思わしき切断跡が確認され、検査に当たったジェイン・M・ウォルシュ氏の個人見解ではこの髑髏が制作されたのは19世紀末以降であり、ベリーズの遺跡で発掘されたものではないと結論付けられた。事実、歯の部分やあごの取り付け部に金属ドリルによる加工痕があることが、以前の調査でも確認されている。ただし、ウォルシュ博士は「ミリメートル未満の切削工具」の使用を推測しているが、例えば歯科が使うような高速小型ハンドドリルは、1957年にジョン・ボーデン氏が発明するまで存在していなかった。

エール大学のマイケル・D・コー教授によると、アステカの遺跡から黒曜石製の、回転ろくろを使わなければ製作できない耳飾りが出土しており、またペルー・ワロ遺跡では真円の掘削跡が見られるブロックが多数存在する事などから、古代中南米に回転工具が存在した可能性は否定できず、回転工具の跡は必ずしも近代作の証拠にはならないという意見もある。

特殊なレンズ効果[編集]

ヘッジスの水晶髑髏には特殊な効果がある、と所有者(および支持者たち)は主張している。

  • 下から光を射すと、眼窩に光が集中する。その光を凝視していると1分弱で大半の人が催眠状態に陥るという主張もある。
  • 太陽の光を当てると全体が美しい虹色に光る。
  • ロウソクの炎を当てると神秘的な紫色に光る。

この他にも主張者たちは、この特殊なレンズ効果の仕組み構造は今もって分かっておらず、現在の最先端技術をも用いてもその再現不可能であると主張している。

ただし、これらは実際に学術的な研究や検証などが行われた訳ではなく、また水晶の髑髏による効果とされるもののうちの幾つかは生理現象物性による説明も可能であり、水晶の髑髏に神秘性を求める者たちの主張の域を出ているわけではない。

水晶髑髏に纏わる伝承[編集]

チェロキー族の治療師ハーレー・スウィフトディア・レーガン氏によると、12個の通常サイズのスカルと、13個目の最大のスカルが存在するという伝承がある。一般的には「水晶ドクロは全部で13個あり、全てが再び一ヶ所に集結した時、宇宙の謎が暴かれる」「2012年までに一箇所に集めないと世界は滅びる」などの説が定着しているが、後者についてはアメリカ先住民の伝承にはない。2011年現在はすでに19個も「発見」されているとされる。ピンク色の可愛らしいものや、かなりいびつな形をしたものまで様々である。ジェイン・M・ウォルシュ博士の見解では近代の作と判定されているものの、ミッチェル・ヘッジスのスカルが最も精巧な出来栄えである。ただし、後述の通り、偽物と断定されていない物も存在する。

その他の水晶髑髏[編集]

ヘッジスの水晶髑髏以外のものをいくつか記載する。ただし、オーパーツと判断しがたいものや、上記のように偽物と断定されたものも含む。

ブリティッシュ・スカル
アステカの遺跡から発見されたという大英博物館にある「頭蓋骨」。
円盤型の回転工具による加工痕があり[1]、ヨーロッパで19世紀後半に製作したものであることが判明した。研磨は、ダイヤモンドを混ぜた鉄製工具でなされたとみられている。また含有物の調査により水晶はマダガスカル産であることも判明した。
この髑髏はパリで骨董品店を経営していたフランス人の古物商ユージン・ボバンが所有していた物で、1881年に店に3500フランで展示されたが買い手がつかず、ニューヨークの宝石商ティファニーに950ドルで販売された。ティファニーは1898年に大英博物館に売却した。
パリス・スカル
フランス・パリ人類学博物館所蔵。高さ11cm、重さ2.7kg。頭の天辺から底辺まで、垂直な穴が空いている。
ちなみに、フランスのケ・ブランリ美術館が所蔵する水晶髑髏は、ブラジル産の原石を使って19世紀後半にドイツで作られた物であることが2008年4月に判明した[2]
この髑髏は、前述のユージン・ボバンがアステカの遺跡から出土したと主張していたもので、ボバンが所有していた二つ目の髑髏である。
レインボー・スカル
2006年に日本に運ばれ、テレビ朝日系「ドスペ!古代ミステリー秘宝殿」で放送された際にスタジオに登場した。
ETスカル
フロリダに住む人物が所有。前頭葉と上顎が突き出しているためこのように呼ばれる。
シャ・ナ・ラー・スカル
サンフランシスコに住む人物が所有。1959年にメキシコの山中で発見したと主張しているが、この人物はパスポートなどの証拠提出は拒否している。ちなみこのスカルは大英博物館で検査されたのち、博物館職員に検査結果については口外しないよう、という厳命が出ているが、その理由は定かではない。
マヤ・スカル
グアテマラで発見され、マヤの神官が所有していたとされているが、発見場所の記録や神官が所有していた証拠は何もない。
アメジスト・スカル
紫水晶で作られた髑髏。現在行方不明。
ローズ・スカル
薔薇水晶で作られた髑髏。メキシコで発見されたとされている。下顎骨部分が取り外し可能。
カース・スカル
スミソニアン博物館所蔵。内部が空洞なのが特徴。1996年の調査で19世紀の偽物と判定され、その後X線回折を用いた調査によりカーボランダムによる加工痕を確認したことから、1950年代以降に作られたものと考えられている[3]

ほかに

  • 57ポンド・スカル
  • ヘルメス・スカル
  • イカボッド・スカル
  • マドレ・スカル
  • マハサマトマン・スカル

など。

なお、これらを紹介する本の記事には「現代の技術をもってしても再現不可能」と冠せられていることも多いが、少なくとも現代では店舗で購入できるようなイミテーションと同水準の物もある。

そもそもこの表現自体、実証した例がなく(ヒューレット・パッカード研究所の報告書にも「再現不可能」とは書いていない)、何年も前の本に同じように書かれている(記事の表現が転載されていないとは断定できない)ことがある。

水晶髑髏を題材にしたフィクション[編集]

  • この水晶髑髏をモチーフとしたRPGが、シムシティで知られるマクシス社から発売されたことがある。

脚注[編集]

  1. ^ インフォペディア編著『ここまで分かった! 世界の七不思議』光文社知恵の森文庫、2010年 ISBN 978-4334785611
  2. ^ asahi.com 「インディもびっくり 水晶ドクロは19世紀独製」 2008年4月24日掲載記事
  3. ^ Rincon, Paul (2008年5月23日). “Crystal skulls 'are modern fakes'”. British Broadcasting Corporation. 2008年10月31日閲覧。

参考文献[編集]

  • 『謎のクリスタル・スカル』(徳間書店)-クリス・モートン/セリ・ルイーズ・トマス(1998年、ISBN-19-860939-X)
  • 『図説古代マヤ文明』(河出書房新社)- 寺崎秀一郎(1999年)
  • 『古代大和まほろばプロジェクト』- 森嶋直樹(2004年,ISBN 9784835572369)

「その他の水晶髑髏」欄に書かれた57ポンド・スカルからマハサマトマン・スカルまでは並木伸一郎監修『超古代の遺物オーパーツの謎』(2005年,ISBN 4-8124-6305-X C9979)に写真が掲載されていたもので、実証その他は不明。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]