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民主国民党 (韓国 2000-2004)

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大韓民国の旗 大韓民国政党
民主国民党
민주국민당
成立年月日 2000年3月8日
(正式な政党登録日は3月14日)
解散年月日 2004年4月20日
解散理由 登録抹消
後継政党 無し
政治的思想・立場 保守
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民主国民党
各種表記
ハングル 민주국민당
漢字 民主國民黨
発音 ミンジュグンミンダン
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民主国民党(みんしゅこくみんとう)は、金大中政権時の韓国における保守政党である。略称は民国党(민국당)。2000年4月第16代総選挙に際し、当時の最大野党であるハンナラ党から公認を得ることが出来なかった政治家が中心となって結成された。

経緯

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第16代総選挙を前にした2000年2月18日、ハンナラ党は第1次公認候補を発表したが、この中に金潤煥(キム・ユンファン、元民主自由党院内総務)や李基澤(イ・ギテク、民主化運動から政界入りし民主党共同代表などを歴任)両顧問など非主流派の重鎮が含まれていないことに反発が起こった。公認排除に対し、趙淳名誉総裁が20日、自らの公認を返上して抗議の意志を示したが、李会昌ハンナラ党総裁は「今回の公認は党改革と新たな政治の出発点だ」と語って撤回しない方針を明らかにした。これに対して、趙淳(チョ・スン、ソウル特別市長やハンナラ党初代総裁を歴任)名誉総裁と金潤煥、李基澤両顧問、辛相佑(シン・サンウ)国会副議長は2月23日、会合をした上で新党を結成することを決定した。

2月28日に発起人大会、3月8日に結党大会を開催して正式に発足した。党首に該当する代表最高委員には趙淳が就任。1995年ソウル特別市長選挙で善戦し弁護士としても有名な朴燦鐘(パク・チャンジョン)や元総理であった李寿成(イ・スソン)、金大中政権下で外交通商部長官を務めていた韓昇洙(ハン・スンス、後に李明博政権下で総理を歴任)など著名な人物が参加したが、4月の選挙では2議席(地域区1議席+全国区1議席)に留まった。総選挙後、趙淳は代表を辞任、最高委員の金潤煥が代表権限代行に就任した。2001年3月には新千年民主党自由民主連合と政策連合を組んだ他、閣僚(韓昇洙[1]を送り込んで金大中政権の与党入りをしたが、党内での反発を招き李基澤など党幹部や各支部長の離党を招く事態となった[2]。2002年2月には地域区で唯一の当選者だった韓昇洙が離党した事で国会議員は全国区の1名[3]のみとなり、2004年4月に行われた第17代総選挙では比例代表で候補を擁立せず、地域区でのみ7名の候補を擁立したが全員落選[4]。総選挙直後の2004年4月20日に政党法の規定により解散した。

党勢推移

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国会議員選挙
年月日 定数 当選者数 得票率
(地域区)
備考
合計 地域区 比例
代表[5]
第16代 2000年4月13日 273 2 1 1 3.7%
第17代 2004年4月15日 299 0 0 0 比例代表では候補者を擁立せず

脚注

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  1. SBS NEWS (2001年3月26日). “<프로필> 한승수 외교통상부장관(<プロフィール>韓昇洙外交通商部長官)”. 2026年3月28日閲覧.
  2. 『大韓民国政党史 第6輯』. 韓国中央選挙管理委員会. (2016-11-10). p. 172
  3. “한승수씨 내주 민국당탈당(韓昇洙氏、来週民国党脱党)”. 京郷新聞. 2002年2月23日. 2026年3月28日閲覧.
  4. 『大韓民国政党史 第7輯』. 韓国中央選挙管理委員会. (2016-11-10). p. 190
  5. 第16代総選挙での名称は「全国区」

参考文献

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関連項目

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