バウンティ (帆船)

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パンノキを入れたポットを収容する部分と方法を示す武装輸送船バウンティの改装計画図(ウィリアム・ブライが1792年に著した『南海の旅』による(プロジェクト・グーテンベルクにより参照可能))

HMS バウンティHMS BountyHMAVHis Majesty's Armed VesselBountyともいう)はイギリス海軍の武装輸送船。1789年タヒチ島パンノキを採取して西インド諸島に向かう途中、乗組員が起こした反乱(バウンティ号の反乱)で知られる。

「バウンティ」ははじめ石炭運搬船「ベシア(Bethia)」といい、ハル近郊のブレイデス造船所で1784年に建造された。その後1787年5月26日(5月23日ともいう)に2,600ポンドでイギリス海軍に購入され、改装のうえ「バウンティ」と改名された。

「バウンティ」は215トンという小型船であったが、3本マストを持ち、完全な帆装を備えていた。そしてパンノキ採取の航海に備えた改装により、4門の 4ポンド砲と10門の旋回砲を取り付けた。「バウンティ」は探検のために利用された同種の船と比較しても非常に小さかった。例えばキャプテン・クックの「エンデバー」は368トン、「レゾリューション」は462トンだった。

「バウンティ」は反乱者に乗っ取られたあとタヒチに到着した。その後さらに反乱者とタヒチ島民の一部を乗せて1790年ピトケアン島に移動し、現地で燃やされた。

[編集] 要目

排水量: 215 トン
全長: 91 ft (27.7 m)
船体幅: 24 feet (7.3 m)
乗員: 46 名

[編集] 「HMS」と「HMAV」

「バウンティ」は「HMS バウンティ」とも「HMAV バウンティ」とも書かれるが、当時はどちらの呼び方もされたことはなかった。「国王(女王)陛下の船」の省略形「H.M.S.」は1790年代になってから一般的に用いられるようになったものであり、さらにそれがその頭文字のみの「HMS」に変化したのは20世紀になってからである。

「バウンティ」はシップ型の帆装を備えており一般にはシップと呼ばれたが、海軍の軍艦の等級の中には位置づけられていなかったため、海軍の用語としては軍艦には含まれなかった。

軍艦「パンドラ」によって連れ戻された10人の乗組員の軍法会議の記録では、「軍艦バウンティ(His Majesty's Ship "Bounty")」という言葉と「武装船バウンティ(His Majesty's Armed Vessel "Bounty")」ということばが3回ずつ使われており、また他に2回「武装船ザ・バウンティ(His Majesty's Armed Vessel the "Bounty")」が現れる。

1787年の改装工事の図面には「武装輸送船バウンティ("Bounty Armed Transport")」と書かれている。(冒頭の図)