ヴォカリーズ (ラフマニノフ)

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Vocalise, Rachmaninoff.png

セルゲイ・ラフマニノフ歌曲ヴォカリーズ嬰ハ短調は、1912年6月に作曲されて1913年に出版されたソプラノまたはテノールのための《14の歌曲集》作品34の終曲のことである。より正確には、1913年出版時は13曲までしか含まれず、1915年に完成された第14曲は同年末の出版である。最初の草稿は13曲に先立つ1912年春で、この時点ではピアノ伴奏だったが、補筆・改訂を重ねる間に自ら管弦楽編曲を行い、1916年1月初演はクーセヴィツキー指揮による管弦楽版だった。初演者のソプラノ歌手アントニーナ・ネジダーノヴァに献呈されている。母音「アー」で歌われる溜め息のような旋律と、淡々と和音と対旋律とを奏でていくピアノの伴奏が印象的である。ヴォカリーズの性質上、歌詞はない。ロシア語の制約を受けないためもあって、ラフマニノフの数多ある歌曲の中でも、最も人口に膾炙した1曲となっている。また、さまざまな編成による器楽曲としても広く演奏されている。

概要[編集]

ロシア音楽に共通の愁いを含んだ調べは、この作品においては、バロック音楽の特色である「紡ぎ出し動機」の手法によっており、短い動機の畳み掛けによって息の長い旋律が導き出されている。鍵盤楽器による伴奏が、もっぱら和音の連打に徹しながら、時おり対旋律を奏でて、瞬間的なポリフォニーをつくり出しているのも、初期バロックのモノディ様式を思わせる。旋律の紡ぎ出し部分は、ラフマニノフが愛したグレゴリオ聖歌怒りの日》の歌い出し部分の借用にほかならない。また、拍子の変更こそ散見されるものの、(ロシア五人組の特徴である)不協和音旋法の多用を斥けて、古典的な明晰な調性感によっている。西欧的な手法や素材を用いながらも民族的な表現を可能たらしめているところに、ラフマニノフの面目躍如を見て取ることが出来る。

音域[編集]

出版譜では、ソプラノかテノールで歌いうると明記されているものの、実際にはたいていリリック・ソプラノによって、また最近では稀にボーイソプラノカウンターテナーによっても上演・録音されている。音域は、高音の嬰ハ音にまで達するが、高音で止まる別の案も作曲者によって提案されている。好んで用いられるのは前者の案であるのだが、いずれにせよ女声の高音域の魅力を効果的に引き出したものである。テノール版は、ソプラノより単に1オクターヴ低いだけなので、実際にはコントラルトの音域になっている。したがって、移調なしでテノールが歌うと、ピアノの伴奏と混ざり合って奇妙な響きを発しうる。おそらくそのためもあってか、テノール歌手が取り上げることはほとんどない。

編曲版[編集]

ラフマニノフの《ヴォカリーズ》は作曲者の生前から非常に人気が高く、さまざまな形に編曲されてきた。中でも有名な編曲例の一つは、ピアノ独奏版であろう。少なくとも、アラン・リチャードソン版、コチシュ・ゾルターン版、アール・ワイルド版の3種が知られている。ワイルド版は、19世紀ヴィルトゥオーソのトランスクリプションの伝統を引いた華麗な編曲で知られており、リチャードソン版は、原曲に装飾や音域移動を施している。コチシュ版は、中間部までは原曲に忠実であるが、再現部になって装飾変奏や和声の変更が加えられる。コチシュ版に関して、田部京子が独自の解釈で、リチャードソン版に似た、より単純な再現部にアレンジして演奏、録音している。コチシュ版は、ラフマニノフ自身の「チャイコフスキーの子守唄」の編曲様式(1941年)を意識的に踏襲している。

またピアノ版と同じくらい有名な編曲版として、上記の作曲者自身による管弦楽版や、チェロヴァイオリンなどの独奏楽器とピアノ伴奏によるデュエット版が挙げられる。これらの編曲版では、原調のままでなく、ホ短調に移調されていることがしばしばである。

このほかに、声楽版や合奏版では、次のような編曲例がある。

参考資料[編集]

  • 2010年3月26日第5回ロシア音楽研究会「ラフマニノフの世界」配布解説(一柳富美子執筆)

外部リンク[編集]