ビアンキ
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ビアンキ (Bianchi)は主要なイタリアの自転車製造メーカー。現在の自転車(セーフティ型)が発明された年に創業した、現存する自転車メーカーとしては世界最古である。 ロードバイク、マウンテンバイク、クロスバイク、折り畳み自転車と様々な種類の自転車を販売している。2005年には会社設立から120周年を迎えている。
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[編集] 沿革
- 1885年、当時21歳のエドアルド・ビアンキ(1865年 - 1946年)がミラノのニローネ通り (via Nirone) にて自転車の生産を開始。
- 1899年 自動車部門の設立
- 1955年 アウトビアンキとして自動車部門が独立
- 2005年 会社設立から120周年
- 2008年 ロードバイクをHoC、B4P、C2Cと三つのグループに分類する
記念となる年には他のメーカー同様にイヤーモデルを生産している。
[編集] 伝統のチェレステ
ビアンキの自転車は伝統的にチェレステ(伊:Celeste 碧空、天空)という色で着色される。ビアンキ・ブルーと知られ緑色に近い青色である。このチェレステの色の由来はミラノ・ブルーと呼ばれている色。先代のイタリアのマルゲリータ王妃の目の色から使ったという説がある。実際、エドアルドは、1895年に王妃に自転車の乗り方を指導している。また、ミラノの空の色を見て現地の職人が色を調合するとも言われている。そのためチェレステカラーは毎年微妙に違った色になっている。
[編集] 生産体制
基本的には、ビアンキも他の自転車メーカーと同じようにデザイン部門と生産場所が異なっている。例えば、アメリカではBianchi USAがビアンキを取り扱っていて、デザインはアメリカ国内で(アメリカのニーズに合わせて)、生産は台湾で行われる。
日本ではアメリカモデル・ジャパンモデル・レパルトコルセモデル・OEMモデル(BD-1など)が販売されている。 しかし、ロードバイクとマウンテンバイク、フラットバーロード及びシティサイクルの一部の車種はreparto corseと呼ばれる、レース用自転車製作部門において製造される。レパルトコルセでは、手作業でフレームが製作されている。年間フレーム生産数は2500本程度と言われていたが、近年では工場の拡張により生産台数は増加している模様。現在の日本における代理店はCycleurope Japan(サイクル・ヨーロッパ ジャパン)である。
ビアンキ愛好家達の中には「レパルトコルセ」において生産されたモデルだけがビアンキであり、台湾で生産されたモデルは本当のビアンキとは言えない(一部はビアンキ専用デザインではなく、他社のOEMや色違いのモデルも存在する。過去にはプジョーと同じフレームにビアンキカラーを纏っていたモデルも存在した。)と言うものもいる。レパルトコルセモデルには「Hand made in Italy」というデカール(上写真参照)が貼ってあるため、容易に判別可能である。近年では「Designed in Italy」のステッカーも混在しており、イタリア製モデルに拘るなら注意が必要。
2009年モデル前後から、ごく一部のモデルを除いて殆どが台湾モデルになってしまったようである。このあたりにはマスプロメーカーとしてのビアンキを垣間見る事が出来る。
[編集] ロードレースとビアンキ
ビアンキの自転車の中でもっとも有名なのはロードバイクである。イタリアのreparto corse(レーシング部門)で生産される。生産された自転車のパーツにはカンパニョーロ (Campagnolo) が組まれていることが多い。
ビアンキのライダーには、世界の伝統的なレースジロ・デ・イタリアやツール・ド・フランスで輝かしい成績を残した選手が多くいる。ファウスト・コッピやフェリーチェ・ジモンディそしてマルコ・パンターニは先に記した二つの大会を制した。 ちなみに、ダブルツールを最初に成し遂げたバイクもビアンキ(ファウスト・コッピ)であり、2008年現在、最後にダブルツールも成し遂げたバイクもビアンキ(マルコ・パンターニ)である。
初代UCI王者のタイトルをダニーロ・ディルーカはビアンキを使用して獲得している。
[編集] マウンテンバイク
ビアンキは積極的にマウンテンバイクを生産しており、90年代後半にはダウンヒルバイクも生産していた。近年ではクロスカントリーバイクに力を入れており、ワークスチームを持っている。アテネオリンピックではビアンキ製クロスカントリーバイクに乗ったジュリアン・アブサロンが金メダルを獲得している。彼は2002年にはMTBクロスカントリーU-23のヨーロッパチャンピオンにもなっている。
[編集] アルミフレーム
現在の軽量、大口径パイプを用いたデザインを「メガプロ」として、初めて採用したことで知られる。このデザインによってアルミフレーム=軽量・高剛性という図式を作ったメーカーである。
[編集] カーボンフレーム
ビアンキは自社でレーススペックのカーボンフレームを生産することには消極的で、近年のレースにおいてはプロ選手にもフルアルミモデルを使わせていた。しかし、2007年頃から本格的にカーボンフレームを製作し始め、現在はモノコック、ラグドのどちらのタイプのフレームを製作している。 近年のカーボンフレーム使用に乗り遅れた感があったため、あまり知られていないが、レースで使用された初のカーボンモノコックフレーム(C4製)はビアンキC4として有名である。 2008年からは、カーボンナノテクノロジーを用いてフレーム製作を行っており、他社に追いつくだけでなく、業界をリードしていこうとしている。
[編集] チタンフレーム
ビアンキは早くから加工が難しいと言われているチタンフレームの製作に取り組んでいる。乗り心地の良さには定評があり、リクイガス時代、マグヌス・バックステッドが好んで(カーボンフレームはあえて選択せずに)使用していたことで有名である。
[編集] 自動車とビアンキ
1899年、ビアンキは自動車部門も設立し(フィアットと並んでイタリア最古の自動車メーカー)、四輪自動車の開発・製造も行なった。戦時中は機関銃を搭載可能な自転車の開発など戦時産業にも携わった。また、二輪車初のベベルシャフトDOHCエンジンを搭載したモーターサイクルも製造している。そのモーターサイクルの一モデルとして有名であったのが、Freccia Celesteである。
第二次世界大戦後、工場の被災等もあって採算が悪化し、本体は本来の自転車産業に特化して、自動車部門はフィアット、ピレリの出資を受けてアウトビアンキ社として独立することとなった。フィアットの小型車のプラットフォームを使いつつ、独自の遊び心のある乗用車を製造し人気を博したものの、やがてフィアットが同社の全株式を取得するにいたって、ビアンキはブランド名の一部としてのみ残り、1992年にはブランド名も消滅した。
[編集] トリビア
カンパニョーロの創業者であるトゥーリョ・カンパニョーロはプロ時代、ビアンキのジャージを着て写真に写っている。
[編集] 外部リンク
- Bianchi ビアンキ(イタリア)のサイト
- サイクルヨーロッパジャパン ビアンキの日本代理店
- [1] 世界的にも有名なビアンキコレクターのサイト(過去のカタログも公開している)

