エヴァ・ガードナー

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エヴァ・ガードナー
Ava Gardner
エヴァ・ガードナーAva Gardner
生年月日 1922年12月24日
没年月日 1990年1月25日(満67歳没)
出生地 ノースカロライナ州
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
家族 ミッキー・ルーニー (1942-1943)
アーティ・ショー (1945-1946)
フランク・シナトラ (1951-1957)

エヴァ・ガ-ドナー(Ava Lavinia Gardner、1922年12月24日 - 1990年1月25日[1])はアメリカ合衆国ノースカロライナ州出身の女優である[2]

目次

[編集] プロフィール

貧しい農家の7人兄弟の末っ子に生まれる。母親のモリーはバプティスト派のスコットランドアイルランド人イングランド人の混血、父親はカトリック派のアイルランド系アメリカ人とタスカローラ族インディアンの混血だった。姉の夫が写真家であり、彼が撮ったエヴァの写真がきっかけで映画界入りした。デビューしたものの強い南部訛りが災いし、何年も目だったヒット作がなく、役者としては低迷していた。仕事といえばピンナップの撮影の方が多かった。

しかし第二次世界大戦中の1942年に人気俳優ミッキー・ルーニーと結婚したことで名前は知られるようになった。しかしこの結婚は長続きせず、1年半で離婚。その後ミュージシャンのアーティ・ショーと結婚するも1年で離婚。アーティーとの間に初めての子供を身ごもるも、所属映画会社社長の「子持ちの女優はスターになれない」との一言で中絶し、「夫より社長の言うことを聞くなんて!」と彼を嘆かせた[要出典]

大富豪のハワード・ヒューズや、ドミニカ共和国外交官で、プレイボーイとして知られたポルフィリオ・ルビロサとの交際も知られている。

身長が170センチ近くあり、顔立ちがエキゾチックであるため、ブロンドの女優がもてはやされるハリウッドでは異色の存在だった。既定路線の役柄でなく、ジプシーの役、黒人の役(当時黒人俳優は人種差別のため用いられることが少なかった)などが多かった。早くから、ファム・ファタール適材の女優として目立っていた。アメリカ映画協会(AFI)が1999年6月に選出したアメリカの「最も偉大なる女優50名」では第25位であった。

転機は1951年のミュージカル『ショウ・ボート』。強烈な存在感を残し一気にブレイクした。しかし、1960年代以降はその人気も衰えていった。

フランク・シナトラとは、交際時からスキャンダルとなった。ティーン向けの歌手から出発し、幼なじみのナンシーと結婚して三児の父になっていた彼は、当時歌手として低迷し、俳優としてもくすぶっていた。エヴァと交際するようになっても、カトリックであるシナトラ夫人が離婚を承諾せず、いらだったエヴァは前夫アーティー・ショーに会ったりしていた。そのことに怒ったシナトラが、エヴァと電話で会話中に、彼女に聞こえるようにピストルを壁に向けて発射するという事件を起こした[要出典]。シナトラとは1951年に結婚[3]。1957年に離婚している。

次第にハリウッドの作品から遠ざかり、国外の作品に多く出演するようになった。後にスペインに住所を移している[要出典]。1990年に肺炎により死去した。

邦訳された伝記にジェーン・エレン・ウェイン『エヴァ・ガードナー 美しすぎた女の一生』(矢沢聖子訳、講談社、1993年)がある。

[編集] その他

[編集] 主な出演作品

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  1. ^ Flint, Peter B. (1990年1月26日). “Ava Gardner Is Dead at 67; Often Played Femme Fatale” (英語). ニューヨーク・タイムズ. http://www.nytimes.com/1990/01/26/obituaries/ava-gardner-is-dead-at-67-often-played-femme-fatale.html 2009年6月28日閲覧。 
  2. ^ 名前の Ava についてはエヴァを参照のこと。
  3. ^ Frank Sinatra and Ava Gardner. AvaGardner.org .Retrieved 2007-01-04.
  4. ^ マガジンハウス刊「スタアの40年 平凡 週刊平凡 秘蔵写真集」より

[編集] 外部リンク

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