チャールズ・スペンサー (第9代スペンサー伯爵)

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第9代スペンサー伯爵
チャールズ・スペンサー
Charles Spencer, 9th Earl Spencer
スペンサー伯爵チャールズ(2017年)
生年月日 (1964-05-20) 1964年5月20日(59歳)
出生地 イギリスイングランドロンドン
出身校 オックスフォード大学モードリン・カレッジ
称号 第9代スペンサー伯爵副統監
配偶者 ヴィクトリア英語版(1989-1997)
キャロライン(2001-2007)
カレン英語版(2011-)
親族 第8代スペンサー伯爵(父)

イギリスの旗 貴族院議員
在任期間 1992年3月29日 - 1999年11月11日[1]
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第9代スペンサー伯爵チャールズ・エドワード・モーリス・スペンサー(Charles Edward Maurice Spencer, 9th Earl Spencer, DL1964年5月20日 - )は、イギリス貴族政治家

ダイアナ元皇太子妃の弟であり、ウェールズ公ウィリアム皇太子サセックス公ヘンリー王子の叔父にあたる。

父がスペンサー伯爵位を継承した1975年から自身が爵位を継承した1992年までオールトラップ子爵(Viscount Althorp)の儀礼称号を使用した。

経歴[編集]

幼少期[編集]

1964年に後に第8代スペンサー伯爵となるオールトラップ子爵エドワード・スペンサーの次男としてロンドンの病院で生まれる。母は第4代ファーモイ男爵モーリス・バーク・ロッシュの娘フランセス[2]。姉にセーラジェーンダイアナがいる。また兄にジョンがいたが、生後すぐに死去したので、チャールズは待望の嫡男としての出生だった[3][4]

ウェストミンスター寺院で洗礼を受け、女王エリザベス2世代母となった[5][6]

長姉セーラと次姉ジェーンは1967年にオールトラップ子爵家の暮らすノーフォークのパークハウスを出て寄宿学校に入ったので、チャールズはダイアナと2人でパークハウスで育った[7]。2人はよく姉弟喧嘩もしたが、いつも体の大きいダイアナが勝ったという。チャールズは「ダイアナはよくつねる」と記憶している。しかし成長した後にはチャールズが口でダイアナをやっつけるようになったという。しばしばダイアナのことを「ブライアン」(テレビの子供番組『ザ・マジック・ラウンドアバウト英語版』に登場するノロマで頭の弱いカタツムリ)と呼んでバカにし、両親から叱られたという[8]

チャールズが4歳の頃の1969年に両親が離婚。これについてのチャールズの唯一の記憶は彼がおもちゃの汽車で遊んでいる時、母フランセスが泣いていて、父エドワードはチャールズに向かって何も心配はないんだよと言いたげに弱弱しく微笑みかけている光景だったという。ただ当時彼は幼すぎて離婚の事はよく分からなかったという[9]

チャールズとダイアナは優しい者からサディスティックな者まで色々な乳母に育てられたが、成長するに従って乳母たちと父エドワードの関係を疑うようになり(特にその乳母が美人の場合)、乳母たちに嫌がらせをするようになったという。チャールズはこの自分の経験から子供たちの養育に乳母を雇わないことを決めたという[10]

父エドワードと接することはあまりなく、まれに芝生でクリケットして遊んでくれるぐらいであったという[11]。ロンドンのベルグレーヴィアで暮らす母とは毎週末に乳母に連れられて会いに行った[12]。母の再婚相手ピーター・シャンド・キッドとも親しくなり、元海軍軍人のピーターはチャールズに提督帽子を被せてくれ、以降チャールズは「提督」と渾名されるようになったという[12]

やがて姉ダイアナも寄宿学校に入学することになり、チャールズもノーザンプトンシャーのメイドウェル・ホール校に通うようになった[13]

オールトラップ子爵時代[編集]

1975年に祖父である第7代スペンサー伯爵アルバートが死去し、父が第8代スペンサー伯爵位を継承。それに伴いチャールズは11歳にしてスペンサー伯爵の嫡男の儀礼称号オールトラップ子爵を名乗ることになった[14]

1977年に父がダートマス伯爵夫人レインと再婚したが、オールトラップ卿もダイアナもこの継母のことを好きになれなかった[15]。オールトラップ卿は、とりわけレインが屋敷に飾られている美術品を売りさばくことに腹を立てており、「彼女は僕が受け継ぐはずの財産を売り払っている」としばしば不満を漏らした。だが父スペンサー卿はレインを擁護し続けた。スペンサー卿とレインの考えるところ、屋敷の維持費を捻出するにはそれしかなかった[16][注釈 1]

1977年から1979年にかけてオールトラップ卿は女王エリザベス2世の名誉小姓英語版(式典で女王の衣装の裾を持つ小姓。貴族の子弟から選ばれる)を務めた[18]

1981年7月に姉ダイアナがチャールズ皇太子(のちのチャールズ3世)と結婚した際にはまだイートン校の学生だった。結婚式で父スペンサー卿がダイアナに連れ添ってバージンロードを歩くのを見届けたオールトラップ卿は「父があの役目を成し遂げた瞬間は私たちにとってとても感動的なひと時でした」という感想を述べた[19]

オールトラップ卿は成績優秀であり、イートン校からオックスフォード大学に進学できた[20]。オックスフォード大学ではモードリン・カレッジに在学し、現代史を学んだ[21]。元イギリス首相のボリス・ジョンソンは、イートン校とオックスフォード大学時代の同級生で親友だった。

1987年から1991年までアメリカのNBCテレビの外国特派員を務める。次いで1991年から1993年にかけてグラナダ・テレビ英語版リポーターを務めた[18]

スペンサー伯爵家の家督後[編集]

1992年に父の死により第9代スペンサー伯爵位を継承した。貴族院議員に列し、貴族院改革のあった1999年11月11日まで在職した[1][注釈 2]

家督前にはオルソープ邸の美術品を売るレインを批判していたスペンサー卿だが、結局彼も家督後には美術品売却を続けた。その理由はレインと同じく屋敷を維持するためにはそれしかないというものだった[16]

姉ダイアナと皇太子が別居した後の1993年4月、オルソープの地所内にあるガーデンハウスをダイアナに提供するという話がスペンサー卿とダイアナの間で進んだが、結局スペンサー卿の方から断った。警備を大幅に強化しなければならないことを嫌がったためだった。ダイアナは信頼していた弟に裏切られたような気持ちになり、「もっともらしい理由だけど、やはり傷ついたわ。大した不都合でもないのに、それも我慢できない程度にしか私を愛していないということでしょう」と述べ、その後しばらくスペンサー卿と口を利かなかったという[23]

1997年8月31日、前年に皇太子と離婚したダイアナがパリで交通事故死した。この報を聞いたスペンサー卿は「私はプレスが彼女を殺すといつも思っていた」と述べ、マスコミを批判した[24]

9月6日に行われたダイアナの王室国民葬でスペンサー卿は「私たち血縁者はあらゆる努力を尽くして貴女の二人の素晴らしい息子たち、貴女が想像力と愛情を注いで育てあげたこの少年たちを育てていくことを誓います。貴女が望んだように彼らの魂が伝統と義務を受け継ぐだけではなく、自由に歌うことができるように」と弔辞を述べた。またダイアナは離婚にあたって王室から2550万ドル(約30億円)の慰謝料を獲得したが、その際にエリザベス2世女王は条件の一つとして「Her Royal Highness(殿下)」の称号を彼女から剥奪した。これに反発していたスペンサー卿は、弔辞の中で「ダイアナがあの独自の魔法を生み出し続けるのに王室の称号など必要としませんでした」と述べている[25][26]

スペンサー家と英国王室の間にはその後も確執が続いたというが、2004年7月に開催されたハイド・パークダイアナ妃記念噴水英語版竣工式で女王とスペンサー卿はにこやかに固く握手を交わしており、英国メディアは「両家にようやく雪解け」と報じた[27]

2011年のウィリアム王子とキャサリン妃の結婚式ではBBCのインタビューに対して「とても感動的だった」「ただ一つ残念だったのは、ダイアナがそこにいないことだ」という感想を述べた[28]

4冊の歴史書を著しており、そのうちの一つが『ブレンハイム ヨーロッパのための戦い(Blenheim: Battle for Europe)』(ISBN 978-0297846093)である[21]

爵位[編集]

1992年3月29日に父エドワードから以下の爵位を継承した[18][2]

  • 第9代スペンサー伯爵 (9th Earl Spencer)
    1765年11月1日勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
  • ノーサンプトン州におけるオールトラップの第9代スペンサー子爵 (9th Viscount Spencer, of Althorp in the County of Northampton)
    1761年4月3日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
  • ノーサンプトン州におけるオールトラップの第9代オールトラップ子爵 (9th Viscount Althorp, of Althorp in the County of Northampton)
    (1765年11月3日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
  • ノーサンプトン州におけるグレート・ブリントンの第4代オールトラップ子爵 (4th Viscount Althorp, of Great Brington in the County of Northampton)
    1905年12月19日の勅許状による連合王国貴族爵位)
  • ノーサンプトン州におけるオールトラップのオールトラップの第9代スペンサー男爵 (9th Baron Spencer of Althorp, of Althorp in the County of Northampton)
    (1761年4月3日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)

家族[編集]

1989年モデルヴィクトリア・ロックウッド英語版と結婚[29]。彼女との間に以下の4子を儲けている[18]

ヴィクトリアと1997年に離婚し[注釈 3]、2001年にキャロライン・フロイト(Caroline Freud)と再婚[32]。彼女との間に以下の2子を儲ける[18]

  • 第5子(次男):エドムンド・チャールズ・スペンサー閣下2003年-)
  • 第6子(四女):ラーラ・キャロライン・スペンサー嬢 (2006年-)

キャロラインとも2007年に別れ、2011年にはカナダのモデルで慈善家のカレン・ゴードン英語版と結婚[32]。彼女との間に現在以下の一女がある[18]

  • 第7子(五女):シャーロット・ダイアナ・スペンサー嬢(2012年-)
チャールズ・スペンサー (第9代スペンサー伯爵)の系譜
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
8. 第6代スペンサー伯爵チャールズ・スペンサー
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
4. 7代スペンサー伯アルバート・スペンサー
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
9. マーガレット・ベアリング
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2. 第8代スペンサー伯ジョン・スペンサー
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
10. 第3代アバコーン公爵ジェームズ・ハミルトン
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
5. レディ・シンシア・ハミルトン
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
11. レディ・ロザリンド・ビンガム
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1. 第9代スペンサー伯爵チャールズ・スペンサー
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
12. 3代ファーモイ男爵ジェームズ・ロッシュ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
6. 第4代ファーモイ男爵モーリス・ロッシュ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
13. フランセス・エレン・ワーク
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
3. フランセス・ロッシュ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
14. ウィリアム・スミス・ギル
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
7. ルース・ギル
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
15. ルース・リトルジョン
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ オルソープ邸は話題性がいまいちで他の貴族の邸宅と比べて観光客が少ない。そのためこの屋敷の赤字額は年40万ポンドにも及ぶという。「皇太子妃ダイアナの実家」の看板を手に入れた後も、赤字を無くすことはできなかったという[17]
  2. ^ トニー・ブレア政権による貴族院改革により、1999年11月11日に世襲貴族の議席は92議席を残して削除され、スペンサー卿を含む大半の世襲貴族が議席を失った。以降の貴族院は爵位を世襲できない一代貴族が議員の大半を占めている[22]
  3. ^ この離婚の際にスペンサー卿は慰謝料が少なくて済む南アフリカで離婚手続きを行っており、慰謝料50万ドルしか支払わなかった。この件は世間の批判を集め、マスコミも以前スペンサー卿がダイアナの死を自分たちのせいにした恨みから厳しく追及したという[31]

出典[編集]

  1. ^ a b UK Parliament. “Mr Charles Spencer” (英語). HANSARD 1803–2005. 2013年12月23日閲覧。
  2. ^ a b Heraldic Media Limited. “Spencer, Earl (GB, 1765)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年2月21日閲覧。
  3. ^ モートン(1997) p.116-117
  4. ^ キャンベル(1998) p.27
  5. ^ モートン(1997) p.117
  6. ^ キャンベル(1998) p.13
  7. ^ モートン(1997) p.46
  8. ^ モートン(1997) p.132
  9. ^ モートン(1997) p.127-128
  10. ^ モートン(1997) p.131
  11. ^ モートン(1997) p.54
  12. ^ a b モートン(1997) p.57
  13. ^ モートン(1992) p.65
  14. ^ モートン(1997) p.144
  15. ^ モートン(1997) p.147
  16. ^ a b キャンベル(1998) p.50
  17. ^ キャンベル(1998) p.427
  18. ^ a b c d e f Lundy, Darryl. “Charles Edward Maurice Spencer, 9th Earl Spencer” (英語). thepeerage.com. 2013年12月1日閲覧。
  19. ^ モートン(1997) p.197/199
  20. ^ モートン(1997) p.141
  21. ^ a b Spencer of Althorp
  22. ^ 田中(2009) p.229/241
  23. ^ キャンベル(1998) p.304
  24. ^ 渡辺(2013) p.30
  25. ^ モートン(1997) p.452-453
  26. ^ 渡辺(2013) p.50-51
  27. ^ 渡辺(2013) p.177
  28. ^ “英王子結婚、元妃の弟「ダイアナいないことが残念」” (日本語). ロイター通信. (2011年4月30日). http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPJAPAN-20895720110430 2014年11月15日閲覧。 
  29. ^ モートン(1992) p.73
  30. ^ Nast, Condé (2021年7月26日). “ダイアナ妃の姪キティ・スペンサーが結婚! ウエディングドレスはドルチェ&ガッバーナ。”. Vogue Japan. 2022年1月10日閲覧。
  31. ^ キャンベル(1998) p.425-426
  32. ^ a b Roya Nikkhah; Ben Leach (2011年6月18日). “Earl Spencer marries for a third time”. The Telegraph. http://www.telegraph.co.uk/news/uknews/theroyalfamily/8584093/Earl-Spencer-marries-for-a-third-time.html 2013年5月27日閲覧。 

参考文献[編集]

  • コリン キャンベル英語版 著、小沢瑞穂 訳『ダイアナ“本当の私”』光文社、1998年。ISBN 978-4334960834 
  • 田中嘉彦「英国ブレア政権下の貴族院改革 : 第二院の構成と機能」『一橋法学』第8巻第1号、一橋大学大学院法学研究科、2009年3月、221-302頁、doi:10.15057/17144ISSN 13470388NAID 110007620135 
  • アンドリュー・モートン英語版 著、入江真佐子 訳『完全版 ダイアナ妃の真実 彼女自身の言葉による』早川書房、1997年。ISBN 978-4152081315 
  • 渡辺みどり『愛のダイアナ ウィリアム王子の生母「生と性」の遍歴』講談社、2013年。ISBN 978-4062186148 

外部リンク[編集]

グレートブリテンの爵位
先代
エドワード・スペンサー
第9代スペンサー伯爵
1992年 - 現在
次代
現在