年越し蕎麦
年越し蕎麦(としこしそば)とは、大晦日(12月31日)に縁起を担いで食べられる蕎麦で、歳末の日本の風物詩である。地域によって違いもあり(#各地の年越し蕎麦参照)呼び方もみそか蕎麦、大年そば、つごもり蕎麦、また、大晦日蕎麦、年取り蕎麦、年切り蕎麦、縁切り蕎麦、寿命蕎麦、運蕎麦、福蕎麦、思案蕎麦と多くある。
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[編集] 概要
日本全国に見られる日本の文化である。地域によって違いがあるが(#各地の年越し蕎麦参照)年を越す前に食べきらなければならず、蕎麦を残すと翌年金運に恵まれないなどと言われている。
年越し蕎麦の由来とされる説は「細く長く達者に暮らせることを願う」というものがもっとも一般的である。
他にも説がありに、ソバは風雨に叩かれてもその後の晴天で日光を浴びると元気になる事から「健康」の縁起を担ぐ説、蕎麦が切れやすいことから、一年間の苦労や借金を切り捨て翌年に持ち越さないよう願ったという説[1]もある。金銀細工師が金粉を集める為にそば粉の団子を使用した事から「金を集める」縁起物、薬味のネギは「ねぎらい祈る」また神職の「祢宜」の言葉に掛けて使う人もおり、鎌倉時代の博多承天寺「世直し運そば」のようにソバ殻を焼いた灰で洗うと汚れが落ちるから「旧年の汚れを落とす」とする説もある。
年末に家族そろって食べることが多いことから「末長く、そばにいたいから」という説もあるがこれは後付けの説ともされる。
日本における年越し蕎麦関連の各種調査では、「大晦日に家で年越し蕎麦を食べる」と回答をしている人が多数を占める[2]ことから、大晦日の蕎麦屋では持ち帰りのみで店内での提供を中止する所があり、家で夕食或いは深夜の夜食として食べる人が多い。
[編集] 歴史
元々、(特に商家において)江戸時代中期には月の末日に蕎麦を食べる「三十日蕎麦(みそかそば)」[3]という習慣があり、大晦日のみにその習慣が残ったものと考えられている。年越し蕎麦は、江戸中期ごろに始まっている。その当時の江戸中期ごろから江戸患い(脚気)が流行り出し、「そばを食べている人は脚気にならない」と言われ、蕎麦が江戸で流行した[4]。
また、11月から12月は新そばの季節であり都合がよい。
記録としては、1756年(宝暦6年)の眉斧日録には「闇をこねるか大年の蕎麦」と記述されている。明治時代・大正時代の大阪うどんの老舗では、商家でも「年越し蕎麦は注文が殺到した」と記述されている[5]。1812年(文化9年)の旅行記[6]によると、東北や甲信越では正月に祝い蕎麦を打つところもあった。
[編集] 各地の年越し蕎麦と例外
年越し蕎麦は、地方によって違いがある[7]。
- 福島県の会津地方では、大晦日でなく元旦に蕎麦を食べる風習がある(蕎麦以外にも「二日にもち、三日とろろ」といった風習がある)。
- 新潟県では、大晦日でなく1月14日(小正月の前日)に蕎麦を食べる「十四日(じゅうよっか)そば」や1月1日(元旦)に蕎麦を食べる風習もある。
- 福井県では 濃い目のつゆを大根おろしでのばしてそばにかけ、ネギと鰹節をのせた「おろしそば」(越前そば)を食べることが多い。
- 沖縄県では、日本そばではなく沖縄そばを食べる人の割合が多い。以前は年越し蕎麦を食べる習慣はなかった。
[編集] 脚注・資料
- ^ ヤマハリビング
- ^ 2003年11月27日~12月26日のアンケートで2708人中1582人(58.4%)が「家でおそばを食べる」と回答 第3回 教えて下さい!行く年来る年の過ごし方
西日本新聞 2010年1月3日 朝刊『年越しそばを食べた翌日は雑煮をいただく… 』によると、毎年のように行われる各種調査では「食べる」と回答した人の割合は80〜90%台の結果が出ている。 - ^ 用語解説サイト「三十日蕎麦」
- ^ http://iroha-japan.net/iroha/B02_food/04_soba.html
- ^ 大阪うどんの老舗「松葉家」の宇佐美辰一著 「きつねうどん口伝」
- ^ 山伏寺住職・泉光院
- ^ [1]
- 『蕎麦事典』新島繁著
- 「土丸の民俗」泉佐野市民俗調査報告書第一集
- 聞き書き 伊丹のくらし ~明治・大正・昭和~ 伊丹市立博物館発行
- 大和の村落共同体と伝承文化 中田太造著
- 泉光院 江戸旅日記(山伏が見た江戸期庶民のくらし 石川英輔著
- 「大坂繁花風土記」1814年(文化11年)
[編集] 関連項目
- 引越し蕎麦 - 蕎麦に関係する、習慣・風習の一つ
[編集] 外部リンク
- 麺類雑学辞典「年越し蕎麦」 - そばの散歩道(日本麺類業団体連合会)
- 社会人の基礎知識「年越しそば」