テイン・セイン
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သိန်းစိန
Thein Sein |
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テイン・セイン
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| 生年月日 | 1945年5月11日(68歳) |
| 前職 | 首相代行、国家平和発展評議会(SPDC)第一書記、ミャンマー連邦首相 |
| 現職 | ミャンマー連邦共和国大統領 |
| 所属政党 | 連邦団結発展党 |
| 称号 | 大将 |
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| 任期 | 2011年3月30日 - |
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| 任期 | 2007年5月18日 - 2011年3月30日 |
| SPDC議長 | タン・シュエ |
テイン・セイン(ビルマ語: သိန်းစိန、Thein Sein、1945年5月11日 - )は、ミャンマーの政治家、現在、同国大統領(軍事政権後初代・国家元首通算第10代)、「連邦団結発展党」党首。軍事政権内での序列は4位[1]。同国首相などを歴任。
就任時の階級は中将、後に政党結党前に軍籍を離れる[2]。民族的には華人であり、中国語名は登盛(簡体字:登盛)。
目次 |
略歴 [編集]
- 三角軍区司令
- 2003年 - 国家平和発展委員会副秘書長
- 2004年 - 国家平和発展委員会第一秘書長
- 2007年5月 - 中旬より、病気療養中のソー・ウィンの首相代行
- 2007年10月24日 - ソー・ウィンの死を受け、正式に首相就任の布告がなされた
- 2010年4月26日 - 軍籍を離脱し、29日に連邦団結発展党を結成
- 2010年11月7日 - 2010年ミャンマー総選挙で当選を果たす
- 2011年2月4日 - 大統領に選出
- 2011年3月30日 - 大統領に就任、ポスト廃止に伴い首相を退任
人柄 [編集]
他の軍高官とは違い、利権や汚職などのスキャンダルに見舞われず、国民にはクリーンなイメージを持たれているとされる[3]。また野心がなく、上官の命令に逆らうことはない官吏タイプとも評されている[3]。このためタン・シュエの信頼が厚く[3]、「忠実な部下」「典型的なイエスマン」[4]とも評される。
軍出身ではあるが基盤がなく、このため大統領就任前にはタン・シュエの意向に沿った政権運営がなされるとの指摘もあった[5]。しかし就任後はアウンサンスーチーの政治活動を容認するなど、民主化に一定の寄与をしていることも事実であり、タン・シュエが保守派と言われるのに対し、テイン・セインは改革派と称されることもある[6]。
エピソード [編集]
2008年5月、サイクロン・ナルギスが上陸し、ミャンマー国内に甚大な被害をもたらした際、セインが精力的に救援活動に取り組んでいる様子がミャンマー国営紙の一面トップに掲載された。しかし、セインが精力的に救援を行ったことは事実ではなく、セインが被災者に大して行った「救援」は、20台のテレビと10台のDVDプレーヤーを被災者にプレゼントすることだけであったと言う。肝心な外国からの緊急救援物資は、ミャンマー当局の都合で国民に行き渡るのが滞り、また、外国のマスコミがミャンマー国内を取材することを一切拒否し、ミャンマー当局側は「援助だけ欲しい」と言う態度であったとされる[7]。
健康問題 [編集]
出典 [編集]
- ^ “ミャンマー新大統領にテイン・セイン首相”. 毎日放送. (2011年2月5日) 2011年2月5日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “ミャンマー ~民主化の現状と自由化の波~ (PDF)” (日本語). 東京都中小企業振興公社 国際支援室 (2011年2月). 2012年1月2日閲覧。
- ^ a b c “ミャンマー:大統領にテインセイン氏 政権、軍部意向反映へ”. 毎日新聞. (2011年2月5日) 2011年2月5日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “ミャンマー大統領にセイン首相 軍主導の現行路線継承へ”. デイリースポーツ. (2011年2月5日) 2011年2月5日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “ミャンマー大統領に軍政首相 軍トップが影響力”. 東京新聞. (2011年2月5日) 2011年2月5日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “みずほアジア・オセアニアインサイト (PDF)” (日本語). みずほ総合研究所. 2011年12月3日閲覧。
- ^ “台人入緬「比921慘十幾倍」”. 蘋果日報(台湾紙). (2008年5月10日) 2011年2月5日閲覧。
- ^ “Man in the mirror in Myanmar”. Asia Times Online. (2011年5月4日) 2012年3月3日閲覧。
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