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== メンバー ==
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高音→低音の順。[[ダークダックス]]や[[デューク・エイセス]]と違い、立ち位置は、左→右に向かって、低音→高音となっている。
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*'''西脇 久夫'''(にしわき ひさお、[[1936年]][[1月29日]] - 現在85歳)。[[宮城県]][[塩竈市]]出身。トップ・[[テノール|テナー]]。[[商学部]]出身。愛称は"六さん"。立ち位置は一番右。現在、芸能事務所ニュー西北エンタープライズの代表もしている。また、日本歌手協会の監事もして
*'''西脇 久夫'''(にしわき ひさお、[[1936年]][[1月29日]] - 2021年8月30日)。[[宮城県]][[塩竈市]]出身。トップ・[[テノール|テナー]]。[[商学部]]出身。愛称は"六さん"。立ち位置は一番右。芸能事務所ニュー西北エンタープライズの代表。また、日本歌手協会の監事を務めた。2021年8月30日午前8時50分、肺がんのため東京都内の病院で死去<ref>{{Cite web|title=ボニージャックス西脇久夫さん肺がんで死去、85歳 「ちさい秋みつけた」「手のひらを太陽に」… - スポニチ Sponichi Annex 芸能|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/09/02/kiji/20210902s00041000568000c.html|website=スポニチ Sponichi Annex|accessdate=2021-09-02|language=ja}}</ref>
*'''吉田 秀行'''(よしだ ひでゆき、[[1965年]][[8月26日]] - 現在56歳)。[[埼玉県]][[比企郡]][[鳩山町]]出身。セカンド・テナー。2003年に大町正人の後任として加入。愛称は"(ボニーの)ヨンさま"。立ち位置は右から2番目。
*'''吉田 秀行'''(よしだ ひでゆき、[[1965年]][[8月26日]] - 現在56歳)。[[埼玉県]][[比企郡]][[鳩山町]]出身。セカンド・テナー。2003年に大町正人の後任として加入。愛称は"(ボニーの)ヨンさま"。立ち位置は右から2番目。
*'''鹿島 武臣'''(かしま たけおみ、[[1934年]][[1月1日]] - 現在87歳)。[[京都府]][[舞鶴市]]出身。[[バリトン]]。[[政治経済学部]]出身。愛称は"トラさん"。立ち位置は左から2番目。
*'''鹿島 武臣'''(かしま たけおみ、[[1934年]][[1月1日]] - 現在87歳)。[[京都府]][[舞鶴市]]出身。[[バリトン]]。[[政治経済学部]]出身。愛称は"トラさん"。立ち位置は左から2番目。

2021年9月2日 (木) 11:29時点における版

ボニージャックス
出身地 日本の旗 日本 東京都
ジャンル 重唱
活動期間 1958年 -
メンバー 西脇久夫(トップ・テナー
吉田秀行(セカンド・テナー)
鹿島武臣(バリトン
玉田元康(バス
旧メンバー 大町正人(セカンド・テナー)

ボニージャックス(BONNY JACKS)は、男性4人の重唱団(ボーカルグループ)である。1958年に結成された。

略歴

早稲田大学グリークラブに所属していたメンバーによって結成(名づけ親は早大OBで作曲家の磯部俶)、アマチュアとして歌っていた。その後、ラジオ番組「青春ジャズ大学」出演の際に司会の笈田敏夫がその歌声を絶賛。友人の小島正雄に紹介し、小島の尽力でプロデビューとなった。

小島は「レパートリーを百曲積むまでは絶対にデビューするな」と厳命し[1]、4人はそれを達成すべく、1958年の初めから東京・杉並の早大OB宅の離れを借りて約1年間の合宿自炊生活を行ない、1日8時間の練習に明け暮れた。その間、鹿島が牛乳配達をし、大町・玉田は米軍キャンプで、西脇は他のコーラスで歌い糊口を凌ぐ。同年暮れ、クリスマスイブのラジオ番組で念願のプロデビューを果たす[2]

レパートリーの幅広さでは他の追随を許さず、世界各国の民謡、歌曲、ジャズ、童謡から軍歌、CM曲、テレビ主題歌、ラジオ主題歌、社歌、寮歌など、通算5000曲以上にのぼるという。歌の伝道師の異名を取り、ロシア民謡「一週間」や合唱曲「遥かな友に」、童謡「ちいさい秋みつけた」「手のひらを太陽に」などは、ボニーが歌ったことから広く知られるようになった。

同形態をとるコーラスグループデューク・エイセスダークダックスとの共同ショー開催も度々行ない、これは両グループが実質活動停止(解散)するまで続いた。

2016年10月26日アカペラ&ボイスパーカッショングループベイビー・ブーと総勢9人のコーラスユニットボニーさんとブーを結成。シングル「じいじのシンデレラ」をリリース。 2016年にダークダックスが解散、2017年にデューク・エイセスの解散に伴い、ボニージャックスのみが現役で活躍中である。

メンバー

高音→低音の順。ダークダックスデューク・エイセスと違い、立ち位置は、左→右に向かって、低音→高音となっている。

  • 西脇 久夫(にしわき ひさお、1936年1月29日 - 2021年8月30日)。宮城県塩竈市出身。トップ・テナー商学部出身。愛称は"六さん"。立ち位置は一番右。芸能事務所ニュー西北エンタープライズの代表。また、日本歌手協会の監事を務めた。2021年8月30日午前8時50分、肺がんのため東京都内の病院で死去[3]
  • 吉田 秀行(よしだ ひでゆき、1965年8月26日 - 現在56歳)。埼玉県比企郡鳩山町出身。セカンド・テナー。2003年に大町正人の後任として加入。愛称は"(ボニーの)ヨンさま"。立ち位置は右から2番目。
  • 鹿島 武臣(かしま たけおみ、1934年1月1日 - 現在87歳)。京都府舞鶴市出身。バリトン政治経済学部出身。愛称は"トラさん"。立ち位置は左から2番目。
  • 玉田 元康(たまだ もとやす、1934年5月31日 - 現在87歳)。満州国安東市(現・中華人民共和国丹東市)出身。ベース。ボニージャックスのリーダーを務める。文学部出身。愛称は"のぼさん"。立ち位置は一番左。ヒゲがトレードマークだが、活動初期は生やしておらず、現存する1963年と1965年の紅白歌合戦出場時の映像ではいずれもヒゲを剃った姿で出演している。

元メンバー

  • 大町 正人(おおまち まさと、1937年7月20日 - 2011年7月8日)満州生まれ。法学部出身。愛称は"アッちゃん"。立ち位置は右から2番目。長年セカンド・テナーをつとめていたが、45周年公演を目前に肝硬変で倒れ、リタイアした。闘病しつつ音楽活動をおこなっていたが、2011年7月8日、肝臓がんのため横浜市の自宅で死去。73歳没[4]。後任は吉田秀行。

代表曲・アルバム

など多数。鉄道唱歌も歌っており、テレビ番組『ズームイン!!朝!』で「鉄道唱歌の旅」として放送されVHS・CDとして発売された(ただし一部の歌詞は省略されている)。2007年にはそれとは別に334番まで歌った『鉄道唱歌全曲』も発表し、こちらは334番すべてが収録されている。第四集(北陸篇)の編曲者は西脇である。

テレビ

NHK紅白歌合戦出場歴

年度/放送回 曲目 対戦相手
1963年(昭和38年)/第14回 一週間 トリオこいさんず
1964年(昭和39年)/第15回 幸せなら手をたたこう 梓みちよ
1965年(昭和40年)/第16回 手のひらを太陽に ペギー葉山

脚注

  1. ^ 『合唱サークル』1966年10月号(音楽之友社)、p.60-63「ダークとボニーの生活と意見」(ダークダックス・ボニージャックスの全メンバー8人による座談会)。「レパートリー百曲」の逸話はp.61上段で言及。
  2. ^ 読売新聞(夕刊)1969年1月27日・第12面「十年目迎えたボニー・ジャックス」。
  3. ^ ボニージャックス西脇久夫さん肺がんで死去、85歳 「ちいさい秋みつけた」「手のひらを太陽に」… - スポニチ Sponichi Annex 芸能”. スポニチ Sponichi Annex. 2021年9月2日閲覧。
  4. ^ 時事ドットコム:「ボニージャックス」元メンバーの大町正人さん死去[リンク切れ]

関連項目

外部リンク