「ティファニーで朝食を」の版間の差分
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[[川本三郎]]の『映画は呼んでいる』([[キネマ旬報社]])には映画評論家のジュディス・クリストの言葉が紹介してある。「この映画で我々は大人になりました」「無垢の時代は終わりを遂げました。突如、時代はセックスに対してオープンになる方向に動き始めました。[[1960年代|60年代]]になりかかっていたのです」。 |
[[川本三郎]]の『映画は呼んでいる』([[キネマ旬報社]])には映画評論家のジュディス・クリストの言葉が紹介してある。「この映画で我々は大人になりました」「無垢の時代は終わりを遂げました。突如、時代はセックスに対してオープンになる方向に動き始めました。[[1960年代|60年代]]になりかかっていたのです」。 |
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=== ユニオシの描写 === |
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<!--[[File:Starring Mickey Rooney.jpg|thumb|ルーニーによる演技<br />醜さを強調するために口に出っ歯の[[マウスピース]]を嵌めている。]]--><!--日本国で著作権が失効する2031年までコメントアウト--> |
<!--[[File:Starring Mickey Rooney.jpg|thumb|ルーニーによる演技<br />醜さを強調するために口に出っ歯の[[マウスピース]]を嵌めている。]]--><!--日本国で著作権が失効する2031年までコメントアウト--> |
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[[ユニオシ]]は日系アメリカ人という設定であるが、アメリカ社会における[[ステレオタイプ]]で悪意に満ちた日本人像(黒ぶちの眼鏡、出っ歯、低身長、[l]と[r]を混同するなど)を白人俳優が演じている。ユニオシを演じたミッキー・ルーニーは当時を振り返って、監督の指示通りにコメディ感を演出した演技だったとしている。だが当時はアメリカ社会において人種差別の問題は未解決で、白人同士の仲間内の私的な場面では黒人(Groe)、ユダヤ人(Jew)、日本人(Jap)、中国人(Chink)、メキシコ人(beaner)など[[少数民族|エスニック]]な[[マイノリティ]]に対するきわどい差別的表現やブラック・ジョークが囁かれることは希ではなかったが、[[公民権法]]の制定が既に視野に入っていた1960年代初期に、[[映画]]という公の場面でこのような表現がなされたことになる。だが今日ではこのシーンは[[ハリウッド]]史上最も残酷で、恥ずべき表現の一つとして解釈が共有されている。この演技によってルーニーに対しては生涯、[[人種差別|差別主義的]]なイメージと[[スティグマ]]が付きまとうことになり、俳優としての地位とキャリアを維持するに釈明と弁明を重ねて行う必要があった。彼によれば40年間どこへ行っても賞賛を受け、当のアジア人である中国人からも「傑作だ」と称賛されたと自己弁護に努めている。 |
[[ユニオシ]]は日系アメリカ人という設定であるが、アメリカ社会における[[ステレオタイプ]]で悪意に満ちた日本人像(黒ぶちの眼鏡、出っ歯、低身長、[l]と[r]を混同するなど)を白人俳優が演じている。ユニオシを演じたミッキー・ルーニーは当時を振り返って、監督の指示通りにコメディ感を演出した演技だったとしている。だが当時はアメリカ社会において人種差別の問題は未解決で、白人同士の仲間内の私的な場面では黒人(Groe)、ユダヤ人(Jew)、日本人(Jap)、中国人(Chink)、メキシコ人(beaner)など[[少数民族|エスニック]]な[[マイノリティ]]に対するきわどい差別的表現やブラック・ジョークが囁かれることは希ではなかったが、[[公民権法]]の制定が既に視野に入っていた1960年代初期に、[[映画]]という公の場面でこのような表現がなされたことになる。だが今日ではこのシーンは[[ハリウッド]]史上最も残酷で、恥ずべき表現の一つとして解釈が共有されている。この演技によってルーニーに対しては生涯、[[人種差別|差別主義的]]なイメージと[[スティグマ]]が付きまとうことになり、俳優としての地位とキャリアを維持するに釈明と弁明を重ねて行う必要があった。彼によれば40年間どこへ行っても賞賛を受け、当のアジア人である中国人からも「傑作だ」と称賛されたと自己弁護に努めている。 |
2016年12月20日 (火) 09:01時点における版
『ティファニーで朝食を』(ティファニーでちょうしょくを、原題: Breakfast at Tiffany’s)は、アメリカ合衆国の小説家トルーマン・カポーティによる中編小説。1958年にランダムハウスから出版された。ニューヨークを舞台に、自由奔放に生きる女性主人公を描く。1961年にオードリー・ヘプバーン主演でパラマウント映画によって映画化された。
題名は主人公のいう「ティファニーで朝食を食べるご身分」というたとえで、ニューヨーク5番街にあるティファニーは宝石店であり実際には食堂はない。しかし映画版ではその題名を意識してか、冒頭でオードリー・ヘプバーンがティファニーのショーウィンドウを前に朝食を食べるシーンがある。
あらすじ
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発表までの経緯
ルイジアナ州ニューオーリンズに生まれたカポーティは1940年代にニューヨークへ上京し、「ザ・ニューヨーカー」の下働きをしつつ作家志望として『ミリアム』など作品投稿を行う。1948年には『遠い声 遠い部屋』でデビューし、翌1949年には短編集を刊行している。『ティファニーで朝食を』は1955年ころから執筆を開始し、身辺事情や掲載予定の女性誌『ハーパース・バザー』から掲載を拒否されるなど紆余曲折を経つつ、1958年に『エスクァイア』に発表された。
モデル
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自由気ままに自分さえ楽しければよしとする美しい女ホリー・ゴライトリーと彼女を取り巻く男たちを描いた小説である。主人公のホリーは、カポーティの友人で、マンハッタン社交界の常連だったキャロル・グレイスだと言われている[1]。キャロルは生まれは貧しいが、幼いときに母親が大手家電メーカーBendixの社長と結婚したことで富裕層の仲間入りをした女性で、作家のウィリアム・サローヤン、その後俳優のウォルター・マッソーと結婚した。
映画化
ティファニーで朝食を | |
---|---|
Breakfast at Tiffany's | |
日本で公開された当時のポスター 台場一丁目商店街で撮影。 | |
監督 | ブレイク・エドワーズ |
脚本 | ジョージ・アクセルロッド |
原作 | トルーマン・カポーティ |
製作 |
マーティン・ジュロー リチャード・シェファード |
出演者 |
オードリー・ヘップバーン ジョージ・ペパード パトリシア・ニール |
音楽 | ヘンリー・マンシーニ |
撮影 |
フランツ・プラナー フィリップ・H・ラスロップ |
編集 | ハワード・スミス |
配給 | パラマウント映画 |
公開 |
1961年10月5日 1961年11月8日 |
上映時間 | 115分 |
製作国 | アメリカ合衆国 |
言語 | 英語 |
製作費 | $2,500,000 (概算)[2] |
興行収入 |
$8,000,000[2] $14,000,000[2] |
監督はブレイク・エドワーズ、主演はオードリー・ヘプバーン、共演はジョージ・ペパード。ティファニーに資本主義の繁栄を象徴させて自由の貴重さを描いてみせるトルーマン・カポーティの原作とは異なり、映画は主人公と語り手の作家との恋を中心に描いている。
カポーティは、マリリン・モンローを主役にすえることを条件に、映画化を了承した。ところが、出演オファーを受けたモンローは、娼婦役を演じることが女優としてのキャリアにマイナスになると考え、出演を断った。セックスシンボルと呼ばれることに強い抵抗を感じていたモンローは、これ以上、イメージが固定化することを嫌ったとされる。こうして、モンローとはまったく個性の異なるヘプバーンが主演を務めることになった[3]。モンローのイメージに合わせて書かれていた脚本は、急きょヘプバーンの魅力が生かされるように書き直された。カポーティはヘプバーンが映画に主演すると聞いて、少なからず不快感を表したと伝えられる[4]。
ジョニー・マーサー作詞・ヘンリー・マンシーニ作曲で劇中にヘプバーン自身が歌った挿入歌『ムーン・リバー』が有名であるが、原作中の歌とは異なる。映画完成後のパラマウント映画関係者向披露試写会で、就任したばかりのパラマウント映画の新社長は、歌のシーンはカットした方がよいと言い放ったと言うが、オードリーは立ち上がり「絶対にカットはさせません」と言って残されたシーンだったという事を、相手役のジョージ・ペパードが、1993年に発売されたドキュメンタリービデオ「想い出のオードリー・ヘップバーン」中のインタビュー映像で語っている。
川本三郎の『映画は呼んでいる』(キネマ旬報社)には映画評論家のジュディス・クリストの言葉が紹介してある。「この映画で我々は大人になりました」「無垢の時代は終わりを遂げました。突如、時代はセックスに対してオープンになる方向に動き始めました。60年代になりかかっていたのです」。
ユニオシの描写
ユニオシは日系アメリカ人という設定であるが、アメリカ社会におけるステレオタイプで悪意に満ちた日本人像(黒ぶちの眼鏡、出っ歯、低身長、[l]と[r]を混同するなど)を白人俳優が演じている。ユニオシを演じたミッキー・ルーニーは当時を振り返って、監督の指示通りにコメディ感を演出した演技だったとしている。だが当時はアメリカ社会において人種差別の問題は未解決で、白人同士の仲間内の私的な場面では黒人(Groe)、ユダヤ人(Jew)、日本人(Jap)、中国人(Chink)、メキシコ人(beaner)などエスニックなマイノリティに対するきわどい差別的表現やブラック・ジョークが囁かれることは希ではなかったが、公民権法の制定が既に視野に入っていた1960年代初期に、映画という公の場面でこのような表現がなされたことになる。だが今日ではこのシーンはハリウッド史上最も残酷で、恥ずべき表現の一つとして解釈が共有されている。この演技によってルーニーに対しては生涯、差別主義的なイメージとスティグマが付きまとうことになり、俳優としての地位とキャリアを維持するに釈明と弁明を重ねて行う必要があった。彼によれば40年間どこへ行っても賞賛を受け、当のアジア人である中国人からも「傑作だ」と称賛されたと自己弁護に努めている。
キャスト
役名 | 俳優 | 日本語吹き替え | ||
---|---|---|---|---|
DVD・BD版 | 日本テレビ版 | フジテレビ版 | ||
ホリー・ゴライトリー | オードリー・ヘップバーン | 池田昌子 | ||
ポール・バージャク | ジョージ・ペパード | 野沢那智 | 金内吉男 | |
2E | パトリシア・ニール | 沢田敏子 | 谷育子 | 初井言栄 |
ドク・ゴライトリー | バディ・イブセン | 山野史人 | 小林修 | 塚本信夫 |
ユニオシ, I.Y. | ミッキー・ルーニー | 辻親八 | 緒方賢一 | |
O・J・バーマン | マーティン・バルサム | 稲葉実 | 阪脩 | |
ホセ・ダ・シルヴァ・ペレイラ | ホセ・ルイス・デ・ヴィラロンガ | 田原アルノ | 納谷六朗 | |
メグ | ドロシー・ホイットニー | 雨蘭咲木子 | ||
サリー・トマト | アラン・リード | 村松康雄 | 藤本譲 | |
ティファニーの店員 | ジョン・マッギーヴァー |
スタッフ
- 監督:ブレイク・エドワーズ
- 原作:トルーマン・カポーティ
- 脚本:ジョージ・アクセルロッド
- 撮影:フランツ・プレイナー
- 音楽:ヘンリー・マンシーニ
- 美術:ローランド・アンダーソン、ハル・ペレイラ
- 衣裳:ユベール・ド・ジバンシィ、イーディス・ヘッド、ポーリーン・トリジェール
ミュージカル
脚注
- ^ The Real Holly Golightly , The New York Times, July 19, 1992
- ^ a b c “Breakfast at Tiffany's (1961) - Box office / business” (英語). IMDb. 2011年5月18日閲覧。
- ^ 川本三郎の『映画は呼んでいる』(キネマ旬報社)には’「縛り首の木」(59年)「蛇皮の服を着た男」(59年)を制作したプロデューサー、マーティン・ジュロウは彼女をこう説得した。「売春婦の映画を作りたいんじゃないんですよ」「我々が作りたいのは、夢見る人の映画なんです」。’と書いてある。
- ^ 村上春樹訳『ティファニーで朝食を』(新潮社)訳者あとがき
主な日本語訳
日本では、2008年2月に村上春樹による新訳が新潮社より出版されて話題となった。
外部リンク
- ティファニーで朝食を - allcinema
- ティファニーで朝食を - KINENOTE
- Breakfast at Tiffany's - オールムービー(英語)
- Breakfast at Tiffany's - IMDb(英語)