愛にさよならを

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愛にさよならを
カーペンターズシングル
収録アルバム ア・ソング・フォー・ユー
B面 クリスタル・ララバイ
リリース 1972年6月19日
録音 1972
ジャンル ソフトロック
時間 3:58
レーベル A&Mレコード
作詞・作曲 リチャード・カーペンター
ジョン・ベティス
プロデュース ジャック・ドーアティー英語版
チャート最高順位
  • 7位(アメリカ)
  • 4位(カナダ)
  • 9位(イギリス)
  • 55位(日本)
カーペンターズ シングル 年表
小さな愛の願い
(1972年)
愛にさよならを
(1972年)
シング
(1973年)
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愛にさよならを」(あいにさよならを、: Goodbye to Love)は、リチャード・カーペンタージョン・ベティスが作曲し、カーペンターズが1972年に発表した歌。

経緯[編集]

リチャード・カーペンターが、ビング・クロスビーの1940年の映画『愉快なリズム英語版』を観ているうち、劇中で苦悶する作曲家の偉大な作品『愛にさよならを』は題名しか言及されず、リチャード曰く「その曲は劇中で演奏されず、ただ曲の存在が口にされるだけ」とのこと。彼はすぐにメロディと歌いだし歌詞を思いついたという。

愛にさよならを言おう
私が死のうと生きようと、誰も気にかけはしない。
私の傍を、恋のきっかけが何度も通り過ぎていった…

カーペンターズがこの曲の制作をするうち、リチャードはファズギターを取り入れるべきだと考え、カレン・カーペンターはカーペンターズの前座を務めていたバンドのトニー・ペルーソに電話をかけ、レコーディングへの参加を誘った。ペルーソは後に「最初は電話の主が本当にカレン・カーペンターなのか信じられなかった。でも彼女がもう一度名乗ってくれて…ようやく本当に彼女なんだと、自分が憧れのアイドルと話しているんだと分かった」と回想している。カレンはペルーソに、自分とリチャードが「愛にさよならを」という曲の制作をしていること、2人ともペルーソのバンドでの仕事ぶりをよく知っていること、ペルーソは自分たちが求める音にぴったりなのだという事を伝えた[要出典]。(レコーディングで)まずペルーソはいくぶん優しく、甘く演奏したが、リチャードは「違う違う! メロディーを5小節演じたら、その後はバクハツするんだ! 成層圏まで舞い上げろ! さあ行け! きっと凄いぞ!」と励ました[1]。15分後、この名曲は缶に収められた。

リチャードは、1971年末ベティスと共にロンドンを訪れている間にまず曲を書き上げ、翌1972年には詞を加えた。リリースされると、Billboard Hot 100の7位まで上った。カーペンターとベティスの共作からなる曲が全米10位内に入ったのはこれが最初である。しかし、ラブバラードにファズギターのソロを入れるというリチャードのアイデアによって、「カーペンターズは裏切ってハードロックに転向した」といった嫌がらせの手紙が届いた。また、いくつかのアダルト・コンテンポラリー志向のラジオ局も、これを理由に放送しなかった(シングルA面としては「涙の乗車券」に次いで初めてこの曲がアダルト・コンテンポラリー・チャートの1位になれなかったのはこれが理由かもしれない)。しかし、多くのカーペンターズ・ファンは今日でも、この曲をそのユニークさゆえに高く評価している。ペルーソは「ロックンロールイージーリスニングを融合させようなんて誰も考えつかなかった事だよ。リチャードの発想には驚かされた」と述べている[1]。現在では、パワーバラード (power ballad) の原型だと評されている[1]

ドキュメンタリーDVD "Close to You: Remembering the Carpenters" で、トニー・ペルーソは「この曲はファズギターを初めて使ったラブバラードのうちの一つだ」と述べている。

言及[編集]

「愛にさよならを」はSFシチュエーション・コメディ宇宙船レッド・ドワーフ号」の第2シリーズ第11話「お払い箱?ホリー最大のピンチ!」で使われている。ノーマン・ラヴェット英語版演じるホリー(宇宙船のコンピュータ)が後継機の登場で電源を切られる時、ホリーがこの曲を歌う。

脚注[編集]