「アファナシェヴォ文化」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 改良版モバイル編集
en:Afanasievo culture#Genetics (16:17, 06 November 2023) を翻訳
タグ: サイズの大幅な増減 モバイル編集 モバイルウェブ編集
11行目: 11行目:


アファナシェヴォ文化の後、南シベリアでは[[モンゴロイド]]を主体とする[[オクネフ文化]]が続く。さらに西方の南ウラル方面に現れた[[アンドロノヴォ文化]]([[インド・イラン語派]]に関係があるとする説が有力)がこの地域にまで広がる。
アファナシェヴォ文化の後、南シベリアでは[[モンゴロイド]]を主体とする[[オクネフ文化]]が続く。さらに西方の南ウラル方面に現れた[[アンドロノヴォ文化]]([[インド・イラン語派]]に関係があるとする説が有力)がこの地域にまで広がる。

== 遺伝学 ==
[[ファイル:ヤムナヤ関連移住.jpg|thumb|325px|ヤムナヤ文化に関連する移民の流れ, Anthony(2007),<ref>{{Citation | last =Anthony | first =David W. | year =2007 | title =The Horse, The Wheel and Language: How Bronze-Age Riders from the Eurasian Steppes Shaped the Modern World}}</ref> 2017;<ref>{{Citation | last =Anthony | first =David | year =2017 | chapter =Archaeology and Language: Why Archaeologists Care About the Indo-European Problem | editor1-last =Crabtree | editor1-first =P.J. | editor2-last =Bogucki | editor2-first = P. | title =European Archaeology as Anthropology: Essays in Memory of Bernard Wailes | chapter-url =https://www.academia.edu/35405459}}</ref> Narasimhanら (2019);<ref>{{cite journal |last1=Narasimhan |first1=Vagheesh M. |last2=Patterson |first2=Nick |last3=Moorjani |first3=Priya |last4=Rohland |first4=Nadin |last5=Bernardos |first5=Rebecca |title=The formation of human populations in South and Central Asia |journal=Science |date=6 September 2019 |volume=365 |issue=6457 |doi=10.1126/science.aat7487 |pmid=31488661 |pmc=6822619 |language=en |issn=0036-8075|doi-access=free }}</ref> Nordqvist and Heyd (2020)による:<ref>{{Citation | last1 =Nordgvist | last2 =Heyd | year =2020 | title =The Forgotten Child of the Wider Corded Ware Family: Russian Fatyanovo Culture in Context | journal =Proceedings of the Prehistoric Society |volume=86 |pages=65–93 |doi=10.1017/ppr.2020.9| s2cid =228923806 }}</ref><br>
* 紀元前 3000 年: アファナシェヴォ文化を開始する最初の東方向への移住、おそらく [[原トカラ語]]。
* 紀元前 2900 年: [[縄目文土器文化]] を運ぶ北西方向の移住、[[鐘状ビーカー文化]] に変化。Anthonyによれば、カルパティアの西からヤムナヤとしてハンガリーに西方に移動し、[[鐘状ビーカー文化]] に変化し、おそらく インド・ケルトの祖先であると考えられています (議論あり)。<br>
* 紀元前 2700 年: 縄目文土器文化としてカルパティア山脈の東から始まった 2 回目の東方向への移動。[[ファチャノヴォ – バラノヴォ文化|ファチャノヴォ-バラノヴァ]] (紀元前 2800 年) -> [[アバシェヴォ文化 | アバシェヴォ]] (紀元前 2200 年)-> に変化[[シンタシュタ]] (紀元前2100-1900年) -> [[アンドロノヴォ]] (紀元前1900-1700年) -> [[インド・アーリア人]]。]]

アファナシェヴォ個体の完全なゲノム分析により、彼らはポントス・カスピ海草原のヤムナヤ個体群に遺伝的に非常に近かったことが示された<ref name="Allentoft 2015">{{cite journal |last1=Allentoft |first1=ME |date=June 11, 2015 |title=Population genomics of Bronze Age Eurasia |journal=[[Nature (journal)|Nature]] |publisher=[[Nature Research]] |volume=522 |issue=7555 |pages=167–172 |bibcode= 2015Natur.522..167A|doi=10.1038/nature14507 |pmid=26062507 |s2cid=4399103 |url= https://depot.ceon.pl/bitstream/123456789/13155/2/nature14507.pdf}}</ref><ref name="Mathieson2015">{{cite journal |last1=Mathieson |first1=Iain |date=November 23, 2015 |title=Genome-wide patterns of selection in 230 ancient Eurasians |journal=[[Nature (journal)|Nature]] |publisher=[[Nature Research]] |volume=528 |issue=7583 |pages=499–503 |bibcode= 2015Natur.528..499M|doi=10.1038/nature16152 |pmc=4918750 |pmid=26595274 }}</ref><ref name="Narasimhan2019">{{cite journal |last1=Narasimhan |first1=Vagheesh M. |date=September 6, 2019 |title=The formation of human populations in South and Central Asia |journal=[[Science (journal)|Science]] |publisher=[[American Association for the Advancement of Science]] |volume=365 |issue=6457 |pages= eaat7487|biorxiv=10.1101/292581 |doi=10.1126/science.aat7487 |pmc= 6822619|pmid= 31488661}}</ref>。アファナシエボとヤムナヤの個体群は、地理的にこの2つの個体群の間に位置するグループよりも、相互によく似ていました (アファナシェボのサンプルとは異なり、シベリア東部の狩猟採集民からの祖先が多く含まれていました)。これは、アファナシエヴォ文化がユーラシア西部草原からの移住を介してアルタイ地域にもたらされたことを示しており、この移住は地元住民との混合がほとんどなかった<ref name="Narasimhan2019"/><ref>Narasimhan2019, Supplementary Information, p. 235: "PCA および ADMIXTURE プロットに基づいて、Kanai_MBA、Okunevo_BA.AG、および Central_Steppe_EMBA.SG の個体は遺伝的に同種であり、地理に基づいて予想されるように、WSHG よりも ESHG に密接に関連していることが観察される。これらの個体とは対照的に、アファナシエヴォ文化の個体は西部草原の個体と遺伝的に類似しているようであり、主にCentral_Steppe_EMBAに関連する祖先を持つ介在する集団を飛び越えた西から東への集団移動の仮説と一致している。"</ref>。

アルタイ山脈から、草原由来のアファナシェヴォの祖先は東にモンゴルに、南に新疆に広がりました。アファナシェヴォのヤムナヤ関連の系統と祖先は、青銅器時代の過程でアルタイ地方とモンゴルで姿を消し、西から到来するシンタシュタ文化の移住集団に取って代わられた。ズンガリアではアファナシェヴォ関連の祖先が少なくとも紀元前1千年紀後半まで存続した<ref>{{harvnb|Zhang|Ning|2021|ps=:「総合すると、これらの結果は、アファナシェヴォ遊牧民のズンガリアへの初期の分散には、地元の土着集団とのかなりのレベルの遺伝的混合が伴い、これはシベリア南部におけるアファナシェヴォ文化の初期形成のパターンとは異なることを示している。"}}</ref><ref>{{Cite journal|last1=Wang|first1=Chuan-Chao|last2=Yeh|first2=Hui-Yuan|last3=Popov|first3=Alexander N.|last4=Zhang|first4=Hu-Qin|last5=Matsumura|first5=Hirofumi|last6=Sirak|first6=Kendra|last7=Cheronet|first7=Olivia|last8=Kovalev|first8=Alexey|last9=Rohland|first9=Nadin|last10=Kim|first10=Alexander M.|last11=Mallick|first11=Swapan|date=March 2021|title=Genomic insights into the formation of human populations in East Asia|journal=Nature|language=en|volume=591|issue=7850|pages=413–419|doi=10.1038/s41586-021-03336-2| pmid=33618348 | pmc=7993749 | bibcode=2021Natur.591..413W |issn=1476-4687}} "中期青銅器時代に始まり、アファナシェヴォとともに広がったヤムナヤ由来の系統の存続について、モンゴル時間トランセクトデータには説得力のある証拠はない。むしろ、ヤムナヤ関連の祖先は、中期から後期の青銅器時代のシンタシュタとアンドロノヴォの地平線の人々に関連する、その後の広がりに由来するものとしてモデル化することしかできない。彼ら自体は、ヤムナヤ関連の 2/3 とヨーロッパの農民に関連する祖先4、5、6の 1/3 の混合であった。シンタシュタ関連祖先は、この時点以降、グループ内で 0 ~ 57% の割合で検出され、かなりの割合のシンタシュタ関連祖先はモンゴル西部でのみ検出される (図 3、オンライン表 25)。これらすべてのグループについて、qpAdm 祖先モデルはアウトグループに Afanasievo を含めて合格するが、ソースとしてアファナシェヴォを持ち、アウトグループにシンタシュタを含むモデルはすべて拒否されます (図 3、オンライン表 25)。"</ref>。

=== 父系ハプログループ ===
ヤムナヤとアファナシェボの集団の遺伝的近さは、片親のハプログループ、特に Y 染色体ハプログループ R1b の優位性にも反映されている<ref name="Narasimhan2019"/>{{efn|group=note|アレントフトら (2015)は、 アファナシェボ培養物から 4 人の女性をサンプリングし、2 人は mtDNA [[ミトコンドリアDNAハプログループ|ハプログループ J2a2a]] を保有し、1 人は [[ミトコンドリアDNAハプログループ|T2c1a2]] を保有し、1 人は [[ハプログループU (mtDNA)|U5a1a1]]。ナラシンハンら。 (2019) は、アファナシエヴォ文化に属するとされる 24 人の遺体を分析した。抽出された [[Y-DNA]] の 14 サンプルのうち、10 サンプルは [[ハプログループR (Y染色体)|R1b1a1a2a2]] に属し、1 サンプルは [[ハプログループR (Y染色体)|R1b1a1a2a]] に属し、3 サンプルは [[ハプログループQ (Y染色体)|Q1a2]]。 [[mtDNA]] サンプルは、[[ミトコンドリアDNAハプログループ|ハプログループ T (mtDNA)]] とともに [[ハプログループU (mtDNA)|U]] (特に[[ハプログループU (mtDNA)|U5]]) のサブクレードに、また[[ミトコンドリアDNAハプログループ|T]]、[[ミトコンドリアDNAハプログループ|J]]、[[ハプログループH (mtDNA)|H]]、および [[ミトコンドリアDNAハプログループ|K]]。}}。属していた。

=== 母系ハプログループ ===
2018年の研究では、7頭のアファナシエボ標本の母親のハプログループが分析されました。 71%は西ユーラシアの母性ハプログループ[[ハプログループU (mtDNA)|U]]、[[ハプログループH (mtDNA)|H]]、[[ミトコンドリアDNAハプログループ|R]]に属し、28.5%は東ユーラシアの母性ハプログループCに属した<ref>{{cite journal |last1=Hollard |first1=Clémence |title=New genetic evidence of affinities and discontinuities between bronze age Siberian populations |journal=American Journal of Physical Anthropology |date=September 2018 |volume=167 |issue=1 |pages=6–7|doi=10.1002/ajpa.23607 |pmid=29900529 |s2cid=205337212 |url=https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/ajpa.23607 |language=en}} See also [https://onlinelibrary.wiley.com/action/downloadSupplement?doi=10.1002%2Fajpa.23607&file=ajpa23607-sup-0001-suppinfo1.docx Supporting Information document 1] for uniparental haplogroup details.</ref>。



{{印欧語族}}
{{印欧語族}}

2023年11月8日 (水) 03:58時点における版

アファナシェヴォ文化(アファナシェヴォぶんか、: Afanasevo culture)は、紀元前3500年から2500年頃、中央アジア北東部からシベリア南部にかけて栄えた文化で、銅器時代後期ないし青銅器時代前期に当たる。シベリア・ミヌシンスク盆地のアファナシェヴォで最初に発掘調査されたが、現在のモンゴル西部、新疆ウイグル自治区北部、カザフスタン中東部にまで広がっていた。さらにタジキスタンアラル海方面の文化も関連があるとされる。

アファナシェヴォ文化の領域

生活様式は半遊牧牧畜と考えられる。または山羊を飼育したが、野生動物の狩猟も行ったようであり、ともに出土する例が多い。葬制に特徴があり、墓槨は円錐形または矩形、多くは仰臥位に埋葬されて赤土がかけられ、環状列石が立てられた。集落遺跡も多数発見され、金属製品と車が発見されている。

人種的にはコーカソイドであり、葬制には西方ポンティック・ステップ地帯のヤムナ文化(竪穴墓文化)などとの類似点が多い。ギンブタスによって提唱されたクルガン仮説(ヤムナ文化をクルガンIV期とする)によれば、これらは原印欧民族あるいはその後継者によるものとされる。アファナシェヴォ文化が印欧語族によるものとすれば、その中で非常に古い時代に最も北東に位置した民族ということになる。

以上に関連して、トカラ語派(紀元後まで南方のタリム盆地などで話され文字に書かれた)の源流であるとする説も有力である。これについては、紀元前1800年頃のタリム盆地における葬制(「楼蘭の美女」などのミイラで有名)や、家畜と野生動物の骨がともに出土するなどの共通点が指摘されているが、直接的には証明されていない。

アファナシェヴォ文化の後、南シベリアではモンゴロイドを主体とするオクネフ文化が続く。さらに西方の南ウラル方面に現れたアンドロノヴォ文化インド・イラン語派に関係があるとする説が有力)がこの地域にまで広がる。

遺伝学

ヤムナヤ文化に関連する移民の流れ, Anthony(2007),[1] 2017;[2] Narasimhanら (2019);[3] Nordqvist and Heyd (2020)による:[4]
* 紀元前 3000 年: アファナシェヴォ文化を開始する最初の東方向への移住、おそらく 原トカラ語。 * 紀元前 2900 年: 縄目文土器文化 を運ぶ北西方向の移住、鐘状ビーカー文化 に変化。Anthonyによれば、カルパティアの西からヤムナヤとしてハンガリーに西方に移動し、鐘状ビーカー文化 に変化し、おそらく インド・ケルトの祖先であると考えられています (議論あり)。
* 紀元前 2700 年: 縄目文土器文化としてカルパティア山脈の東から始まった 2 回目の東方向への移動。ファチャノヴォ-バラノヴァ (紀元前 2800 年) -> アバシェヴォ (紀元前 2200 年)-> に変化シンタシュタ (紀元前2100-1900年) -> アンドロノヴォ (紀元前1900-1700年) -> インド・アーリア人

アファナシェヴォ個体の完全なゲノム分析により、彼らはポントス・カスピ海草原のヤムナヤ個体群に遺伝的に非常に近かったことが示された[5][6][7]。アファナシエボとヤムナヤの個体群は、地理的にこの2つの個体群の間に位置するグループよりも、相互によく似ていました (アファナシェボのサンプルとは異なり、シベリア東部の狩猟採集民からの祖先が多く含まれていました)。これは、アファナシエヴォ文化がユーラシア西部草原からの移住を介してアルタイ地域にもたらされたことを示しており、この移住は地元住民との混合がほとんどなかった[7][8]

アルタイ山脈から、草原由来のアファナシェヴォの祖先は東にモンゴルに、南に新疆に広がりました。アファナシェヴォのヤムナヤ関連の系統と祖先は、青銅器時代の過程でアルタイ地方とモンゴルで姿を消し、西から到来するシンタシュタ文化の移住集団に取って代わられた。ズンガリアではアファナシェヴォ関連の祖先が少なくとも紀元前1千年紀後半まで存続した[9][10]

父系ハプログループ

ヤムナヤとアファナシェボの集団の遺伝的近さは、片親のハプログループ、特に Y 染色体ハプログループ R1b の優位性にも反映されている[7][note 1]。属していた。

母系ハプログループ

2018年の研究では、7頭のアファナシエボ標本の母親のハプログループが分析されました。 71%は西ユーラシアの母性ハプログループUHRに属し、28.5%は東ユーラシアの母性ハプログループCに属した[11]


  1. ^ Anthony, David W. (2007), The Horse, The Wheel and Language: How Bronze-Age Riders from the Eurasian Steppes Shaped the Modern World 
  2. ^ Anthony, David (2017), “Archaeology and Language: Why Archaeologists Care About the Indo-European Problem”, in Crabtree, P.J.; Bogucki, P., European Archaeology as Anthropology: Essays in Memory of Bernard Wailes, https://www.academia.edu/35405459 
  3. ^ Narasimhan, Vagheesh M.; Patterson, Nick; Moorjani, Priya; Rohland, Nadin; Bernardos, Rebecca (6 September 2019). “The formation of human populations in South and Central Asia” (英語). Science 365 (6457). doi:10.1126/science.aat7487. ISSN 0036-8075. PMC 6822619. PMID 31488661. https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC6822619/. 
  4. ^ Nordgvist; Heyd (2020), “The Forgotten Child of the Wider Corded Ware Family: Russian Fatyanovo Culture in Context”, Proceedings of the Prehistoric Society 86: 65–93, doi:10.1017/ppr.2020.9 
  5. ^ Allentoft, ME (June 11, 2015). “Population genomics of Bronze Age Eurasia”. Nature (Nature Research) 522 (7555): 167–172. Bibcode2015Natur.522..167A. doi:10.1038/nature14507. PMID 26062507. https://depot.ceon.pl/bitstream/123456789/13155/2/nature14507.pdf. 
  6. ^ Mathieson, Iain (November 23, 2015). “Genome-wide patterns of selection in 230 ancient Eurasians”. Nature (Nature Research) 528 (7583): 499–503. Bibcode2015Natur.528..499M. doi:10.1038/nature16152. PMC 4918750. PMID 26595274. https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4918750/. 
  7. ^ a b c Narasimhan, Vagheesh M. (September 6, 2019). “The formation of human populations in South and Central Asia”. Science (American Association for the Advancement of Science) 365 (6457): eaat7487. doi:10.1126/science.aat7487. PMC 6822619. PMID 31488661. https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC6822619/. 
  8. ^ Narasimhan2019, Supplementary Information, p. 235: "PCA および ADMIXTURE プロットに基づいて、Kanai_MBA、Okunevo_BA.AG、および Central_Steppe_EMBA.SG の個体は遺伝的に同種であり、地理に基づいて予想されるように、WSHG よりも ESHG に密接に関連していることが観察される。これらの個体とは対照的に、アファナシエヴォ文化の個体は西部草原の個体と遺伝的に類似しているようであり、主にCentral_Steppe_EMBAに関連する祖先を持つ介在する集団を飛び越えた西から東への集団移動の仮説と一致している。"
  9. ^ Zhang & Ning 2021:「総合すると、これらの結果は、アファナシェヴォ遊牧民のズンガリアへの初期の分散には、地元の土着集団とのかなりのレベルの遺伝的混合が伴い、これはシベリア南部におけるアファナシェヴォ文化の初期形成のパターンとは異なることを示している。"
  10. ^ Wang, Chuan-Chao; Yeh, Hui-Yuan; Popov, Alexander N.; Zhang, Hu-Qin; Matsumura, Hirofumi; Sirak, Kendra; Cheronet, Olivia; Kovalev, Alexey et al. (March 2021). “Genomic insights into the formation of human populations in East Asia” (英語). Nature 591 (7850): 413–419. Bibcode2021Natur.591..413W. doi:10.1038/s41586-021-03336-2. ISSN 1476-4687. PMC 7993749. PMID 33618348. https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC7993749/.  "中期青銅器時代に始まり、アファナシェヴォとともに広がったヤムナヤ由来の系統の存続について、モンゴル時間トランセクトデータには説得力のある証拠はない。むしろ、ヤムナヤ関連の祖先は、中期から後期の青銅器時代のシンタシュタとアンドロノヴォの地平線の人々に関連する、その後の広がりに由来するものとしてモデル化することしかできない。彼ら自体は、ヤムナヤ関連の 2/3 とヨーロッパの農民に関連する祖先4、5、6の 1/3 の混合であった。シンタシュタ関連祖先は、この時点以降、グループ内で 0 ~ 57% の割合で検出され、かなりの割合のシンタシュタ関連祖先はモンゴル西部でのみ検出される (図 3、オンライン表 25)。これらすべてのグループについて、qpAdm 祖先モデルはアウトグループに Afanasievo を含めて合格するが、ソースとしてアファナシェヴォを持ち、アウトグループにシンタシュタを含むモデルはすべて拒否されます (図 3、オンライン表 25)。"
  11. ^ Hollard, Clémence (September 2018). “New genetic evidence of affinities and discontinuities between bronze age Siberian populations” (英語). American Journal of Physical Anthropology 167 (1): 6–7. doi:10.1002/ajpa.23607. PMID 29900529. https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/ajpa.23607.  See also Supporting Information document 1 for uniparental haplogroup details.


引用エラー: 「note」という名前のグループの <ref> タグがありますが、対応する <references group="note"/> タグが見つかりません