ビャウィストク
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| ビャウィストク ( Białystok ) | |||
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| 位置 | |||
| 情報 | |||
| 県: | ポドラシェ県 | ||
| 緯度: | 北緯 53°07' | ||
| 経度: | 東経 23°10' | ||
| 標高: | 120~160m | ||
| 面積: | 94 km² | ||
| 人口 - 合計 - 人口密度 |
約292,000 人 3102 人/km² |
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| 郵便番号: | 15-001 | ||
| 市外局番: | 085 | ||
| 市長: | タデウジュ・ツルスコラブスキ(Tadeusz Truskolaski) | ||
| 公式サイト: | 市公式ウェブサイト | ||
ビャウィストク(Białystok)は、ポーランド北東部にある都市で、ビャウィストク県の県都であった。現在はポドラシェ県の県都。ポーランド北東部最大の都市である。
目次 |
[編集] 人口
[編集] 地勢と産業
ヴィスワ川支流のナレフ川水系に位置する。ベラルーシ国境まで続く広大な原生林が広がっており、世界遺産に登録されているビャウォヴィエジャ森林保護区がベラルーシにも跨り、絶滅危惧種である野生のバイソンが生息する。
ヴィスワ川以東の北東部は後進地域とされ、ライ麦・ジャガイモ・亜麻などを生産する農業地域に位置する。地方資源に立脚した食品工業や、繊維工業(羊毛・麻織物・綿紡績)もある。
[編集] 歴史
ロシア時代は、ユダヤ教徒居住区であったグロドノ県に所属した。ハビマーがヴァウカヴィスク出身のナフム・ツェマフ(Nahum Tzemach)によって設立された。
第二次世界大戦初頭のポーランド侵攻で、独ソはポーランドをほぼカーゾン線にそって分割したが、カーゾン線の内側のビャウィストク周辺は例外的にソ連に占領された。戦後はカーゾン線がほぼソ-ポ国境となり、ソ連占領地帯の大半はソ連領となったがビャウィストク周辺はポーランド領に復帰した。
[編集] 出身者、ゆかりの人物
- ヤン・クレメンス・ブラニツキ:18世紀のビャウィストクの領主。同市の繁栄の基礎を築いた。
- レオ・ヴィーネル Leo Wiener(1862 - 1939):イディッシュ語学者。ノーバートの父
- ノーバート・ウィーナー:レオの息子。アメリカの数学者。
- ジガ・ヴェルトフ:映画監督。
- ボリス・カウフマン:映画撮影監督。ジガ・ヴェルトフの弟。
- ラザロ・ルドヴィコ・ザメンホフ:エスペラントの創案者。
- デイヴィッド・ドゥビンスキー:労働組合運動指導者。一時期住んでいた。
- ヘルマン・フリートマン:哲学者。
- マクシム・リトヴィノフ:政治家。
[編集] 姉妹都市
チェンストホヴァ, ポーランド
ディジョン, フランス
アイントホーフェン, オランダ
フロドナ, ベラルーシ
ジェルガヴァ, ラトビア
カリーニングラード, ロシア
カウナス, リトアニア
ミルウォーキー, アメリカ合衆国
グロドノ, ベラルーシ
ミシュコルツ, ハンガリー
[編集] 関連項目
- ブラニツキ宮殿 (ビャウィストク)
- ビアリストーカー・シナゴーグ
- ビアリ
- リトヴァク世界 Litvak - リトアニア領であったこの一帯からは、ザメンホフ、マックス&ウリエル・ヴァインライヒ、エリエゼル・ベン・イェフダーなど言語に関係する人物が多く出ており、多言語接触と関係付ける人もいる
- ビャウィストク・ゲットー
[編集] 外部リンク
- VisitBiałystok.com
- Białystok Online (ビャウィストクの総合案内 ポーランド語)
- Zdjęcia Białegostoku (ビャウィストクの写真)
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