新宿区立江戸川小学校

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新宿区立江戸川小学校
校門
地図北緯35度42分25秒 東経139度44分11秒 / 北緯35.70694度 東経139.73639度 / 35.70694; 139.73639座標: 北緯35度42分25秒 東経139度44分11秒 / 北緯35.70694度 東経139.73639度 / 35.70694; 139.73639
過去の名称 東京府東京市江戸川尋常小学校
東京府東京市江戸川尋常高等小学校
東京府東京市江戸川尋常小学校
東京都江戸川国民学校
国公私立の別 公立学校
設置者 新宿区の旗新宿区
設立年月日 1905年明治38年)12月1日
共学・別学 男女共学
学校コード B113210400029 ウィキデータを編集
所在地 162-0811
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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新宿区立江戸川小学校(しんじゅくくりつ えどがわしょうがっこう)は、東京都新宿区水道町にある公立小学校

概要[編集]

開校の経緯[編集]

1905年明治38年)12月1日東京府東京市江戸川尋常小学校として開校[1]

赤城尋常小学校(赤城小学校)、津久戸尋常小学校(現:新宿区立津久戸小学校)、早稲田尋常小学校(現:新宿区立早稲田小学校)の3校から児童を移し、これら3つの小学校から分かれる形で発足した[1]

赤城小学校[編集]

この3校のうち、唯一現存しない赤城小学校(あかぎしょうがっこう)とは、戦前赤城神社境内にあった公立小学校で、現在の新宿区赤城元町1番3号に所在し、校舎は「赤城生涯教育館(旧称:赤城社会教育会館)[2]」の場所にあった。

学制公布により1875年(明治8年)に「赤城学校」として開校。1880年(明治13年)教育令により赤城小学校へ改称、1886年(明治19年)小学校令により東京府東京市赤城尋常小学校へ改称、1941年(昭和16年)国民学校令により東京府東京市赤城国民学校へ改称、1943年(昭和18年)東京都制施行により東京都赤城国民学校へ改称した。

赤城小学校は、1945年(昭和20年)5月の東京大空襲により校舎を焼失し、終戦後の1946年(昭和21年)3月をもって廃校となった。

東京大空襲では、江戸川小学校も被害を受けたが、校長の家族と地元警防団の尽力により、校舎の一部が焼失したのみにとどまった。

校名の由来[編集]

江戸川小学校の学区は北側にある神田川までで、の対岸は文京区水道となる[3]。かつて「平川」と呼ばれた神田川は、江戸時代神田上水建設によりその一部(現在の文京区関口 - 千代田区飯田橋)が「江戸川」と呼ばれ、春は、夏はの名所として親しまれたため、開校の際に「江戸川」の名を校名に付けたものである[3]

戦後に河川名が神田川に統一され「江戸川」の名は失われたが、江戸川小学校の校名をはじめ、学校付近にある神田川の橋「江戸川橋」や江戸川橋駅名にその名を留めている[3]

学校所在地の新宿区水道町と、神田川対岸の文京区水道の地名「水道」は神田上水に由来し、付近には水道橋石切橋(神田川に架かる橋。工事の際の石切り場があった)など、神田上水に由来する地名が多く残っている[3]

なお、同じ東京都内の江戸川区江戸川1丁目1-16にも、同名の公立小学校「江戸川区立江戸川小学校」が存在する[4]1968年4月1日開校[5])。こちらはかつての江戸川本流である旧江戸川のほとりに建つ学校である。

沿革[編集]

  • 1905年明治38年)12月1日 - 東京市江戸川尋常小学校として開校。個人所有の敷地・建物を購入し、赤城尋常小学校・津久戸尋常小学校・早稲田尋常小学校の3校から児童を移し、1年生 - 3年生の6学級322人で発足[1]
  • 1906年(明治39年)
  • 1908年(明治41年)4月1日 - 東京市江戸川尋常小学校へ再度改称[1]
  • 1917年大正6年)3月16日 - 木造2階建ての新校舎が完成(普通教室22室・特別教室3室)[1]
  • 1936年昭和11年)3月15日 - 鉄筋4階建ての現校舎が完成(普通教室20室・特別教室5室)[1]
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行により、東京都江戸川国民学校へ改称[1]
  • 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革により、東京都新宿区立江戸川小学校へ改称[1]
  • 1997年平成9年)- 併設の公立幼稚園・新宿区立江戸川幼稚園が休園。
  • 2005年(平成17年)3月7日 - 普通教室等の冷暖房設備設置工事が完成[1]
  • 2008年(平成20年)1月21日 - 校庭改修工事が完成[1]
  • 2010年(平成22年)4月1日 - 学校ICTシステム稼働開始[1]
  • 2023年令和5年)
    • 1月 - 教科・領域は指定しない 新宿区教育課題モデル校となる[6]
    • 11月20日 - 新宿区が翌2024年度(令和6年度)より、区立小中学校の給食費を無償化することを発表[7]

校章・校歌[編集]

校章は古くから使われているもので、江戸川(現在は神田川)が明治末期までの名所として親しまれたことから、桜の花の中央に江戸川の「江」の文字を置いた図案となっている[8]

校歌は学校創立翌年の1906年(明治39年)に制定されたもので、作詞は新保磐次、作曲は天谷秀[9]。歌詞には江戸川の桜(1番)と川の流れ(2番)が歌われており、古風な文語体であるが[9]、現在に至るまで歌い継がれている[1]

教育目標[編集]

以下の3点を「教育目標」として掲げている[10]。この教育目標も古くから制定されているものである。

  1. よく考えやりぬく子
  2. 明るくじょうぶな子
  3. 仲良く助け合う子

通学区域[編集]

江戸川小学校の通学区域は以下のとおりである。[11]

天神町はそれ以外は新宿区立早稲田小学校の学区。
  • 山吹町 - 4~8番地、258~270番地、293~318番地
山吹町はほぼ江戸川橋通りを境に、新宿区立鶴巻小学校の学区とに分かれる。

江戸川小学校の通学区域は、大半が新宿区立牛込第三中学校の通学区域となっている(山吹町のみ新宿区立牛込第二中学校の通学区域)[12]

新宿区立江戸川幼稚園[編集]

敷地内に公立幼稚園として、新宿区立江戸川幼稚園(しんじゅくくりつ えどがわようちえん)を併設していたが[注釈 1]1997年平成9年)に江戸川幼稚園は休園となり、園のスペースは2011年(平成23年)12月1日から小規模保育事業(保育ルーム)に転用され、株式会社日本保育サービスが運営する「新宿区保育ルームえどがわ園」[14]として活用されている[15]。しかし「えどがわ園」も待機児童の解消などを理由に、2028年度(令和10年度)までに順次事業を終了することが決定している[15]

周囲[編集]

周囲はマンションなどが建ち並ぶ住宅街となっているほか、地域の伝統的な産業である出版印刷製本関連の会社や工場が多い。

交通アクセス[編集]

著名な出身者[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ なお、東京都江戸川区にも同名の「江戸川幼稚園」が存在するが、こちらは江戸川区立江戸川小学校の併設ではなく、私立幼稚園である[13]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 江戸川小のあゆみ 新宿区立江戸川小学校、2024年4月13日閲覧。
  2. ^ 赤城生涯学習館 公益財団法人 新宿未来創造財団
  3. ^ a b c d 江戸川小の歴史散歩 新宿区立江戸川小学校、2024年4月13日閲覧。
  4. ^ 江戸川区立江戸川小学校
  5. ^ 江戸川小学校のあゆみ 江戸川区立江戸川小学校
  6. ^ 令和5年度 区市町村及び東京都教育委員会並びに文部科学省 研究協力・推奨・推進・指定校・創意工夫ある学校等一覧 東京都教育委員会、2023年10月14日閲覧。
  7. ^ 「新宿区立小中校給食費無償化へ 来年度から」『読売新聞』2023年11月20日付、2023年11月21日閲覧。
  8. ^ 校章のいわれ 江戸川区立江戸川小学校、2024年4月13日閲覧。
  9. ^ a b 校歌 江戸川区立江戸川小学校
  10. ^ 学校長あいさつ 江戸川区立江戸川小学校、2024年4月13日閲覧。
  11. ^ 小学校名別学区域一覧表 新宿区、2018年8月13日更新、2024年4月13日閲覧。
  12. ^ 中学校名別学区域一覧表 新宿区、2018年8月13日更新、2024年4月13日閲覧。
  13. ^ 学校法人アゼリー学園 江戸川幼稚園
  14. ^ 新宿区保育ルームえどがわ園 株式会社日本保育サービス、2024年4月13日閲覧。
  15. ^ a b 小規模保育事業(保育ルーム)のご案内 新宿区、2023年9月21日更新、2024年4月13日閲覧。
  16. ^ 会社情報 三晃印刷株式会社
  17. ^ 新宿区内の公園 - 白銀(しろがね)公園 新宿区、2016年11月1日更新
  18. ^ 地蔵通り商店街振興組合
  19. ^ a b アクセス 新宿区立江戸川小学校

関連項目[編集]

外部リンク[編集]