グギ・ワ・ジオンゴ
| グギ・ワ・ジオンゴ Ngũgĩ wa Thiong'o |
|
|---|---|
グギ・ワ・ジオンゴ(2007年)
|
|
| 誕生 | 1938年1月5日(75歳) |
| 職業 | 作家 |
| 言語 | 英語、キクユ語 |
| 国籍 | |
| 活動期間 | |
| 代表作 | 『したい時に結婚するわ』 |
グギ・ワ・ジオンゴ(Ngũgĩ wa Thiong'o, 1938年1月5日 - )は、ケニアの作家。当初は植民言語である英語を使用していたが決別し、現在は母語であるキクユ語を用いる。小説に始まり、戯曲、児童文学、映画、論文、批評まで幅広く手掛ける。
目次 |
来歴 [編集]
生い立ち [編集]
ナイロビの西方約40キロに位置するリムルにあるカミリズ村付近の貧しい農家に生まれた。母親は強制収容所に入れられ、兄はマウマウ団の乱に参加した。
文学活動の開始 [編集]
学生時代に創作を始め、1964年に『泣くな、わが子よ』en:Weep Not, Childを発表。同年、東アフリカで当時最高峰の東アフリカ大学(マケレレ大学)を卒業。記者活動を経て、
英国留学 [編集]
翌1965年から3年間、英国大使館奨学金を得てリーズ大学に留学し、主に西インド文学を専攻した。1965年、en:The River Betweenを発表。
帰国 [編集]
帰国した1967年、ナイロビ大学その他で教鞭を執った。1969年にナイロビ大の学生ストに対する大学当局の措置に抗議し、辞職した。マケレレ大学で教えた。
渡米 [編集]
1971年から1年間、米国のノースウェスタン大学に招聘され、アフリカ文学を講義した。
帰国 [編集]
帰国後は再びナイロビ大学文学部に勤め、のち文学科長となった。1974年ロータス賞受賞。
拘禁 [編集]
1977年、『血の花びら』en:Petals of Blood (1977年)が反体制的であるとして、副大統領モイから母語であるキクユ語による民衆劇『したい時に結婚するわ』 Ngaahika Ndeenda (1977年10月)の上演禁止処分を受け、政治的な拘禁に遭う。拘禁中にはトイレットペーパーにキクユ語で小説『十字架の上の悪魔』 Caitaani mutharaba-Ini (1980年発表)を書くなどしており、「闘う反体制作家」との評価がある(土屋哲『現代アフリカ文学案内』)。翌1978年にケニア初代大統領ジョモ・ケニヤッタが歿したため、1年間で釈放されたが、ナイロビ大学への復職は拒否された。逮捕を機に英語と決別し、真のアフリカ文学はアフリカ民族諸言語で書かれるべきとの信念を持ち、キクユ語作家となった。
渡英 [編集]
1982年8月に起きた空軍クーデター未遂事件以降、英国からケニアに帰国できず、ロンドンを拠点に活動。
渡米 [編集]
1989年から米国イェール大学客員教授。現在ニューヨーク大学等で比較文学と演劇を教える。
来日 [編集]
著作 [編集]
- 『泣くな、わが子よ (夜が明けるまで)』en:Weep Not, Child(1964年)
- 『川をはさみて』en:The River Between(1965年)
- 『一粒の麦』en:A Grain of Wheat(1967年)
- 『血の花びら』en:Petals of Blood(1977年)
- 『したい時に結婚するわ』en:Ngaahika Ndeenda(1977年)
- en:Wizard of the Crow(2006年)
日本語訳
- 一粒の麦 : 独立の陰に埋もれた無名の戦士たち / 小林信次郎訳. -- 門土社, 1981.3
- アフリカ人はこう考える : 作家グギ・ワ・ジオンゴの思想と実践 / 宮本正興編 ; アフリカ文学研究会訳. -- 第三書館, 1985
- 精神の非植民地化 : アフリカのことばと文学のために / 宮本正興, 楠瀬佳子訳. -- 第三書館, 1987.6
- 精神の非植民地化 : アフリカ文学における言語の政治学 / 宮本正興, 楠瀬佳子訳. -- 第三書館, 2010.6, 増補新版
- 夜が明けるまで : 動乱に蹂躙される小さき魂 / 松田忠徳訳. -- 門土社, 1989.4
- 川をはさみて / 北島義信訳. -- 門土社, 2002.7
参考文献 [編集]
- 民族・歴史・文学 : アフリカの作家グギ・ワ・ジオンゴとの対話 / アフリカ文学研究会編. -- 三一書房, 1981.12
外部リンク [編集]
- 公式サイト
- ケニア人作家グギ・ワ・ジオンゴとの対話 動画 日本語字幕付 (デモクラシーナウ!ジャパン 2010.09.13)