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ティンブクトゥを代表する学者の一人に[[:en:Ahmad Baba al-Timbukti|Ahmad Baba]](1556-1627)がいる。彼は「人種奴隷制」と呼ばれるものに反対を唱えた<ref>{{Cite journal|last=Hunwick|first=J. O.|date=October 1964|title=A New Source For the Biography of Aḥmad Bābā Al-Tinbuktī (1556–1627)|url=https://www.cambridge.org/core/journals/bulletin-of-the-school-of-oriental-and-african-studies/article/abs/new-source-for-the-biography-of-ahmad-baba-altinbukti-15561627/7FF54A15CFD28E57CA481121D3C5FFB7|journal=Bulletin of the School of Oriental and African Studies|language=en|volume=27|issue=3|pages=568–593|doi=10.1017/S0041977X00118385|s2cid=162780325 |issn=1474-0699}}</ref>。現在のナイジェリアにあった[[ソコト帝国]]を代表する女性哲学者・作家の一人に[[:en:Nana Asmaʼu]]王女(1793-1864)がいる<ref>{{Cite web|title=Before the canon: the non-European women who founded philosophy – Dag Herbjørnsrud {{!}} Aeon Essays|url=https://aeon.co/essays/before-the-canon-the-non-european-women-who-founded-philosophy|access-date=2021-06-04|website=Aeon|language=en}}</ref>。
ティンブクトゥを代表する学者の一人に[[:en:Ahmad Baba al-Timbukti|Ahmad Baba]](1556-1627)がいる。彼は「人種奴隷制」と呼ばれるものに反対を唱えた<ref>{{Cite journal|last=Hunwick|first=J. O.|date=October 1964|title=A New Source For the Biography of Aḥmad Bābā Al-Tinbuktī (1556–1627)|url=https://www.cambridge.org/core/journals/bulletin-of-the-school-of-oriental-and-african-studies/article/abs/new-source-for-the-biography-of-ahmad-baba-altinbukti-15561627/7FF54A15CFD28E57CA481121D3C5FFB7|journal=Bulletin of the School of Oriental and African Studies|language=en|volume=27|issue=3|pages=568–593|doi=10.1017/S0041977X00118385|s2cid=162780325 |issn=1474-0699}}</ref>。現在のナイジェリアにあった[[ソコト帝国]]を代表する女性哲学者・作家の一人に[[:en:Nana Asmaʼu]]王女(1793-1864)がいる<ref>{{Cite web|title=Before the canon: the non-European women who founded philosophy – Dag Herbjørnsrud {{!}} Aeon Essays|url=https://aeon.co/essays/before-the-canon-the-non-european-women-who-founded-philosophy|access-date=2021-06-04|website=Aeon|language=en}}</ref>。

==== アフリカの角 ====
[[アフリカの角]]では、第一千年紀以降、独特の{{仮リンク|エチオピア哲学|en|Ethiopian philosophy}}が発展したことを示す資料が数多く存在する。この伝統のなかで生まれた最も注目すべきものは、17世紀の哲学者{{仮リンク|ゼラ・ヤコブ|en|Zera Yacob (philosopher)}}とその弟子{{仮リンク|ワルダ・ヘイワット|en|Walda Heywat}}の著作である<ref>{{Cite web|url=https://aeon.co/essays/yacob-and-amo-africas-precursors-to-locke-hume-and-kant|title=Yacob and Amo: Africa's precursors to Locke, Hume and Kant – Dag Herbjørnsrud {{!}} Aeon Essays|website=Aeon|language=en|access-date=2019-06-20}}</ref>。ヤコブは著作の中で、宗教、道徳、存在について論じている<ref>{{Cite journal|last=Herbjørnsrud|first=Dag|date=2019-05-10|title=Beyond decolonizing: global intellectual history and reconstruction of a comparative method|url=https://doi.org/10.1080/23801883.2019.1616310|journal=Global Intellectual History|volume=6|issue=5|pages=614–640|doi=10.1080/23801883.2019.1616310|s2cid=166543159|issn=2380-1883}}</ref>。彼は、すべての人が自分の信仰を正しいと信じ、すべての人は平等につくられているという考えに至っている<ref>{{Cite book|title=Ethiopian Philosophy|last=Sumner|first=Claude|year=1994}}</ref><ref>{{Cite book|last1=Menn|first1=Stephen|url=https://global.oup.com/academic/product/anton-wilhelm-amos-philosophical-dissertations-on-mind-and-body-9780197501627?cc=no&lang=en&|title=Anton Wilhelm Amo's Philosophical Dissertations on Mind and Body|last2=Smith|first2=Justin E. H.|date=2020-09-05|publisher=Oxford University Press|isbn=978-0-19-750162-7|location=Oxford, New York}}</ref>。

==== 南部アフリカ ====
[[南部アフリカ]]と東南部アフリカでは、{{仮リンク|バントゥー人の拡散|en|Bantu expansion}}の後、存在の本質、宇宙、人類と世界との関係を扱う独特の{{仮リンク|バントゥー哲学|en|Bantu Philosophy}}が発展したことが、これらの地域の哲学的展開に最も大きな影響を与えた。この世界観から生まれた顕著な例として、{{仮リンク|ウブントゥ (哲学)|en|Ubuntu philosophy|label=ウブントゥの哲学}}の発展が挙げられる。

==== 中部・東部アフリカ ====
{{仮リンク|バントゥー人の拡散|en|Bantu expansion}}が[[中部アフリカ]]南部に到達する以前の中部アフリカの哲学的伝統は、多くが[[ナイロート]]系・[[スーダン]]系諸民族の特徴を統合するものであることが明らかになっている。これは、最終的には時間の概念、世界の創造、人間の本質、そして{{仮リンク|ディンカ族の宗教|en|Dinka religion}}や{{仮リンク|マサイ族の宗教|en|Maasai religion}}、またそれと類似した伝統に見られる人類と自然との適切な関係などに確認される特有の世界観の形成につながっている。

==== アフリカン・ディアスポラ ====
前近代においても{{仮リンク|アフリカン・ディアスポラ|en|African Diaspora}}的な哲学の伝統が確認されており、そのほとんどはヨーロッパやアメリカ大陸に住むアフリカ人の子孫によって生み出されたものである。[[:en:Anton Wilhelm Amo]]は、現在の[[ガーナ]]にあるAwukenuから奴隷として連れて行かれ、ヨーロッパで医学と哲学の博士号を取得し、その後ドイツの[[マルティン・ルター大学ハレ・ヴィッテンベルク]]や[[フリードリヒ・シラー大学イェーナ]]で哲学の教授となった。


== アフリカの哲学者 ==
== アフリカの哲学者 ==

2023年12月30日 (土) 13:10時点における版

アフリカ哲学(アフリカてつがく、: African philosophy)とは、アフリカで、あるいはアフリカ先住民によって生み出された哲学的言説のことである。アフリカの哲学者は、形而上学認識論道徳哲学政治哲学など、現在、哲学の様々な学問分野に見出される[1]

現代のアフリカの哲学者たちが議論してきたテーマを特徴づけるものとして、自由や、自由であることの意味、あるいは全体性を経験することの意味がある[2]。アフリカにおける哲学には豊穣で多様な歴史があるが、その一部は時間の経過とともに失われている[3]。紀元前2200年頃から1000年頃、古代エジプト(ケメット)において、ヒエラティックパピルスに書かれた文献は、世界最古の哲学書として知られている。また、アフリカ最古の哲学者として、古代エジプトの哲学者であるプタハホテップ英語版が知られている。概して、古代ギリシア人は、エジプト人を自身の先達であると認識していた[1]。紀元前5世紀には、哲学者イソクラテスが、ギリシア最古の哲学者たちは知識を求めてエジプトを旅したと述べており、そのうちの一人ピタゴラスは「ギリシア人にすべての哲学をもたらした最初の人物」であるという[4]。21世紀に入り、エジプト学者の新たな研究により、「哲学者」という言葉自体がエジプトに由来するらしいことがわかった。「ギリシャ語で「知恵を愛する者」を意味するフィロソフォス(philosophos)は、文字通り「知恵を愛する者」あるいは知識を意味するエジプトのmer-rekh(mr-rḫ)という概念の翻訳語からとられたものである」[4]。20世紀初頭から半ばにかけて、反植民地運動は、アフリカ大陸とアフリカのディアスポラの双方で共鳴し合う、独特の近代アフリカ政治哲学の発展に多大な影響を及ぼした。この時期に生まれた経済哲学的著作のよく知られた例として、タンザニアをはじめとする東南部アフリカで提唱されたウジャマー英語版というアフリカ社会主義哲学がある。こうしたアフリカの政治・経済哲学の発展は、世界中の多くの非アフリカ系民族による反植民地運動にも顕著な影響を与えた。

アフリカーナ哲学」という用語は、アフリカ系の思想家や、アフリカン・ディアスポラについて議論するアフリカ系以外の人々による哲学を指す。

定義

アフリカ哲学の民族哲学としての範囲を定義し、他の哲学的伝統とどこが異なるのかを明らかにすることについては議論がある。民族哲学の暗黙の前提の一つとして、ある特定の文化が有する哲学は、世界のすべての人々や文化に対して適用可能ではなく、アクセス可能なものでもない、というものがある。Christian B. N. Gadeは、A Discourse on African Philosophy: A New Perspective on Ubuntu and Transitional Justice in South Africaのなかで、アフリカ哲学を静的な集団の特性として捉える民族哲学的アプローチは大きな問題があると論じている。彼のウブントゥ英語版に関する研究は、差異や歴史的発展、社会的文脈を真摯に受け止めるアフリカ哲学についてのオルタナティブな集合的言説を提示している。en:Edwin EtieyiboとJonathon O. Chimakonamの論文“African Philosophy: Past, Present, and Future”によれば、歴史的コンテクストはアフリカ哲学において重要な役割を果たしている。歴史は、哲学的問題を考察するための枠組みを提供してくれる。アフリカ哲学においては、アフリカの歴史というレンズを通して全体像を見なければならない。「歴史なくして事実はない」[5]のである。

アフリカ哲学の形式的な定義としては、アフリカ人が現実の経験に対して批判的に思考することだと言うことができる。ナイジェリア生まれの哲学者K.C. Anyanwuは、アフリカ哲学を「過去と現在のアフリカの人々が、自分たちの運命と自分たちの住む世界を理解する方法に関わるもの」と定義した[6]

ナイジェリアの哲学者Joseph I. Omoregbeは、哲学者とは世界の現象、人間存在の目的、世界の本質、その世界における人間の位置を理解しようとする者であると大まかに定義している。このような自然哲学のあり方は、個々のアフリカ人哲学者が資料の中で区別される以前から、アフリカでは確認することができる[7]西洋哲学と同様、アフリカ哲学は時間、人格、空間などの様々な主題に対する理解について考察している。

歴史

古代アフリカの哲学については、豊かな歴史叙述がある。例えば、古代エジプト、エチオピア、マリ(ティンブクトゥトゥ、ジェンネ)などである[1][8]

近代および20世紀について言えば、新たな始まりは、アメリカやヨーロッパ(「西洋」の地)で学んだアフリカ人がアフリカに戻り、海外で経験した人種差別を反省した1920年代になる。彼らがアフリカに戻ったことで、「フラストレーション」を意味する「オヌマ」の感情が生まれた。オヌマは、世界規模で行われた植民地主義への応答として抱かれた。オヌマは、世界を旅してアフリカに戻った人々が、アフリカ人のアイデンティティ、歴史におけるアフリカの人々の空間、人類に対するアフリカの貢献などについて哲学的に考える「体系的な始まり」を形成する刺激となった。その意味で、20世紀におけるアフリカ哲学のルネサンスは重要である[9]

アフリカ哲学であるための条件

研究者によれば、ある著作がアフリカ哲学のものとみなされるためには、二つの相反する要素が不可欠であると考えられている。第一に、アフリカ哲学の著作は、人種に焦点を当てていなければならない。アフリカ哲学は、アフリカの人々が経験する世界の表現であるべきだと主張する伝統主義者たちは、この点を重視する。アフリカ哲学はアフリカ人著者によって生み出されなければならない。

これとは対照的に、普遍主義のグループは、アフリカ哲学は個々のアフリカ人哲学者のあいだで行われる哲学的分析や批判的なかかわりあいであるべきだとする。アフリカ哲学に関する著作とは、伝統を中心とするアフリカ哲学のことである。アフリカ哲学は、アフリカの文化的背景や思考プロセスから引き出されなければならないが、人種的な考慮からは独立しているべきであり、「アフリカ人」は連帯の用語としてのみ使用されるべきである[10]

方法

共同体主義的方法

アフリカ哲学の共同体主義的方法とは、思考における相互主義を強調するものである。これはウブントゥ英語版を支持する研究者によって最もよく用いられる。ウブントゥでよく言われることとして「人は人を通して人である」というものがある。Leonhard PraegやMogobe Ramose、Fainos Mangeraらは、共同体主義的方法を実践している[11]

補完的手法

補完的手法は、ミッシングリンクの可能性に焦点を当てる方法である。歴史とアイデンティティを考える上で、すべての不確定要素は重要であり、どの不確定要素も見落としたり、十分に考慮されないことがあってはならない。さらに、すべての不確定要素は互いに影響し合うため、不確定要素間の関係や、他の不確定要素への影響を精査する必要がある。Mesembe Edetは補完的手法を実践している[11]

対話的手法

対話的手法においては、対立する哲学的活動のあいだの関係を評価することによって思考を生み出す。ある主張を擁護したり主張したりする者は“nwa-swa”とよばれ、それに対し疑問を投げかけたり疑ったりする反対グループのことを“nwa nju”とよぶ。対話的手法は、現実におけるネットワークの相互連関性を重視するものであり、思考が正確であるべきであればあるほど、場所はより具体的であるべきである。この方法は従来の心理学の学派によって支持されており、Victor NwekeやMsembe Edetが用いている[11]

類型

前近代

北アフリカ

北アフリカでは、エジプトとスーダンにおいて発展した古代エジプト哲学英語版の中心は、間違いなく「マアト」という概念であった。これは、大ざっぱに訳せば「正義」や「真実」、あるいは単に「正しいこと」となる。政治哲学の最も古い著作のひとつが『プタハホトペの教え英語版』で、何世紀にもわたってエジプトの生徒たちに教えられてきたものである。

古代エジプトには、近年学者たちによって研究されるようになった哲学書がいくつかある。2018年のポッドキャスト“Africana Philosophy”では、哲学者のPeter AdamsonとChike Jeffersが最初の8つのエピソードをエジプト哲学にあてている[12]アメリカ哲学会英語版(APA)は、紀元前1200年頃の古典的なテキスト『文人と書物の栄光英語版』(「文人であれ」)に関するテキストを発表している。APAのブログでは、紀元前19世紀の『生活に疲れた者の魂との対話』や、凡人への助言が書かれた紀元前13世紀の『アニイの教え英語版』、Khetiの『職業戯評英語版』、そして「学校を卒業するのは良いことであり、夏の蓮の花の匂いよりも良いことである」と説くDeir el-Medinaのアメンナクト(紀元前1170~1140年に活躍)のテキストも取り上げられている[13]

古代エジプトの哲学者たちは、ヘレニズム哲学キリスト教哲学にも重要な貢献をした。プラトンの先輩である古代ギリシャの哲学者イソクラテスの『ブシリス』によれば、「エジプト人が人間の中で最も健康で長寿であることは誰もが認めるところである。そして、エジプト人は、魂のために哲学の訓練を導入した…」[13]という。ヘレニズムの伝統について言えば、有力な哲学の学派である新プラトン主義は、紀元3世紀にエジプトの哲学者プロティノスによって創始された。教父であり哲学者でもあったアウグスティヌス(354年、現在のアルジェリアにあたるThagaste生まれ)の母は、キリスト教徒の聖モニカであるが、彼女がアマジグ人(ベルベル人)であったため、アウグスティヌスは自らをアフリカ人(あるいはフェニキア系のカルタゴ人)と定義した[14]

西アフリカ

西アフリカにおける前近代の哲学の伝統のなかで最も顕著なものは、ヨルバ人の哲学の伝統であり、その数千年にわたる発展のなかで生まれた独特の世界観である。en:Ifáen:Omoluabien:Ashèen:Emi Omo Esoといった哲学的概念は、この体系に不可欠なものであり、その要素の総体は、ヨルバ人のあいだでItanとして知られているものに含まれている。アカン族英語版ドゴン族セレール族ダホメ王国の宇宙観や哲学も重要であった。

植民地時代以前のセネガンビア(現在のガンビアセネガル)では、17世紀の哲学者en:Kocc Barma Fall(1586年生)が、セネガンビアの歴史上有名な哲学者の一人として際立っていた。彼の箴言は、セネガル人とガンビア人のあいだで現在でも暗唱されており、セネガルの大衆文化、例えばセンベーヌ・ウスマンヌ監督の映画 en:Guelwaar などにも含まれている[15][16]。その他、哲学的思考を行なった著名人として、ガンビアの歴史家en:Alieu Ebrima Cham Joofや、マリの民族学者en:Amadou Hampâté Bâらがいる。

ティンブクトゥを代表する学者の一人にAhmad Baba(1556-1627)がいる。彼は「人種奴隷制」と呼ばれるものに反対を唱えた[17]。現在のナイジェリアにあったソコト帝国を代表する女性哲学者・作家の一人にen:Nana Asmaʼu王女(1793-1864)がいる[18]

アフリカの角

アフリカの角では、第一千年紀以降、独特のエチオピア哲学英語版が発展したことを示す資料が数多く存在する。この伝統のなかで生まれた最も注目すべきものは、17世紀の哲学者ゼラ・ヤコブ英語版とその弟子ワルダ・ヘイワット英語版の著作である[19]。ヤコブは著作の中で、宗教、道徳、存在について論じている[20]。彼は、すべての人が自分の信仰を正しいと信じ、すべての人は平等につくられているという考えに至っている[21][22]

南部アフリカ

南部アフリカと東南部アフリカでは、バントゥー人の拡散英語版の後、存在の本質、宇宙、人類と世界との関係を扱う独特のバントゥー哲学英語版が発展したことが、これらの地域の哲学的展開に最も大きな影響を与えた。この世界観から生まれた顕著な例として、ウブントゥの哲学英語版の発展が挙げられる。

中部・東部アフリカ

バントゥー人の拡散英語版中部アフリカ南部に到達する以前の中部アフリカの哲学的伝統は、多くがナイロート系・スーダン系諸民族の特徴を統合するものであることが明らかになっている。これは、最終的には時間の概念、世界の創造、人間の本質、そしてディンカ族の宗教英語版マサイ族の宗教英語版、またそれと類似した伝統に見られる人類と自然との適切な関係などに確認される特有の世界観の形成につながっている。

アフリカン・ディアスポラ

前近代においてもアフリカン・ディアスポラ英語版的な哲学の伝統が確認されており、そのほとんどはヨーロッパやアメリカ大陸に住むアフリカ人の子孫によって生み出されたものである。en:Anton Wilhelm Amoは、現在のガーナにあるAwukenuから奴隷として連れて行かれ、ヨーロッパで医学と哲学の博士号を取得し、その後ドイツのマルティン・ルター大学ハレ・ヴィッテンベルクフリードリヒ・シラー大学イェーナで哲学の教授となった。

アフリカの哲学者

以下にあげたのは、アフリカの伝統の中で理論的な研究を行っている著名な哲学者、およびアフリカ大陸出身の哲学者のリストである。

関連項目

参考文献

  1. ^ a b c Wiredu, Kwasi, ed (2005-01-01) (英語). A Companion to African Philosophy. doi:10.1002/9780470997154. ISBN 9780470997154. https://onlinelibrary.wiley.com/doi/book/10.1002/9780470997154 
  2. ^ Mucale, Ergimino Pedro (Fall 2015). “The Libertarian Paradigm in Ngoenha: A Contribution to the African Philosophy”. Philosophia Africana 17: 45–54. doi:10.5840/philafricana20151715. 
  3. ^ Holton, Robert; Nasson, William Richard (2009-09-29) (英語). World Civilizations And History Of Human Development. EOLSS Publications. ISBN 978-1-84826-213-3. https://books.google.com/books?id=BIRZCwAAQBAJ&pg=PA124 
  4. ^ a b Herbjørnsrud, Dag (2018年12月17日). “The Radical Philosophy of Egypt: Forget God and Family, Write!” (英語). Blog of the APA. 2021年6月4日閲覧。
  5. ^ Etieyibo, Edwin; Chimakonam, Jonathan (Fall 2015). “African Philosophy: Past, Present, and Future”. Philosophia Africana. 
  6. ^ Peters, R.S. (1959). Authority, Responsibility and Education. London: G. Allen & Unwin 
  7. ^ Maurice Muhatia Makumba, An Introduction to African Philosophy: Past and Present (2007), p. 25.
  8. ^ African Philosophy: An Anthology” (英語). Wiley.com. 2021年6月4日閲覧。
  9. ^ Chimakonam, Jonathan. “History of African Philosophy”. Internet Encyclopedia of Philosophy. 2023年12月29日閲覧。
  10. ^ Gyeke, Kwame (1987). An Essay in African Philosophical Thought: The Akan Conceptual Scheme. Cambridge: Cambridge University Press 
  11. ^ a b c Wiredu, Kwasi (1989). On Defining African Philosophy. APP Publications 
  12. ^ Locating and Debating Precolonial African Philosophy | History of Philosophy without any gaps”. historyofphilosophy.net. 2019年6月20日閲覧。
  13. ^ a b Herbjørnsrud, Dag (2018年12月17日). “The Radical Philosophy of Egypt: Forget God and Family, Write!” (英語). Blog of the APA. 2019年6月20日閲覧。
  14. ^ Troup, Calvin L. (1995). “Augustine the African: Critic of Roman Colonialist Discourse”. Rhetoric Society Quarterly 25 (1–4): 91–106. doi:10.1080/02773949509391034. ISSN 0277-3945. JSTOR 3886277. https://www.jstor.org/stable/3886277. 
  15. ^ Ware, Rudolph T., The Walking Qurʼan: Islamic Education, Embodied Knowledge, and History in West Africa, UNC Press Books (2014), p. 101, ISBN 9781469614311 [1]
  16. ^ Murphy, David, Sembene: Imagining Alternatives in Film & Fiction. James Currey Publishers (200), p. 63, ISBN 978-0-85255-555-2
  17. ^ Hunwick, J. O. (October 1964). “A New Source For the Biography of Aḥmad Bābā Al-Tinbuktī (1556–1627)” (英語). Bulletin of the School of Oriental and African Studies 27 (3): 568–593. doi:10.1017/S0041977X00118385. ISSN 1474-0699. https://www.cambridge.org/core/journals/bulletin-of-the-school-of-oriental-and-african-studies/article/abs/new-source-for-the-biography-of-ahmad-baba-altinbukti-15561627/7FF54A15CFD28E57CA481121D3C5FFB7. 
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  19. ^ Yacob and Amo: Africa's precursors to Locke, Hume and Kant – Dag Herbjørnsrud | Aeon Essays” (英語). Aeon. 2019年6月20日閲覧。
  20. ^ Herbjørnsrud, Dag (2019-05-10). “Beyond decolonizing: global intellectual history and reconstruction of a comparative method”. Global Intellectual History 6 (5): 614–640. doi:10.1080/23801883.2019.1616310. ISSN 2380-1883. https://doi.org/10.1080/23801883.2019.1616310. 
  21. ^ Sumner, Claude (1994). Ethiopian Philosophy 
  22. ^ Menn, Stephen; Smith, Justin E. H. (2020-09-05). Anton Wilhelm Amo's Philosophical Dissertations on Mind and Body. Oxford, New York: Oxford University Press. ISBN 978-0-19-750162-7. https://global.oup.com/academic/product/anton-wilhelm-amos-philosophical-dissertations-on-mind-and-body-9780197501627?cc=no&lang=en& 
  23. ^ Okere, Theophilus. African Philosophy: A Historico-Hermeneutical Investigation of the Conditions of its Possibility. Lanham, MD: University Press of America, 1983.

関連文献

外部リンク