かもめの水兵さん

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かもめの水兵さん(かもめのすいへいさん)は1937年昭和12年)に発表された日本の童謡。作詞は武内俊子、作曲は河村光陽

楽曲解説[編集]

全身が白いカモメを、「白い帽子」を被って「白いシャツ」などの「白い服」を着た水兵になぞらえた詞となっている[1]。メロディは詞の中にある言葉のアクセントを生かしたものとなっていて、子供が歌いやすく覚えやすいように作られている[2]

河村順子の歌唱によって、同年4月にキングレコードから、当時毎月発売されていた2枚組み童謡シリーズの1曲としてレコード化され、戦前および戦中の童謡のレコードとしては大ヒットとなった[3]。別刷で専門家による踊りの振り付けの解説もあり、運動会などの行事などの遊戯として踊った幼児や小学生も数多い[4]。戦後は音楽の教科書にも採用され、1955年から1967年まで断続的に、教育出版教育芸術社から刊行されている小学2年生を対象とした教科書に掲載された[3]

後年、順子は海外との音楽交流を行った際に、この作品を英語ヒンズー語に訳した。加えてドイツ語韓国語を始めとする11か国語にも訳したことにより、日本を越えた国々で歌われている[5]2007年平成19年)には日本の歌百選に選出された。

西日本旅客鉄道(JR西日本)の三原駅(広島県)・須磨海浜公園駅(兵庫県神戸市)で列車入線メロディに使用されている。

完成への経緯[編集]

武内が作詞を行ったきっかけは、ハワイに旅行する叔父 足利瑞義(浄土真宗本願寺派 勝願寺住職)を見送るために横浜港大さん橋に行ったことにある[2]。夕暮れの中で数十羽のかもめに魅了され、帰途でかもめの白い姿を水兵に見立てて詞を完成させた。

容易に詞を完成させた武内は、すぐに電話で光陽にどのような詞なのかを連絡した。それを聞いた光陽はすぐにピアノを弾き始め、その日のうちに曲を完成させた。詞から浮かんだ海の青とかもめの白の明瞭な組み合わせを曲で表現するために、音楽の基本的な三和音の「ド・ミ・ソ」を歌いだしに用いて、簡潔な旋律を用いた[2]。このように父が弾いていた曲を自宅で聴いていた順子は、すでに曲を覚えた状態でレコーディングに臨んだと後に証言している[6]

歌碑[編集]

国内4か所に存在する。武内の生誕地である広島県三原市の宮浦公園前には歌詞が刻まれた碑がある。また、光陽の生誕地の福岡県田川郡福智町にある青年の家の前庭と(2011年2月より上野の里ふれあい交流館内)、東京都文京区本駒込の光陽の墓畔には、同一の楽譜が刻まれた碑がある。なお、横浜市山下公園にも、楽譜と歌詞が刻まれた碑がある。

歌詞[編集]

  1. かもめの水兵さん
    並んだ水兵さん
    白い帽子 白いシャツ 白い服
    波にチャップチャップ 浮かんでる
  2. かもめの水兵さん
    駆け足水兵さん
    白い帽子 白いシャツ 白い服
    波をチャップチャップ 越えていく
  3. かもめの水兵さん
    ずぶ濡れ水兵さん
    白い帽子 白いシャツ 白い服
    波でチャップチャップ お洗濯
  4. かもめの水兵さん
    仲良し水兵さん
    白い帽子 白いシャツ 白い服
    波にチャップチャップ 揺れている

脚注[編集]

  1. ^ 『大人のための教科書の歌』 92頁。
  2. ^ a b c 『心にのこる日本の歌101選』 65頁。
  3. ^ a b 『大人のための教科書の歌』 269頁。
  4. ^ 『愛唱歌ものがたり』 45頁。
  5. ^ 『別冊太陽 子供の昭和史 童謡・唱歌・童画100』 80頁。
  6. ^ 『愛唱歌ものがたり』 44頁。

参考文献[編集]

外部リンク[編集]

童謡作家「河村光陽」のページから辿れる「かもめの水兵さん」に、作品の歌詞と山下公園にある歌碑の写真を掲載。また、「いつまでも色あせない旋律」では青年の家と河村の墓畔にある歌碑の写真を掲載。