飯田三郎
表示
飯田 三郎(いいだ さぶろう、1912年(大正元年)12月20日 - 2003年(平成15年)4月24日)は、昭和期の作曲家。北海道根室市出身。
経歴
[編集]初め、独学で作曲を学ぶ。根室商業学校卒業後上京し、作曲を池内友次郎、指揮を山田和男に師事する。
同じ根室出身で、根室商業学校の先輩でもある作詞家・高橋掬太郎と組み、「啼くな小鳩よ」「ここに幸あり」などの楽曲を作った。故郷を愛し、交響組曲「北国讃歌」等の根室に関連する曲を数多く作った。
1973年、ミサ曲が認められ、ローマ法王庁より褒状を授与される。
根室市総合文化会館1階には飯田三郎資料展示室がある(2022年11月26日に根室市図書館から移転)[1]。
代表曲
[編集]クラシック作品
[編集]- 交響的ルンバ「南の誘惑」(1946年、NHK委嘱)
- 舞踊曲「力の交響」(1953年)
- 舞踏曲「開拓者の鼓動」(1960年)
- バリ島組曲(1961年、NHK音楽祭委嘱)
- 舞踏曲「秘踏ヒマラヤ」(1961年)
- 舞踏曲「愛情の森」(1962年)
- 交響組曲「北海道」(1963年、NHK委嘱)
- 幻想曲「沖縄諸島風物詩」(1963年、NHK委嘱)
- セイロン島組曲(1963年、NHK委嘱)
- アイヌの旋律によるピアノと管弦楽のための「アラベスク」(1965年、NHK委嘱)
- 北国讃歌(1968年)[飯田三郎作詞]
- 大いなる海(1970年)
- スレンドロ調とペロッグ調によるピアノとオーケストラ(1973年、日本作曲家協会委嘱)
- オラトリオ「えぞキリシタンの殉教」(1978年、蝦夷キリシタン研究会委嘱)
- 合唱と管弦楽による交響的叙事詩「サルオロ(大湿原)」(1989年、釧路湿原国立公園制定記念作品)
- 自ら指揮した録音がキングレコードよりCD化されたことがある。演奏:ロイヤルフィル(国内の臨時編成楽団)、合唱:東京ソフィア混声合唱団、三味線:千藤幸蔵
- 石川啄木歌曲集
映画音楽
[編集]大衆歌謡
[編集]- 『啼くな小鳩よ』(1947年1月)[作詞:高橋掬太郎、歌:岡晴夫]
- 『かりそめの恋』(1949年9月)[作詞:高橋掬太郎、歌:三条町子]
- 『東京悲歌』(1951年11月)[作詞:高橋掬太郎、歌:三条町子]
- 『ワンダフル娘』(1952年9月)[作詞:上田たかし、歌:江利チエミ]
- 『ここに幸あり』(1956年5月)[作詞:高橋掬太郎、歌:大津美子]
- 『山陰の道』(1956年11月)[作詞:高橋掬太郎、歌:若原一郎]
- 『丘にのぼりて』(1957年9月)[作詞:高橋掬太郎、歌:若原一郎]
- 『夜霧の滑走路』(1958年7月)[作詞:横井弘、歌:三船浩]
- 『小樽の赤い灯が見える』(1961年3月)[作詞:内村直也、歌:三船浩]
- 『お嬢さん』(1961年1月)[作詞:三島由紀夫、歌:中原美紗緒]
- 『北海流れ節』(1978年)[作詞:小町まさあき、歌:三橋美智也]
その他
[編集]- 『海を越えて友よきたれ』(1964年)[作詞:土井一郎、歌:高石かつ枝&藤原良 - 東京オリンピック愛唱歌
- 『珠洲市民の歌』(1969年) - 市制15周年記念
- 『南海電気鉄道社歌』(1975年)- 創業90年記念
脚注
[編集]- ^ “根室の飯田三郎資料室26日オープン 生誕110年で文化会館に移転”. 北海道新聞 (2022年11月24日). 2022年11月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月24日閲覧。