アバークロンビー級モニター

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HMS Abercrombie July 1915 right broadside AWM G01083.jpeg
アバークロンビーの右舷のプロフィール。1915年7月にガリポリ沖にて撮影
艦級概観
名前: アバークロンビー
運用:  イギリス海軍
完工: 4
損失: 1
仕様諸元
艦種: モニター艦
排水量 常備:6,150トン
全長: 98m(320ft)
全幅: 27.4m
喫水: 3.00m(9ft10in)
出力: 1,800~2,300ps
機関: バブコック・アンド・ウィルコックス重油専焼水管缶2基
+直立3気筒3段膨脹レシプロ機関2基2軸推進
速力: 7ノット
総員: 198名
兵装: Mk 2 35.6cm(45口径)連装砲 (14in) 1基
15.2cm (6in) 単装速射砲2基
QF Mk I 7.62cm(50口径) (3in) 単装速射砲2基
装甲:
  • 舷側装甲帯:101.6mm (4in)
  • 水密隔壁:101.6mm (4in)
  • 甲板:25~50.8mm
  • 主砲塔:254mm (10in)
  • バーベット:203mm (8in)
艦載機 飛行艇1機 (実際にほとんど搭載されなかった)

アバークロンビー級モニター(アバークロンビーきゅうモニター;Abercrombie class monitor)は第一次世界大戦中にイギリス海軍で使用されたモニター艦の艦級。

概要[編集]

アバークロンビー級の 35.6cm(14インチ)砲塔の様子(第1次世界大戦中に撮影)。 356mm45口径砲を連装で搭載していた

本級4隻からなるアバークロンビー級の建造は、ドイツで建造中だったギリシア海軍向けの超弩級戦艦サラミス」用の主砲が、イギリスの禁輸政策により移送が不可能となったことから始まった。砲の製造元であるアメリカベスレヘム・スチール社は、代わりにイギリス海軍に対してこの356mm45口径砲の売却を提案した。この砲を活用するため船体の設計・建造が急ピッチで進められ、起工から進水までの期間は6ヶ月以内だった。十分に時間をかけて設計できなかった結果、極めて低速だった。一本の煙突の前に三脚式の主檣、その前に主砲塔1基という艦上配置であった。

設計及び建造中、この級はスティックス級と名付けられ次のアメリカの偉人の名を艦名としていた、すなわちユリシーズ・グラント将軍ロバート・E・リー将軍、デヴィッド・ファラガット提督、ストーンウォール・ジャクソン将軍の4名の名前である。しかし、当時のアメリカは中立国であったため、これらを艦名とするのは外交的に相応しくないとされ、最終的な艦名が与えられるまでは単に通し番号でM1-M4と命名された。

設計時点では、弾着観測用にShort 166飛行艇を搭載することとなっていたが、実際には陸上機を使うほうがより効果的であると判断された。モニター艦は陸上を遠く離れた外洋で作戦することはなく、砲塔上に飛行艇を搭載するということは、弾着観測が必要とされていなくても主砲が発射される可能性があれば、損傷を避けるために飛行艇を移動させなければならないことを意味していていたからである。

同型艦[編集]

艦名 艦名の由来 造船所 進水 その後
M1 (アバークロンビー) ジェームズ・アバークロンビー ハーランド・アンド・ウルフベルファスト造船所) 1915年4月15日 第1次世界大戦の休戦協定調印後、退役。1927年にインヴァーカイシング(en)のT.W.ワード社に売却され解体
M2 (ヘイブロック) ヘンリー・ヘイブロック(en) ハーランド・アンド・ウルフ(ベルファスト造船所) 1915年4月29日 1927年に売却解体
M3 (ラグラン) フィッツロイ・サマセット(en) ハーランド・アンド・ウルフ(ガバン(en)造船所) 1915年4月29日 1918年1月20日、イムブロス島にてオスマン帝国海軍巡洋戦艦ヤウズ・スルタン・セリム及び軽巡洋艦ミディッリにより撃沈
M4 (ロバーツ) フレデリック・ロバーツ(en) スワン・ハンター(en)社 (ウォールセンド (en)造船所) 1915年4月15日 第一次世界大戦後、係留練習船となる。1936年解体

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • Conway's All the World's Fighting Ships 1906-1922
  • Buxton, Ian, Big Gun Monitors, 2nd Edition , Seaforth Publishing, 2008

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