マニプル州
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| マニプル州 Manipur মণিপুর |
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| 基礎情報 | ||
| 国 | ||
| 行政区 | マニプル州 | |
| 州都 | インパール(Imphal) | |
| 面積 | 22,327 km² | |
| 人口 | (2001年) | |
| - 合計 | 2,388,634 人 | |
| - 人口密度 | 107 人/km² | |
| 時間帯 | インド標準時(IST)UTC+5:30 | |
| 公用語 | マニプリ語 | |
| 創立 | 1972年1月21日 | |
| 知事 | シビンダー・シン・シドゥー(Shivinder Singh Sidhu) | |
| 首相 | オクラム・イボビ・シン(Okram Ibobi Singh) | |
| 立法機関(議席数) | 一院制(60) | |
| 略称(ISO) | IN-MN | |
| 州公式ウェブサイト | http://manipur.nic.in | |
マニプル州(ベンガル文字表記:মণিপুর、英語:Manipur)は、インドの東部にある州の一つ。インドの北東端で、ミャンマーに国境を接する。中心都市インパール。22,327平方キロメートル、2,388,634人。
住民はチベット、ビルマ系のメイト、ナガ族、クキ族など焼き畑農業を営む山岳民が多い。ナガ族は北のナガ丘陵に階段耕作を営む定着的な民族、クキ族は南のチン丘陵などに住む移動的な民族である。彼らはマニプリ語を用い、ヒンドゥー化されたものが多い。これら民族の一部には、インドからの分離独立や州境の変更などを目指すグループがあり、しばしば治安当局と衝突が発生。2012年の死者は双方で110人との集計値がある[1]。
目次 |
主要都市 [編集]
- インパール(Imphal)
地方行政区分 [編集]
- ビシュヌプル県 (Bishnupur District)
- チューラーチャーンドプル県 (Churachandpur District)
- チャンデール県 (Chandel District)
- 東インパール県 (Imphal East)
- セーナーパティ県 (Senapati district)
- ターメンロン県 (Tamenglong District)
- タウバール県 (Thoubal District)
- ウクルル県 (Ukhrul District)
- 西インパール県 (Imphal West)
歴史 [編集]
1752年、土侯の一人アラウンパヤーが、シュウェボを都として国の再統一に乗り出すと、アラカン、シャムとともに戦場となった。 1891年、Anglo-Manipur War。 1944年、インパールを目指す日本軍が進入した。
地理 [編集]
大部分を占める西のマニプル丘陵、東のレタ山脈などほぼ南北に走る標高1000~2000mの数条の山岳地帯と中央に介在するインパール盆地からなる。バラク川、マニプル川などの谷がある。
産業 [編集]
農業が中心で、盆地の沖積平野や山岳地帯の段々畑で、主産物の米、麦、豆類が栽培される。工業は手工業で養蚕とマニプル手織り綿布は名高い。
1995年には、ミャンマーとの国境貿易制度が緩和され、インド、ミャンマー両国民は日帰りを条件にビザ不要で往来が可能となった。これ以降、国境周辺ではインドの需要を満たすための東南アジアや中国製の商品の売買を中心とした商業活動が活発化している[2]。
出典 [編集]
- ^ “大戦の地インパール 東南ア結ぶ 陸の大動脈狙うインド 3”. 産経ニュース (産経新聞社). (2013年4月21日) 2013年5月12日閲覧。
- ^ “大戦の地インパール 東南ア結ぶ 陸の大動脈狙うインド 1”. 産経ニュース (産経新聞社). (2013年4月21日) 2013年5月12日閲覧。
関連項目 [編集]
文学リンク [編集]
マニプルに関する情報の豊富なウェブサイト [編集]
外部リンク [編集]
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