「民主党 (韓国 2011-2014)」の版間の差分
Nadeorosensei (会話 | 投稿記録) 29日の党務委員会で党名改称や中道主義を強化した綱領・政策を採択した事を加筆 |
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2013年5月1日 (水) 14:06時点における版
民主統合党 민주통합당 | |
---|---|
非常対策委員長 | 文喜相 |
成立年月日 | 2011年12月16日(政党登録日は2011年12月23日[1]) |
本部所在地 | ソウル市永登浦区永登浦洞6街ヨンジン路166 |
国会 |
127 / 300 (42%) |
党員・党友数 |
2,072,739名 (2011年12月31日[3]) |
政治的思想・立場 | 自由主義(中道左派) |
シンボル | メビウスの輪をモチーフにした |
公式サイト | 민주통합당 메인페이지(民主統合党 ホームページ) |
民主統合党 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 민주통합당 |
漢字: | 民主統合黨 |
発音: | ミンジュトンハプタン |
日本語読み: | みんしゅとうごうとう |
英語: | Democratic United Party DUP |
民主統合党(みんしゅとうごうとう)は、大韓民国の政党。代表(党首)は現在空席で、文喜相が非常対策委員長を務めている。セヌリ党とともに韓国における二大政党の一角を占めており、現在、野党第一党である。略称は民主党[4]。
概要
2011年12月16日、当時の最大野党であった民主党と院外政党の市民統合党および労働組合のナショナルセンターである韓国労働組合総連盟(以下、韓国労総)が合同して結成された[5]。
金大中元大統領(在任期間:1998年2月 - 2003年2月)が結成した新政治国民会議(1995年9月 - 2000年1月)を起源とする政治勢力の潮流を受け継ぎ[6]、彼の出身地である南西部の全羅道地方を強固な支持基盤としている。シンボルカラーはウリ党と同じ黄色[7]。党綱領で財閥への規制を強化する経済民主化や福祉政策の充実、韓米自由貿易協定(韓米FTA)全面再検討を掲げるなど政治的立場は中道左派に位置づけられ、左派政党である統合進歩党(以下、進歩党)とは総選挙で共闘を組むなど協力関係にあった。
沿革
結成経緯
2011年11月3日、民主党の孫鶴圭代表は2012年に予定されている総選挙と大統領選挙での勝利に向け、民主進歩勢力を統合した「民主進歩統合政党」の年内結成を表明した[8]。当初、民主労働党や国民参与党も含めた広範な勢力結集を目指したが、両党は反対あるいは消極的な姿勢を採ったため、統合は民主党と「革新と統合」(以下、革統)及び韓国労総、親民主系市民団体によって推進されることになった。
11月13日に「民主進歩統合政党発足連席会議」(以下、連席会議)の準備会を開催[9]。11月20日、民主党と革統、韓国労総、市民社会団体(進歩統合市民会議、福祉国家ソサエティー)が参加した連席会議の初会議が行われ、統合政党を12月17日までに発足させることで合意[10]。12月7日、民主党と市民統合党(革統が統合政党に合流するために同日結成した政党)は、統合政党の指導部を代議員と党員・市民で構成される選挙人団(構成比は代議員30%+党員・市民70%)によって選出することや、略称は「民主党」とするなどの統合ルールに最終合意した[11]。
最終合意を受け、民主党は全党大会を開催、統合反対派代議員による乱闘などが発生したものの、市民統合党や韓国労総との統合政党議案を賛成多数で可決した[12]。統合議案可決を受け、民主党は12日より市民統合党や韓国労総と統合会議を行い、党名や綱領、党規・党憲の制定、指導部選出方法など詰めの協議を進めた。党名については、民主党と市民統合党の両者が公募を行い「統合民主党」や「市民民主党」など3候補が出されたが、「民主統合党」で選挙管理委員会に登録されることになった[13]。
党結成と指導部選挙
2011年12月16日、「民主統合党」が結成され、正式な指導部が発足するまでの党運営を担う臨時指導部の共同代表として元恵栄(民主党)と李庸瑄(市民統合党代表)が選任された[14]。指導部選挙は代議員2万1千人と党員及び市民選挙人団76万5千名(うち党員は12万8千名)[15]によって行われ、盧武鉉政権時代に国務総理を務めた韓明淑が新代表に選出された[16]。またノサモ元代表である文盛瑾が韓明淑に次ぐ得票2位となって最高委員に選出されたことで、民主統合党における親盧派の台頭を指摘する声もある。なお選挙日程は以下の通りである。
- 2011年12月26日:予備選挙
- 2012年1月9日 - 14日:モバイル投票
- 2012年1月14日:投票所投票
- 2012年1月15日:全党大会での代議員投票
第19代総選挙
2012年末に予定されている大統領選挙の前哨戦となった第19代総選挙では地域区(246選挙区)で候補者210名を擁立[17]。また進歩党と選挙協力することで合意[18]し、一部選挙区では進歩党候補を支援した。
当初、政党支持率で与党セヌリ党を上回り優位が伝えられていたが、総選挙候補予備選挙の選挙人団不正募集事件や公薦を巡る葛藤(後述)で支持率が低下、選挙前の80議席を大きく上回る127議席を獲得したものの、セヌリ党から第1党の座を奪取することができず事実上敗北した[19]。選挙翌々日の13日、韓代表は選挙で敗北した責任を取るため党代表を辞任し、指導部選挙において韓代表に次ぐ2位となった文盛瑾最高委員が党憲規定に基づき代表代行となったが、指導部が総辞職し非常対策委員会体制への移行を主張する非主流派(旧民主系)と文代表代行体制を支持する親盧派との間で対立が生じた。そのため15日の最高委員会議で、当面は文代表代行体制で党運営を行うが、5月初めに行う院内代表選挙で院内代表を選出後、非常対策委員会体制に移行することを決定した[20]。5月4日に当選者127名の投票で行われた院内代表選挙では旧・民主系の朴智元が親盧系の柳寅泰を抑えて当選を果たし第1期院内代表(6月に行われる全党大会までの党務を担う非常対策委員長も兼務)になった[21]。
2012年大統領選挙
- 党内選挙の詳細は2012年大韓民国大統領選挙#主要政党における候補者予備選を参照。
6月9日に全党大会が開かれ、新代表に盧武鉉元大統領に近い李海瓚を選出した。地域別代議員投票(5月20日~31日)では非盧派の金ハンギルに後れを取り2位になっていたが、首都圏代議員投票と市民選挙人団モバイル投票で巻き返した結果、金ハンギルに0.5%の僅差をつけて当選を果たした[22]。
大統領選挙における候補者を選ぶ党内選挙は、党員以外の一般有権者も参加できるオープンプライマリー方式[23]で実施、文在寅や孫鶴圭など候補者4名によって争われ、全国13地域で投票が行われた。そして9月16日にソウル市の投開票が行われ、全国合計で56.5%の得票を得た文在寅が大統領候補に選出された[24]。大統領選勝利のため、同じ野党圏の有力候補である安哲秀との一本化を働きかけ、11月6日に行われた文在寅と安哲秀の両者会談で26日の立候補登録締切前までに候補者を一本化することで合意が成立した。しかし、一本化交渉過程で安哲秀に譲歩を求める動きがでたことをきっかけに、14日、安側が候補者一本化交渉の中断を宣言する事態となった[25]。一本化交渉再開条件として安側から党指導部の退陣を含めた党刷新を求めたことを受け、18日に党指導部全員が辞任することを表明し、文在寅が代表代行に就任した。なお朴院内代表については国会が開会中であることを考慮し、年末まで続投することになった[26]。安の立候補辞退で事実上の野党統一候補となった文候補は、進歩正義党など左派系政党からの支持も受けて選挙戦を戦ったが、セヌリ党候補の朴槿恵に僅差で敗北した[27]。
大統領選挙後
大統領選後の12月28日、院内代表を辞任した朴智元の後任院内代表を決める選挙が行われ、国会議員による投票の結果、無派閥の朴起春(3選議員)が親盧系の申渓輪を抑えて新たな院内代表に選出した。当初、新院内代表が全党大会までの党務を担う非常対策委員長を兼務する事になっていたが、院内代表となった朴起春は院内代表と非常対策委員長の分離を表明したため、2013年1月9日に行われた議員総会・党務委員会において非常対策委員長に文喜相(元国会副議長)を選出した。次期党指導部を選出するための全党大会は5月4日に行われる。
政治的立場と政策
民主統合党は以前の民主党と比較して進歩色を鮮明にした綱領を採択している[28]。また綱領では「原発の全面再検討」を掲げているが、韓国の主要政党では初めてである[29]。
- 労働の価値を尊重する経済民主化実現
- 財閥と大企業に対する根本的改革
- 福祉国家建設
- 無償給食と無償福祉、無償医療
- 半額授業料
- 住居福祉
- 働き口福祉
- 原子力発電所全面再検討
- 韓米FTAも含む全ての通商政策全面再検討
- 総合編成チャンネル原点再検討
また党綱領では継承すべき価値として
- 釜馬民主抗争
- 1987年労働者大闘争の労働尊重と連帯
- 2008年ろうそくのあかり民心の市民主権意識
が新たに追加されたほか、抗日運動と臨時政府の建国精神、4月革命と光州民主化抗争、6月民主抗争などの反独裁・民主化運動の精神も旧・民主党からそのまま継承された。南北関係については、金大中及び盧武鉉政権時代に北朝鮮と交わした6.15南北共同宣言と10・4共同宣言の尊重と継承、経済や社会及び文化面での交流強化を綱領で明記している。
1月29日に発表された総選挙政策では、財閥が系列会社の株式を所有して受け取る配当金を課税対象とする「財閥税」の導入や大手財閥の系列会社への出資総額制限を盛り込むなど、財閥に対する規制を強化する方針を示している[30]。また昨年11月に国会で批准された韓米FTAに関し、政府が修正のための再交渉に失敗した場合、政権交代で破棄する意向を2月8日に開かれた最高委員会議で韓明淑代表が示した[31]。しかし、韓米FTAを推進した盧武鉉政権与党勢力を受け継ぐ民主統合党が反対することに対しては、与党セヌリ党の朴槿恵非常対策委員長が「選挙用に破棄を主張する人に国を任せられない」[32]と反発するなど批判も強く、政権時代との齟齬が総選挙における敗因の一因となったことを指摘する声がある。
党役員
党務の執行を担う最高機関である最高委員会は、党代表と最高委員9名(選出職5名+指名職4名)および院内代表の計11名によって構成される(党憲第27条第2項)。なお指名職最高委員については女性や青年及び労働組合の人物を優先して指名するよう規定されている(同第27条第4項)[33]。
- 歴代代表
党発足当初、選出職最高委員は党員と代議員及び市民による投票で選出される仕組みとなっていた。選挙人団は代議員30%、党員・市民70%で構成されており、党員・市民選挙人団の投票結果が指導部選挙の結果を大きく左右した。なお市民選挙人団はノサモ出身者が主導する盧武鉉財団や市民団体「国民の命令」会員などが大半を占め、指導部選挙で敗北した候補から「少数の動員された組織で党心と民心が無視された」との批判がなされるなど問題点が指摘されてきた[34][35]。
そのため、2013年2月に行われた党中央委員会で次期執行部選挙は代議員と権利党員による投票結果に一般国民対象の世論調査を加えた方式に変更し、モバイル投票廃止を決めたが、主流派である親盧派からこれに反対する声が挙がるなど難航した[36]。最終的に党代議員投票50%と権利党員投票30%および世論調査結果20%で合算して行われ、世論調査については国民対象世論調査と一般党員対象世論調査および予備選参加選挙人団世論調査を3対2対1の割合で反映する方法となった。
党内派閥
党内の有力大統領候補を中心として、以下のような派閥がある[37]。
- 丁世均系
- 「革新と統合」系(文在寅・李海瓚を中心とする親盧グループ)
- 孫鶴圭系
- 鄭東泳系
- 民平連[38]系(李仁栄最高委員を中心とした改革志向の政治家によるグループ)
- 湖南系(朴智元最高委員を中心とする旧・民主系グループ)
なお党内の二大勢力である親盧派と旧・民主系の間にはウリ党結成にまで遡る軋轢が指摘されており、親盧派と旧・民主系によって繰り返される内紛が 旧態依然とした体質から抜け出せない党のイメージを国民に与え、19代総選挙における事実上の敗北の一因となった[39]。2012年11月1日、党内非主流派(非盧派)の代表格である金ハンギル最高委員が党指導部退陣を求めて最高委員職を辞退したが、党内派閥間の権力闘争に発展する可能性も指摘されている[40]。
年表
- 2011年
- 11月3日:民主党の孫代表、「民主進歩統合政党」年内結成を表明
- 11月20日:連席会議の初会合。統合政党を12月17日までに結成することで合意
- 12月7日:民主党と市民統合党、統合ルールで合意
- 12月11日:民主党全党大会、市民統合党との統合議案可決
- 12月16日:民主党と市民統合党及び韓国労総が統合を宣言、「民主統合党」が発足
- 12月18日:「民主統合党」公式に発足
- 12月23日:政党登録
- 12月26日:新指導部選挙の予備選挙
- 2012年
- 1月15日:全党大会。韓明淑党首をはじめとした新指導部を選出[41]
- 2月16日:金斗官慶尚南道知事(盧武鉉政権で行政自治部長官を経験)が入党[42]
- 2月23日:朴元淳ソウル特別市長が入党[43]
- 3月10日:統合進歩党との選挙協力(野圏連帯)に合意[18]。
- 4月11日:第19代総選挙。選挙前の80議席を上回る127議席を得るも、与党セヌリ党から第1党奪取に失敗し事実上敗北。
- 4月13日:4月11日に行われた総選挙の敗北の責任とって、韓明淑党首が辞任[44]。
- 5月4日:院内代表選挙で朴智元最高委員が当選。6月に行われる全党大会までの党務を担う非常対策委員長も兼務。
- 6月9日:全党大会で親盧派の李海瓚を新代表に選出、當時に2位となった金ハンギル以下5名の最高委員も選出。
- 6月29日:統合進歩党李ソッキ・金ジェヨン両議員に対する議員資格審査案をセヌリ党と共同発議することで合意[45]。
- 7月2日:第19代国会開会式、副議長に民主統合党の朴炳錫議員を選出[46]。
- 7月18日:大統領候補を選ぶ党内選挙は党員以外の一般有権者も投票に参加できるオープンプライマリー方式で行うことを決定。
- 9月16日:党主流派で盧武鉉元大統領側近の文在寅常任顧問を大統領候補に選出。
- 10月9日:現職議員1名が離党し、野党圏の有力候補である安哲秀の陣営に合流[47]。
- 11月1日:金ハンギル最高委員が党指導部退陣を求めて最高委員職を辞退[48]。
- 11月6日:文在寅候補と安哲秀候補が大統領選挙候補者登録(11月25日~26日)前までの候補者一本化に合意[49]。
- 11月19日:李代表以下、党指導部が総辞職。文大統領候補が代表代行を兼任。
- 11月23日:安候補の立候補辞退。これにより文候補が事実上の野党統一候補になった[50]。
- 12月19日:大統領選挙。文在寅候補、朴槿恵に僅差で敗北。
- 12月21日:朴智元院内代表、大統領選敗北の責任を取って辞任[51]。
- 12月28日:新任の院内代表(非常対策委員長兼務)に中道派の朴起春を選出[52]。
- 2013年
党勢推移
選挙 | 年月日 | 當選者数 | 得票率 | ||
---|---|---|---|---|---|
合計 | 地域区 | 比例代表 | |||
第19代総選挙 | 2012年4月11日 | 127 | 106 | 21 | 36.45% |
選挙 | 年月日 | 候補者 | 得票数 | 得票率 | 当落 |
---|---|---|---|---|---|
第18代大統領選挙 | 2012年12月19日 | 文在寅 | 14,692,632 | 48.02% | 落選(2位) |
- 出典:선거통계시스템(選挙統計システム)。総選挙の得票率は政党得票(比例代表)。
批判と議論
モバイル投票選挙人団の組織的不正募集
2012年4月に予定されている第19代総選挙の公薦候補作業を改革するため、予備選を国民参加型のモバイル投票で行うことを決定した[58]。しかし、モバイル投票に参加する国民参与選挙人団を募集(2月15日 - 29日)する過程で、登録者を不正募集するなどの問題が党の地盤である光州・全羅道で相次いで発生し、光州市では自殺者まで出す事態となった[59]。また不正募集疑惑は全羅道以外の地域でも報告され、全国に拡大する様相を見せた[60]。6月27日、光州地方裁判所は事件の発端となった光州市東区で区庁長と共謀して選挙人団を不法募集した容疑で起訴されていた朴柱宣議員(無所属)に対し、当選無効に相当する懲役2年の判決を言い渡した[61]。
公薦葛藤
第19代総選挙における公薦で元ウリ党・親盧派の現職・元職が多く公薦された一方で、金大中政権時代に長官など要職を務めた旧民主系の議員が脱落する事例が相次いだ[62]。そのため旧民主系からは「公薦虐殺」との声があがり、親盧系との間で葛藤が生じる結果となった[63]。公薦から脱落した旧民主系候補の中には無所属出馬の他、新たに新党(正統民主党)を結成して選挙に臨む動きが出た[64]。
政治資金規正法違反容疑で裁判中の任鍾晳事務総長を早々と公薦決定したことに対しても党の内外から批判が集中し、党の支持率を下落させる原因になった。結局、任事務総長は3月9日に事務総長の辞任と総選挙候補辞退を表明した[65]。また朴映宣最高委員も「公薦過程で国民に失望を与えた」責任を取るとして、最高委員を含む党役職を辞任する意向を21日に明らかにした[66]。
脚注
- ^ 중앙당현황(中央党現況)。中央選挙管理委員会(2011年12月23日閲覧)
- ^ 국회의원 현황 (国会議員現況)。韓国国会ホームページ(2012年10月11日閲覧)
- ^ 「(2) 정당별 당원수(政党別党員数)」、中央選挙管理委員会編『2011년도 정당의 활동개황 및 회계보고(2011年度 政党の活動概況および会計報告)』(中央選挙管理委員会)11ページ
- ^ 略称名は中央選挙管理委員会に登録されたものであるが、一部マスメディアでは「民統党」(민통당)と略する場合もある。例:“민통당 '한미FTA 폐기'에 비난 봇물..“정치적 ‘쇼’하고 있다"(民統党‘韓米FTA破棄’に非難溢れ..“政治的‘ショー’している”)”. NEWDAILY. (2012年2月11日) 2012年2月12日閲覧。
- ^ “野党が統合「民主統合党」発足”. KBSワールドラジオ. (2011年12月16日) 2011年12月18日閲覧。
- ^ 민주당소개 발자취(民主党紹介 足跡)。民主党ホームページ(2011年12月24日閲覧)
- ^ “민주, 상징색 노란색으로 결정(民主、象徴色 黄色に決定)”. ソウル新聞. (2012年2月20日) 2012年4月5日閲覧。
- ^ “韓国最大野党代表 年内に民主進歩大統合の新党結成”. 聯合ニュース. (2011年11月3日) 2011年12月18日閲覧。
- ^ “野党勢力の統合 準備会で本格的論議スタート”. KBSワールドラジオ. (2011年11月13日) 2011年12月18日閲覧。
- ^ “野党圏統合12月17日までに統合政党の発足に同意”. レイバーネット(原文:チャムセサン). (2011年11月20日) 2011年12月18日閲覧。
- ^ “민주·시민통합당 ‘통합 룰’합의(民主・市民統合党‘統合ルール’合意)”. ハンギョレ. (2011年12月7日) 2011年12月18日閲覧。
- ^ “韓国民主党 乱闘経て野党統合案を可決”. 聯合ニュース. (2011年12月12日) 2011年12月18日閲覧。
- ^ “민주통합당 진통 끝 당명 확정(民主統合党 陣痛終わって党名確定)”. 韓国日報. (2011年12月16日) 2011年12月18日閲覧。
- ^ “민주통합당, 원혜영·이용선 공동대표로(民主統合党、元恵栄・李庸瑄共同代表で)”. ハンギョレ. (2012年12月16日) 2011年12月18日閲覧。
- ^ 오종식 대변인, 투표율 잠정치 관련 브리핑(オ・ジョンシク代弁人、投票率暫定値関連ブリーフィング)。民主党ニュース(2012年1月15日)
- ^ “野党民主統合党 初代代表に韓明淑氏選出”. KBSワールドラジオ. (2012年1月15日) 2012年1月15日閲覧。
- ^ <그래픽> 19대총선 정당별 후보자수(<グラフィック>19代総選 政党別候補者数)。聯合ニュース2012年3月23日(2012年4月1日閲覧)
- ^ a b “야권연대 협상 극적 타결..전략지역 16곳(野圏連帯協商劇的妥結。。戦略地域16箇)”. 聯合ニュース(本国版). (2012年3月10日) 2012年3月21日閲覧。
- ^ “韓国総選挙 与党セヌリ党が単独過半数を確保”. 聯合ニュース. (2012年4月12日) 2012年4月13日閲覧。
- ^ “文盛瑾最高委員が代表代行に 民主統合党が臨時体制”. KBSワールドラジオ. (2012年4月16日) 2012年4月16日閲覧。
- ^ “민주 원내대표 겸 비대위원장에 박지원(民主院内代表兼非対委員長に朴智元)”. 聯合ニュース. (2012年5月4日) 2012年5月5日閲覧。
- ^ “民主統合党の新代表 李海瓚氏を選出”. KBSワールドラジオ. (2012年6月9日) 2012年6月9日閲覧。
- ^ “民主統合党の大統領候補選び 国民参加の投票に”. KBSワールドラジオ. (2012年7月19日) 2012年7月19日閲覧。
- ^ “文在寅氏、最大野党候補に=安氏との一本化加速へ-韓国大統領選”. 時事ドットコム. (2012年9月16日) 2012年9月16日閲覧。
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- ^ “韓国最大野党執行部が辞任 大統領選候補一本化交渉中断で”. 聯合ニュース(本国版). (2012年11月18日) 2012年11月18日閲覧。
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- ^ “民主統合党“財閥改革・原発再検討”掲げる”. ハンギョレ(日本語版). (2011年12月16日) 2011年12月18日閲覧。
- ^ “「原発の全面再検討」韓国最大野党が綱領に 主要政党初”. 朝日新聞デジタル. (2011年12月17日) 2011年12月23日閲覧。
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- ^ “韓明淑代表 「韓米FTA修正しないと政権交代で破棄」”. KBSワールドラジオ. (2012年2月8日) 2012年2月22日閲覧。
- ^ “「米韓FTA破棄も」韓国最大野党 総選挙の争点に”. 東京新聞. (2012年2月16日) 2012年2月22日閲覧。
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- ^ “민주, 모바일투표 폐지 두고 갈등 여전(民主、モバイル投票廃止そのまま葛藤依然)”. ニュースワン. (2013年2月28日)
- ^ “派閥の落とし穴にはまった民主、総選挙の自省なく沈黙”. ハンギョレ. (2012年4月15日) 2012年4月18日閲覧。
- ^ 正式名称は「民主平和国民連帯」(민주평화국민연대)。旧・ウリ党および旧・民主党内における改革志向の政治家によって結成された。“민평련, ‘진보개혁정치포럼’ 결성 결의(民平連、‘進歩改革政治フォーラム’結成決議)”. ハンギョレ. (2008年8月15日) 2012年4月18日閲覧。
- ^ 2012-5-25 奥園秀樹「野党民主統合党の敗因」、霞山会Topics&News「2012年韓国 総選挙・大統領選挙に向けて」
- ^ “民主党幹部が執行部の退陣を要求して辞任”. 東亜日報(日本語版). (2012年11月1日) 2012年11月3日閲覧。
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- ^ “韓国最大野党代表 総選挙敗北の引責で辞任”. 聯合ニュース. (2012年4月13日) 2012年4月13日閲覧。
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参考文献
本記事作成にあたっては主に以下のサイトを参照して作成した。