ラップランド戦争
| ラップランド戦争 | |
|---|---|
| 戦争:第二次世界大戦 | |
| 年月日:1944年10月1日 - 1945年4月25日 | |
| 場所:フィンランド | |
| 結果:フィンランドの勝利 | |
| 交戦勢力 | |
| 戦力 | |
| 60,000 | 200,000 |
| 損害 | |
| 戦死傷 1,000 | 戦死傷 2,000 |
ラップランド戦争(ラップランドせんそう,英: Lapland War)は、1944年9月から1945年4月にかけて、フィンランドとドイツとの間で行われた戦争。戦闘がフィンランド最北のラップランドで行われたことに由来する。
1943年夏、早くもドイツ軍最高司令部はフィンランドのソ連との単独和平合意という不測の事態に備え計画を練り始めていた。ドイツ軍はペッツァモの近くのニッケル鉱山を守るために、兵力を北方に移動させる計画であった。1943年冬から1944年の間ノルウェーの北部からフィンランドの北部に捕虜の労力を用いて道路を整備した。フィンランドとソビエトの講和が成立した1944年9月にはドイツの準備は完了していた。
ドイツ陸軍は北方に撤退したが、ドイツ海軍はフィンランド湾のスールサーリ島を占領するタンネ・オスト作戦を発動した。より平和的な撤退を求める努力は成されたが、フィンランドとドイツの戦闘は、フィンランドとソ連の平和条約が締結される前に始まった。ドイツ軍のフィンランド領からの完全撤退というソ連の要求を守るために、戦闘は激しさを増した。フィンランドでも、連合国軍に降伏したイタリアやルーマニアと同様、ドイツ軍と戦わなければならない状況になった。ソ連が同時にフィンランド軍主力の武装解除を求めたことがさらに困難を大きくした。
フィンランドのヤルマル・シーラスヴオ将軍が1944年10月のスオムサルミの戦いで勝利して、北部フィンランドの大部分からドイツ軍を駆逐した。ロタール・レンデュリック将軍の指揮するドイツ軍は焦土作戦を行った。その区域の住居の3分の1以上が破壊され、ロバニエミの街は燃え尽きた。損害は当時の価値で約3億ドルと見積もられ、10万人の住民が難民となり、戦後の復興の課題となった。後にレンデュリックは戦争犯罪人とされ、懲役20年を宣告された。最後のドイツ軍が撤退したのは1945年4月である。
軍の死傷者は、フィンランド軍が1,000人、ドイツ軍が約2,000人であった。
参考文献 [編集]
- 梅本弘『流血の夏』、大日本絵画、1999年、 ISBN 4-499-22702-X
- カリ・クーセラ『フィンランドのドイツ戦車隊』斎木伸生(訳)、大日本絵画、2002年、 ISBN 4-499-22771-2
関連項目 [編集]
外部リンク [編集]
- Pictures from Wars during Finland´s independence:The War of Lapland (maps, photos from front, songs and radio speeches)