武田神社

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武田神社
武田神社
所在地 山梨県甲府市古府中町2611
位置 北緯35度41分12.75秒
東経138度34分38.9秒
主祭神 武田信玄
社格 県社・別表神社
創建 大正8年(1919年)
例祭 4月12日
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武田神社(たけだじんじゃ)は、山梨県甲府市古府中町にある神社躑躅ヶ崎館の跡地(武田氏館跡)に建てられており、武田信玄祭神とする。旧社格は県社

目次

[編集] 歴史

戦国期に武田城下町の中心で領国経営の中核であった武田氏館跡は武田氏滅亡跡に破却され、甲府は南端の甲府城を中心とした城下町としなる。近世に武田氏館跡は「古城」「御屋形跡」と呼称され武田氏時代を偲ぶ名所のひとつとして旅行者が訪れる程度であったが、明治期には史跡保存運動が起こる。

明治13年には明治天皇が地方巡幸に際して武田信玄ゆかりの社寺保存のために保存金を下賜し、山梨県ではこれを契機とした信玄霊社建設運動が起こる。県令藤村紫朗は古城地の公有地化を進めた。保存金下賜の目的は、明治初期の大小切騒動で消沈した県民の帰向心再生であったという。

明治維新後には歴史上の忠臣や勤皇家に追贈を行うことが行われており、また日露戦争後には神社に武神・軍神を祀ることが奨励され、軍神と評される武田信玄を祀った神社創建の機運があった。1915年大正4年)、大正天皇の即位記念に武田信玄に従三位が追贈されたのを契機に、「武田神社奉建会」が設立され、1919年(大正8年)には社殿が竣工し、信玄の命日にあたる4月12日には初の例祭が行われた。別格官幣社への昇格運動は上杉謙信を祀った上杉神社が指定されていたことへの対抗意識も加え、郷土史家は内務省が昇格条件に求める勤皇事跡の発掘に務めた。

4月12日に行われていた例大祭には神輿の後に地元相川住民による武田二十四将を模した騎馬行列が行われており、1947年昭和22年)からは甲府市と市商工会議所、観光協会の共同開催で桜祭りが開催され、最終日を例祭に合わせていた。戦後には観光業振興により武田信玄が歴史的観光資源として着目され、1966年(昭和41年)からは甲府信玄祭りが開催され、以来は行政主導による都市祭礼としての信玄公祭りが4月12日前の土日に開催されており、地域住民による例祭と共存している。

境内にある宝物殿(入場は有料)には、太刀「吉岡一文字」や信玄公の軍扇、武田二十四将図等、武田家ゆかりの貴重な品々が収められている。

[編集] 文化財

重要文化財(国指定)
  • 太刀 銘一(吉岡一文字)
1880年(明治13年)、明治天皇に供奉して来県した太政大臣三条実美が、信玄正室の三条夫人三条家の出自であることにちなみ寄進した太刀で、鎌倉時代末期の制作。大正6年(1913年)に創建されるまでは国立第十銀行山梨中央銀行)に保管されており、創建の際に神宝となる。備前吉岡一文字派の作。銘は「一」と刻するのみで、刀工の個名は不明である。
明治初期の県令藤村紫朗の推進した擬洋風建築である睦沢(むつざわ)小学校校舎。1966年に隣接する中巨摩郡敷島町(現甲斐市)から西曲輪に移築されたが、2010年10月に再開発中の甲府駅北口広場に再び移転された。

[編集] 交通

[編集] 参考文献

  • 秋山敬「明治時代における武田氏館跡保存問題」『山梨県史研究』第14号

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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