ボビー・ダンカン・ジュニア

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ボビー・ダンカン・ジュニア
プロフィール
リングネーム ボビー・ダンカン・ジュニア
本名 ロバート・E・ダンカン・ジュニア
ニックネーム ボビー・D
身長 196cm
体重 125kg - 134kg
誕生日 1965年8月26日
死亡日 2000年1月24日(満34歳没)
出身地 アメリカ合衆国の旗 テキサス州オースティン
スポーツ歴 アメリカンフットボール
トレーナー スカンドル・アクバ[1]
デビュー 1989年[2]
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ボビー・ダンカン・ジュニアBobby Duncum, Jr.1965年8月26日 - 2000年1月24日)は、アメリカ合衆国プロレスラーテキサス州オースティン出身。

父親のボビー・ダンカンと同様、カウボーイギミックの大型ラフファイターとして、1990年代全日本プロレスWCWで活躍した。

来歴[編集]

テキサス大学オースティン校カレッジフットボールの選手として活動後[3]1989年に地元テキサスダラスにてデビュー[2]1992年下期、ダラスのインディー団体GWF(グローバル・レスリング・フェデレーション)にてジョン・ホークと大型カウボーイ・コンビを結成し、11月27日にブラック・バート&ジョニー・マンテルからGWFタッグ王座を奪取[4]。翌1993年5月、当時GWFとの提携ルートを持っていたNOWに初来日した。

1995年5月、全日本プロレスに初参戦し、以降は全日本の常連外国人選手となって活躍。かつて父のボビー・ダンカンとタッグを組んだことのあるスタン・ハンセンのタッグパートナーにも起用され、1997年世界最強タッグ決定リーグ戦にはハンセンとのコンビで出場している。全日本参戦と並行してアメリカではECWに単発出場しており、トミー・ドリーマーバンバン・ビガロサブゥーロブ・ヴァン・ダムアル・スノースーパー・ノヴァダグ・ファーナスフル・ブラッデッド・イタリアンズなどと対戦した[5]

1998年11月、ベビーフェイスのポジションでWCWに参戦。同月16日の『マンデー・ナイトロ』におけるデビュー戦でクリス・ジェリコのWCW世界TV王座に挑戦してカウントアウト勝ちを収め(タイトルは移動せず)、以降ジェリコと抗争を展開した[5]。翌1999年ヒールに転向し、カート・ヘニングバリー・ウインダムケンドール・ウインダムとのカウボーイ・ユニット、ウエスト・テキサス・レッドネックスで活動。フィルシー・アニマルズ(コナンエディ・ゲレロレイ・ミステリオ・ジュニアビリー・キッドマン)やレボリューション(クリス・ベノワシェーン・ダグラスディーン・マレンコペリー・サターン)と軍団抗争を繰り広げた。

1999年の秋から回旋筋腱板の手術のため欠場していたが[6]、翌2000年1月24日鎮痛剤の過量投与のため死去[1]。34歳没。

得意技[編集]

獲得タイトル[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b Wrestler Profiles: Bobby Duncum Jr.”. Online World of Wrestling. 2012年5月11日閲覧。
  2. ^ a b 『全日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P90(2002年、日本スポーツ出版社
  3. ^ WCW/nWo World War III - Sunday, 11/22/98”. DDT Digest. 2012年5月11日閲覧。
  4. ^ a b GWF Tag Team Title History”. Wrestling-Titles.com. 2012年5月11日閲覧。
  5. ^ a b Wrestlers Database: Bobby Duncum Jr.”. Cagematch.net. 2012年5月11日閲覧。
  6. ^ Bobby Duncum Jr found dead”. SLAM! Wrestling. 2012年5月11日閲覧。

外部リンク[編集]