「唐名」の版間の差分

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2014年5月12日 (月) 19:02時点における版

唐名(とうめい、とうみょう、からな)は、日本律令制下の官職名・部署名を、同様の職掌を持つ中国の官称にあてはめたものである。

概要

8世紀前半、大宝律令養老律令により二官八省以下の職制が整備され、百官の職名が制定されていった前後からすでに、同様の職掌を有する唐風の職名および部署名を一種の雅称として用いることが行われていたが、唐風文化に心酔する藤原仲麻呂(恵美押勝)が政権を握ると、天平宝字2年(758年)百官名をすべて唐名で言い換えることが行われた(仲麻呂自らは新設した紫微中台皇太后宮職として紫微令を称した)。

天平宝字8年(764年)仲麻呂失脚後は旧に戻されたが、その後も官職の別名・雅称として唐風の官名が用いられることが多かった。奈良時代後半から平安時代にかけて生じた様々な令外の官についても、唐名がつけられた(蔵人頭検非違使などの令外官を置いた嵯峨天皇も唐風文化の心酔者であった)。

これらの唐名は、本家中国歴代王朝の職制と完全に一致するわけではないため、必ずしも一対一で置換ができるものではない。そのためいくつかの職においては重複するものあり、逆にひとつの職に対し複数の唐名があるものも少なくない。

唐名は、除目における朝廷の正式な位記等に記されることこそ無かったが、書簡・日記漢詩など私的な文書には頻繁に用いられた。江戸時代になってからも武家官位に付随する雅称として存続し、明治維新で律令制が名実ともに終焉を迎えた後も、明治初期の太政官制に付随して引き継がれた。

明治18年(1885年)には内閣制度が発足するが、ここでも唐名の伝統は引き継がれ、内閣総理大臣を「首相」、外務大臣を「外相」などと呼んだ。また内閣制度とともに設置された枢密院を「枢府」、枢密院議長を「枢相」、内大臣府内大臣をともに「内府」と呼ぶなど、この習慣は日本文化に完全に定着したものとなっている。

主な唐名の一覧

官名 唐名
摂政 摂籙(せつろく)、家宰(かさい)、大宰(たいさい)、納麓(のうろく)、負扆(ふほ)、垂衣(すいい)、大麓(たいろく)、曲阜(きょくふ)
関白 惣己百官(そうきひゃっかん)、博陸(はくろく)、執柄(しっぺい)、摂籙(せつろく)、阿衡(あこう)、太閤(大閤 たいこう)[1]
摂政関白 執政(しっせい)、執柄(しっぺい)、摂籙(せつろく)、博陸(はくろく)、補佐(ほさ)
太政大臣 相国(しょうこく)、司空(しくう)、太師(大師 たいし)、大尉(たいい)、太保(たいほ)、太傅(たいふ)、大平侯(たいへいこう)、太閤(大閤 たいこう)[1]
左大臣 左府(さふ)、左丞相(さじょうしょう)、左僕射(さぼくや)、左太閤(さたいこう)、左相閤(さしょうこう)、左閤(さこう)
右大臣 右府(うふ)、右丞相(うじょうしょう)、右僕射(うぼくや)、右太閤(うたいこう)、右相閤(うしょうこう)、右閤(うこう)
内大臣 内府(だいふ、ないふ)、内丞相(ないじょうしょう)
大臣一般 丞相(じょうしょう)、相府(しょうふ)、僕射(ぼくや)、槐門(かいもん)、三槐(さんかい)、三台(さんだい)、三旌(さんせい)、蓮府(れんぷ)、蓮幕(れんばく)、黄閣(こうかく)、東閣(とうかく)、象岳(ぞうがく)、済川(さいせん)、塩梅(えんばい)
准大臣 儀同三司(ぎとうさんし)
大納言 亜相(あしょう、あそう)、亜塊(あかい)
中納言 黄門侍郎(こうもんじろう)または略して黄門(こうもん)、門下侍郎(もんかじろう)
少納言 尚書郎(しょうしょろう)、門下給事(もんかきゅうじ)
参議 宰相(さいしょう)、相公(しょうこう)、諌議大夫(かんぎたいふ)
侍従 拾遺(しゅうい)
左大弁 左大丞(さだいじょう)
右大弁 右大丞(うだいじょう)
中務卿 紫微令(しびれい)、中書令(ちゅうしょれい)
民部卿 戸部尚書(こぶしょうしょ)
式部卿 吏部尚書(りぶしょうしょ)
刑部卿 刑部尚書(けいぶしょうしょ)、大理卿(だいりけい)
近衛府 羽林(うりん)、親衛(しんえい)
近衛大将 羽林大将軍(うりんだいしょうぐん)、幕府(ばくふ)、幕下(ばっか)、大樹(たいじゅ)、柳営(りゅうえい)[2]
兵衛府 武衛(ぶえい)
国司(〜守) 太守(たいしゅ)、刺史(しし)[3]、二千石(にせんせき)
検非違使別当 大理卿(だいりけい)
検非違使尉 廷尉(ていい)
衛門府 金吾(きんご)
弾正台 霜台(そうたい)
弾正尹 御史大夫(ぎょしたいふ)
中宮大夫・皇后宮大夫 長秋監(ちょうしゅうかん)
大膳大夫 光禄卿(こうろくけい)
修理大夫 将作大匠(しょうさくたいしょう)
玄蕃頭 鴻臚卿(こうろけい)
左京大夫・右京大夫 京兆尹(けいちょうのいん)
兵庫頭 武庫令(ぶこれい)
左馬頭 左典厩(さてんきゅう)
右馬頭 右典厩(うてんきゅう)
  1. ^ a b 後に関白職を子弟に譲った前関白の称となる。さらに出家した前関白は「禅定太閤」「禅閤」という。
  2. ^ 職原抄』によれば本来は近衛大将に用いたものだが、源頼朝が右近衛大将(右大将)に任官後に征夷大将軍に就任したことから、以後は征夷大将軍の唐名としても扱われるようになる。
  3. ^ 受領名を唐名にする場合、国名は「○州」とした。例:美濃→濃州、三河→三州など。

唐名はここで挙げたもの以外にも多数あった。なお、二官八省の官位を持つ者は卿と同様に唐名を用いた。例:中務大輔・中務少輔→中書。

唐名で知られる歴史的名辞

  • 書名
    • 吏部王記』(りほうおう き)… 式部卿重明親王の日記。式部卿=吏部尚書から。
    • 山槐記』(さんかい き)… 内大臣中山忠親の日記。大臣=槐門から。
    • 平戸記』(へいこ き)… 民部卿平経高の日記。民部卿=戸部尚書から。
    • 長秋記』(ちょうしゅう き)… 皇后宮権大夫源師時の日記。皇后宮大夫=長秋監から。
    • 金槐和歌集』(きんかい わかしゅう)…源実朝家集。別名『鎌倉右大臣家集』、「金」は鎌倉の偏を表し、「槐」は槐門(大臣)。
  • 家名
  • 人名
    • 菅丞相(かん じょうしょう)… 右大臣菅原道真。右大臣=右丞相から。ただし人形浄瑠璃歌舞伎の名作『菅原伝授手習鑑』では「かんょうょう」という。
    • 悪左府(あく さふ)… 左大臣藤原頼長。左大臣=左府から。「」は苛烈で妥協を知らない頼長の性格を表したもの。
    • 平相国(へい しょうごく)… 太政大臣平清盛。太政大臣=相国から。その後出家したことから入道相国(にゅうどう しょうごく)とも。
    • 典厩信繁(てんきゅう のぶしげ)… 武田信玄の弟・信繁。官途の左馬助=典厩から。
    • 織田右府(おだ うふ)… 織田信長の生前極官が右大臣=右府だったことから。
    • 江戸内府(えど ないふ)… 内大臣徳川家康秀吉最晩年期から将軍任官まで。内大臣=内府から。「内府ちかひの条々」などが有名。
    • 金吾中納言(きんご ちゅうなごん)… 左衛門督兼中納言小早川秀秋。衛門督=金吾から。
    • 水戸黄門(みとこうもん)… 水戸藩主・権中納言徳川光圀。権中納言=黄門から。
    • 毛利宰相(もうり さいしょう)… 参議毛利秀元。参議=宰相から。「宰相殿の空弁当」の故事で有名。
    • 本多中書(ほんだ ちゅうしょ)… 中務大輔本多忠勝。中務省=中書省から。『本多中書家訓・御遺書』『本多中書聞書』など。
    • 脇坂中書(わきさか ちゅうしょ)… 中務少輔・脇坂安治。中務省=中書省から。彼の屋敷があった京都の一画は今日も伏見区中書島の地名にその名を残す。

参考文献

関連項目